第一話 恩人追って弟子きたる
深い森のほとりに、屋台の灯りがある。
木製の荷車を改造した移動式の屋台で、客が二、三人でも入れば窮屈な広さ。
だが、客入りを心配する必要はない。
日が暮れれば、魔物の気配が増す森に足を運ぶ物好きなんてそうは現れないからだ。
いかな旅人や冒険者も、夜にはここから程離れた町の境界壁の内側にいる。
そんなわけで、ここにあるのは屋台を営む店主の気配のみ。
「ふむ」
屋台に設えた一口コンロには寸胴鍋がどっかりと居座っている。中身は野菜や肉、魚のすり身団子などを出汁に浸した風土料理だ。味付けや素材により大陸各地で呼称は異なるが、ここらでは「おでん」と呼ばれている。
栗色の髪と目をした屋台の主である中年男は、鍋のスープをおたまで掬い、軽く一口。
「…………濃くなってきた」
上背はあるが、がっしりとした体格はずんぐりと丸っこい印象を与える。鍋からの湯気に目を細めると居眠りしているように見える厚ぼったい一重まぶたに、愛嬌ある眼差し。
屋台の寸胴鍋と向き合っている姿は様になっていた。
問題なのは、こんな人気のない場所でひっそり屋台を営んでいる酔狂さか。
中年男はスープを吟味していた口の動きを止め、森の方に目を凝らす。
前後左右も不確かな闇に包まれた森から、ざわ、と葉擦れの音と風が流れてきた。
鍋から溢れる出汁スープの香りに、森の匂いが混ざっていく──
「……まずいな。せっかく美味くできたのに」
鼻に皺を寄せ──まずいとか美味いとか、我ながら妙なことを口走ったと思っていると。
唐突に、屋台の灯りのなかへ小さな気配が飛び込んで来た。
「いた! 見つけた! ここにいたんだ……!」
息を切らしながら、相当な勢いで駆け込んでのは一人の少女だった。
「うお?」
こんな夜に、なんで町の方角から、女の子が?
目を丸くしていると、少女はぱっと顔を上げ、まじまじとこちらを見つめてくる。
「クシャナ! やっと会えた!」
少女は屋台の灯りを凌ぐ眩しい笑顔になる。
中年男──クシャナは光を直射されたかのように目を点にした。
「どちらさまで? ……て、俺のこと知ってるの、」
「もちろん! 当たり前だよ!」
少女は食い気味に答えて屋台をぐるりと見回すと、手前の椅子にさっと腰掛けた。挙動の一つ一つがやけに素早くキレがある。
強く輝く大きな青い瞳。無邪気な笑顔はあどけなく、十代半ばといったところか。一つにまとめた黒く長い髪がしゅるりと帯のように流れている。
軽装備の冒険者風の出で立ちで、背中には細身の黒い銃剣を斜めに引っかけていた。引き金とグリップを併合した柄が小さな肩の向こうからひょいと覗いている。
──妙に親し気な少女に気圧されつつ、クシャナは訊ねてみる。
「ええと、お名前は?」
「ナタリー!」
「ナタリー。と、俺……どこかで会ったことある、とか?」
「うん!」
この上なく明快な返答だ。
クシャナは一拍ほど瞬きをして、
「すまん。思い出せなくて」
「いいのいいの。だって十年前だもん」
「……十年前?」
またしても瞬きしてしまう。
「そんな昔に会ったことあるのか。十年も前ってことは、」
「クシャナが剣聖やってた頃だよ!」
ナタリーは嬉しそうにそう言った。
「あたし、十年前に魔獣に潰滅させられた村にいた生き残りなんだ。
あのとき剣聖のクシャナに助けられたの。西の辺境──シニストラで」
「…………ああ!」
剣聖──十年前──魔獣──ときて、クシャナの記憶が合点する。
魔獣とは、百年ほど前に異界から出没するようになったとされる魔物のことだ。生きとし生けるものを喰らうために異界とこの世界を行き来し、ひとたび現界すればたった一体で人口十万規模の中級都市なら一晩で潰滅することのできる最凶の捕食種。
世界を脅かす異界の魔物・魔獣を斃す力を持つ者を「剣聖」という。
十年前、クシャナは剣聖だった。彼が剣聖として魔獣と戦った討伐は一度だけ。
なのでナタリーの言う「あのとき」は、はっきりと憶えている。
「おお、そうかー。あのときのー。いや、大きくなったんだなあ。当時の姿はやっぱり記憶にないが」
「へへ。十年だもん。あたしも大きくなったし強くなったんだよ」
「そうかー、もう十年経ったのか」
やたら嬉しそうに自分を見て話すナタリーにつられ暢気に笑うクシャナだが、ふとひっかかる。
──強く?
「だからクシャナ、あたしの師匠になってよ!」
ナタリーは明るい口調そのままに、なんの前置きもなく言って来た。
「え」
「あたし、クシャナみたいな剣聖になるために強くなったんだ。だって十年前にクシャナがたった三日で剣聖引退して『三日剣聖』って剣聖の汚点呼ばわりされてるなんて、あたしはずっと納得してないの。クシャナはあたしのことを助けてくれた英雄なんだもん。世界中にそれを解らせたくって!」
「え」
「だから、あたしが『クシャナの弟子』として剣聖になるの! そしたら師匠であるクシャナが最高の剣聖だって証明になるでしょ。だからあたしを弟子として鍛えて剣聖にして!
お願いしますっ、師匠!」
ぱっと素早く立ち上がり、ナタリーはブンと勢いよく頭を下げてきた。
元剣聖──クシャナは、頭を下げる自称・弟子ナタリーの姿をポカンと見つめる。
寸胴鍋の湯気越しの姿を前に。
「え」
クシャナはやはり間の抜けた声を発する。
「無理無理やめとけ無理無理」
ようやく我に返ったクシャナは至って落ち着いた声で返答した。
「なんでー!」
ナタリーは頭を上げ、屋台のテーブルに身を乗り出してきた。
「あたし頑張るから! 血が出まくるしんどい修行だろうと余裕だよ! 体は頑丈だし」
「むやみな流血はよくないし、頑張るとかいう問題じゃなくてだね」
ぐぐっと顔を寄せるナタリーを湯気越しに見やり、クシャナは首を横に振る。
「俺は弟子なんて取らない。見ての通り、今は悠々自適に趣味で屋台を営んでる隠居生活の身よ?」
「師匠、料理が趣味なんだ」
「誰が師匠だ」
「食べてみたい! ごちそうになります」
「誰も食べさすとは言ってないぞ」
「でも屋台を営業してるんでしょ? 注文するから。えーっとね、まずは卵かなー」
「切り替え早いなぁ」
瞬時に自称・弟子からお客さんになったナタリーは着席し直し、手元のお品書きを眺めている。
クシャナは呆気にとられつつも注文の具材を掬い出した。だし汁もたっぷりかけて給仕する。
「はい、卵」
「いただきます! ──ふっ、熱っふぁあ! はへふへほへ……」
「おちつけ。なんで一口で全部いこうとするのさ……」
あつあつ卵を勢いよく食べたナタリーの口から、沸騰したやかんのような湯気がふーふーと零れる。
熱さに悶えながら頭を揺らしつつ、素早く噛んで飲み込むと──
「おいしい! 味が濃い目だね」
「おー、ありがとうよ。激しいリアクションだったのに、味をちゃんと堪能してくれたとは」
「あはは、『はんぺん』っておもしろい名前だね。なんだろ? これください!」
「魚のすり身だよ──はいどうぞ。ていうか……シンプルにいいお客さんだな」
「おいしー!」
もぐもぐ食べては元気よく味わうナタリーの堪能ぶりを微笑ましく眺めながら、クシャナは十年前のことを思い出す。
「そうか。あの討伐は大陸の西の辺境地帯だったから、ここら東方のおでんの具材ってこの子に馴染みがないのか」
西の辺境シニストラ地域での魔獣討伐。クシャナの剣聖としての最初で最後の務めだった。
神出鬼没である魔獣がその地に現界し、駆け付けた時点で大量の犠牲者が出ていた。山中の村は複数潰滅、麓の町まで魔獣の餌食になる際どい局面で討伐を果たせたことを思い出す。
「あれから十年になるのか」
ぼんやり懐かしむクシャナに、ナタリーは熱のこもった声とともに頷く。
「うん! あのときの師匠、すごかった。あんなバケモノと戦える人が存在するんだって、人が刀だけであんな強くなれるものなんだって、あたし衝撃だった。神様でも見ちゃったのかと思った。
地面が震えて、空気が裂けて、バケモノが斬られて──人間業とは思えなかったよ」
「さすがにそりゃ大袈裟だ」
思わず謙遜すると、ナタリーは真面目に首を横に振る。




