第十二話② 肥大した脅威たち
ナタリーは呼吸を一瞬忘れる。
突風に悲鳴が混じり、次には影の塊が真横からなだれ込んで来た。
靄が割れた視界で、瘴気よりも確実な黒が、視界を覆う。
顔を上げ、それを見たナタリーはまず戸惑った。
「──でっ……か…………!」
巨大な幼魔獣の討伐経験があるにも拘らず、ナタリーは呻いてしまった。
鋼のような鱗は分厚く、全身が巌を敷き詰めた岩山と化している。頭も四肢も胴体も、頭頂部から背骨にかけて瘴気を噴く骨板も、揺れるたびに空気を唸らせる尻尾までも。
今まで遭遇した二等クラス──十メートル超の幼魔獣より、さらに一回りは巨きい。
間近で見上げていると、遠近法が狂いそうになるほどに。
「──えっ?」
巨体に圧倒されていたナタリーは、さらに声を漏らしていた。
その巨大な顎で挟み、牙で咬みしだいているのは──
同種であるはずの幼魔獣だったのだ。
バリバリと剣山のような牙が、自分より小さな幼魔獣の頭をあっという間に噛み砕いていく。
「たっ、食べた……? えっ、うそなんで? 仲間じゃないの──?」
混乱を口走りその場でうろたえるナタリーに、
「共食い覚えたな、こいつ」
脇でクシャナが冷静に断言した。
「今この瘴気で確認できる幼魔獣は五体だ。三体分はもうこいつが全部食ったとみていい」
「そんなっ……食べるとか、ありなの……⁉」
この世界の生物を摂食する異界からの魔物──それがまさか、同族を食べるなんて。
「あまり事例はないが、手近に喰う者がなければ強い奴が弱い奴を喰うことがある。
幼魔獣に同族意識なんてない。この群れも、たまたま密集しているだけだ」
クシャナが淡々としている分、ナタリーは冷静さを取り戻せた。素早く周囲を探る。
靄のなかで発生していた幼魔獣たちの声は、共食いによる同族争いのせいだった──?
黒く霞む視界で、共食い幼魔獣が同族だけでなくクシャナたちをまとめて睥睨している。
荒い鼻息を蒸気のように噴き、噛み砕いた幼魔獣の頭を嚥下すると──巨大幼魔獣はもっとよこせと言わんばかりに盛大な咆哮を空間に震わせた。
『…………!』
いかな幼魔獣相手の戦闘経験はあれど、凄惨な共食いを目の当たりにしたのは初めてだったのか、自警団員は戦慄に包まれ動けなくなっていた。
予期せぬ状況はナタリーも同じだ。上擦った声で、
「ちょっ、こっ、討伐数競ってる場合じゃないよっ! こいつ早く斃さないと!」
「その通り。これ以上こいつにエサはやれん──」
クシャナがさっそく太刀を鞘走らせるべく柄に手を添え。
姿を消す。
──どしっ、と衝撃が貫く。
次にナタリーの眼に映ったのは、共食い幼魔獣の指を斬上げで斬断したクシャナの姿だった。
先頭の自警団員に振り下ろそうとしていた、前脚の指先を見事に斬り落としている。
硬直していた自警団も息を呑む。この群衆を抜け、瞬時に間合いを詰めた彼の動きに理解が追いつかない。透明にでもなっていなければ辻褄が合わないスピードでクシャナは集団を抜け、斬り果せていたのだ。
指を斬られた共食い幼魔獣が、驚いたようにその場から後退する。
「……!」
ナタリーは足元に残ったそれに気づく。クシャナが土を踏んだ足跡だ。その深い窪みに奇跡か狂気でも見つけたような思いで肌を粟立たせて──瞬時に奮い立つ。
「共食いされてる! 残り五体だっ!」
クシャナと確かめていた状況を自警団員たちにも大声で伝え、その合間を縫うように疾走する。
ようやくボーデンも我に返り、声を張った。
「──っ、ジェイド隊は体勢整えろ! 他の幼魔獣にも注意──」
団員も慄きながら動き出す。
「周辺に他四体っ!」「四時の方向!」「囲い込め! 先にそいつから──!」
自警団員は本能的に共食いした幼魔獣とは距離を取ると、周辺幼魔獣への攻撃に集中していく。
にわかに展開された乱戦を前に、共食い幼魔獣も猛りだす。
前に突き進むや、勢いよく振り上げられた前脚に、
クシャナの刃が激突する。
異形の爪と鋼との不協和音が耳を震わせる。
共食い幼魔獣はすぐさま身を翻し、尻尾を斜め上から振り下ろしてきた。
クシャナがそれを身一つで受け止めるべく、刃を構えた。
肚を震わせる、重たくも鋭利な音。
これまで巨大幼魔獣による幾多の攻撃を凌いできたクシャナだが、太刀の刃が巌のような尻尾と噛み合わさった瞬間、大きく後ろに弾け飛んでいた。
「──師匠っ!」
衝撃波に耐えながら、ナタリーは叫んだ。
力で競り負けた。あの師匠が、いなし切れない威力──⁉
体勢を整えたクシャナは、周囲に目をやる。
共食い幼魔獣の巻き起こす衝撃波と、残り四体の幼魔獣が暴れ狂う空間。まるで台風と猛獣を同時に相手にして闘っているようだ。
「さすがに全員無事ってわけにはいかないか……」
負傷者を目にして険しく翳るクシャナの横顔を、ナタリーは思わずじっと見ていた。
不意にこれまでの共闘を思い出したのだ。
最初の十人討伐では『無理はするな』『距離を取れ』と自分以外の冒険者たちに告げ、
また別の討伐では『四人全員が無事なままで討伐しよう』と報酬そっちのけで口にしていた。
クシャナは共に戦う者の犠牲を何よりも避けようとしている。
犠牲を憎み、恐れている。
そんな気がして。
ナタリーは咄嗟に口を開いていた。
「師匠、強いからってなんでも自分でやるのはナシだからねっ!」
誰よりも速く斬り込んだのも、ひとりで共食い幼魔獣を相手にするためでは。
いくら被害を抑えるためだとしても、そんな無茶な戦い方は止めないと。
するとクシャナはナタリーの思いを汲み取ったように、口元を緩めて見せた。
「心配するな。俺はそんな器用じゃないんだ、」
「ばか!」ナタリーは食い気味に叫んだ。「師匠がそんな感じだから心配なのに、」
どう心配か、咄嗟には上手く言葉にできない。
途端、軋む咆哮がその場を音で圧する。
間髪入れず共食い幼魔獣が迫った。
「──ああもうっ!」
ナタリーは身構えた。師匠への文句は後回しだ。
その傍らでクシャナは刀身を晒した太刀を身構える。
脱力と余裕を帯びたいつもの泰然は失せている。
師匠は率先して斬るのだと、ナタリーは感じ取る。




