27
終業式が間近に迫ったある日のこと、僕はある人物を屋上に呼び出した。
時刻は一八時過ぎ、空はいい感じに暗い。最終決戦にうってつけの空模様。
僕は座間さんと下校し別れてから、わざわざ学校へと舞い戻ったのだった。どうして、そんなクソ面倒なことをしたのかというと、座間さんに悟られないようにするためである。したこともない浮気の緊張感を、僕は今味わっている。
先日。
休み時間にトイレに行き、その帰路で勢原さんに話しかけられた。常日頃、トイレを見張っているのだろうか。渡されたのは既視感のある封筒。中には手紙と写真が入っていた。
『終業式までに学校をやめないと写真を学校中にばらまく』
相変わらず、筆跡をごまかすための、定規を使ったようなカクカクした文体。
写真は前回のものと似たようなアングルで、下着姿の座間さんが写っていた。
「学前」
勢原さんが一枚の写真を手渡してきた。それは、ある人物が座間さんの下駄箱に封筒を入れる瞬間を収めた写真だった。撮影者は勢原さんである。パーフェクトだ、勢原さん。
「よく撮れたね」
「頑張った」
自画自賛するように、勢原さんは深く頷いた。
しかし、その後は一転暗い表情になり、去り際にぽつりと呟いたのだった。
「――だけど、残念」
同感である。僕も残念だよ。
屋上にやってきた彼女は、僕の姿を認めるなり、騙されたという顔をした。落胆をこえて憤怒の表情である。盗人猛々しい、ということわざが思い浮かんだ。
どうして、彼女が怒っているのかというと、僕が秦野の名を騙って――いや、秦野を使って、彼女を騙したからである。
当初は秦野の名を騙って手紙を書くつもりだったが、もし彼女が秦野の筆跡を知っていたら、それが偽物であると瞬時にバレてしまうわけで。
それなら、いっそのこと、秦野を使って――つまりは協力してもらって――屋上に呼び出してしまおうじゃないか。
そういった次第である。
『今日の六時過ぎ、学校の屋上に来てくれないかな。話したいことがあるんだ』
冷静になって考えてみれば怪しさ満点であるが、恋する乙女というのは情熱的で疑うことを知らないのだろうか。あるいは、冷静と情熱のあいだで揺れ動き、後者が勝利したのだろうか。まあ、彼女の心情を解することなど、どうあがいてもできやしないが。
「どういうこと? 説明してくれないかな、学前くん?」
「よっしーというあだ名は一回限りなのかな、石田さん」
返事はなかった。相当に不機嫌なようだ。
「秦野を使って騙したことは謝るよ、ごめんね。でも、僕が『屋上に来てくれ』って言ったところで、石田さん来てくれないでしょ?」
「そんなことないよ」
石田さんの表情が普段通りに戻っていく。低反発、石田愛。
「そうかな?」
疑問符が頭上に残る。
「……まあいいや。だらだら話すのもなんだし、さっさと本題に入ろうか」
「本題?」
「そう、本題」
懐から出した二枚の手紙を、石田さんに見せつける。
彼女の表情は変わらず、無反応であった。意外と演技派なんだな。微動だにしない。
「これ、君が書いたんだよね?」
「なにこれ? 私、こんなの知らない」
石田さんは、とぼけてみせる。続いて、座間さんの下着写真を見せつけても、やはり「知らない」とのたまう。このまま、のらりくらりと言い逃れるつもりだろうか? だとしたら、舐められたものだな。
「ねえ、もう帰ってもいいかな? 帰ってもいいよね?」
「待ってよ。こっからが本番なんだ」
僕は回り込んで、石田さんの行く手を阻む。
「僕は今から推理を披露しようと思う。君が座間さんいじめの――いわば黒幕であることを証明するための推理だ」
「推理って……」
石田さんは吹きだし、小馬鹿にした声で、
「なんだか、探偵みたいだね」
「まあ、僕は推理小説に出てくるような名探偵じゃないから、完全無欠にはほど遠い穴だらけの推理だろうけど、そこは大目に見てほしいな」
はあ、と石田さんはため息をつき、苛々とした様子で腕を組んだ。
「素人探偵の素人推理を、どうして私が聞かないといけないのかな? 人生は有限なんだよ。なんのメリットもない、ただのボランティアをする義理はないよね?」
うっ、と僕は内心で呻く。素知らぬ表情をキープしながら。
黒幕のくせに図々しいやつだな。普通、そこは『私がやったって証拠はあるの!? あるなら、出してみなさいよ!』とかなんとか食いかかってくるとこでしょうよ。
しっかし、メリットねえ……。
どうせ石田さんが黒幕なんだし、思いきったメリットを提供してあげようか。
「僕の話を聞いてくれたら、そして君が黒幕じゃなかったら、我が友――秦野開成と付き合う権利を、石田さんに進呈しようじゃないか」
「わかった。聞く」
即答である。しかも、食い気味で。許してくれ、秦野よ。
「早く話して」
やれやれ、せっかちな女である。風情も何もあったもんじゃない。
僕は推理を披露するときの名探偵よろしく、ゆっくりと歩きながら話し始めた。
「座間夏波は五月頃から、同じクラスの佐伯、里中、坂本の三人によっていじめられていた。彼女がいじめのターゲットになった理由はいくつかあるだろうが、そのうちの一つが佐伯里奈の下駄箱に入れられた手紙だ。そこには『座間が佐伯たちの悪口を言っている』などという事実無根の内容が書かれていた。まあ、この偽りの告発状がなくとも、座間さんはいじめに遭っていただろうが……でも、これが後押しになったのは間違いだろう。
黒幕――『犯人』とでも呼ぼうかな――犯人は、どうして佐伯たちに座間さんをいじめさせようとし、彼女に学校を辞めるように迫ったのか。犯行の動機――いわゆるホワイダニットだね――それが何か考えてみよう。座間さんのあの内気な性格からして、他人の恨みを買うような言動はまずないだろうし、だとしたら――怨恨じゃないとしたら、色恋。
座間さんと接点がある男子は少ない――というより、ほとんどいなくて、僕と秦野くらいだ。残念なことに、僕は大してモテないので除外すると、残るのは秦野のみだ。犯人は座間さんと秦野の仲を誤解して――秦野が座間さんに好意以上の感情を持っていると誤解して、このような蛮行に及んだんだと思う。
イケメンのモテ男である秦野に恋する女の子――男の子もいるかもだけど――は大勢いて、ここから容疑者を選定するのは無理だから、僕は傍証から選定することにした。
まず、この手紙。筆跡がバレないように書いてあって、それには感心したけど、犯人は一つ些細なミスを犯した。横書きだと左利きの場合、書いた文字の上を手が通過するから、気をつけないと文字が手で擦れちゃうんだ。ほら、擦れてるでしょ。だから、犯人が左利きであると絞り込めた。石田さん、君――左利きでしょ?」
「だから?」
石田さんは挑発的な口調で言い、腕時計をつけた右腕を軽く振った。
「左利きの人なんて、世の中にはたくさんいるよ」
「うん。犯人は秦野に恋する女の子で左利き。これだけだと、候補はたくさんいそうだけど、次の傍証でほぼ特定できるわけだ」
座間さんの下着写真を見せる。
「この写真、体育の授業前後に撮られたものだけど、『体育』というだけで一組か二組の女子生徒に絞り込めるよね。それだけじゃなくて、この写真、画角的に座間さんの右前の席から撮影したものと思われる。この席――実は今現在、僕の席なんだけどね、体操服に着替える際、この席を使っているの石田さんなんだよね?」
「私が使ってるときもあるけど、他の人が使ってることだってあるわけだし――」
「座間さんは『石田さんはいつも学前くんの席で着替えている』って言ってたけど?」
むう、と声を詰まらせる石田さん。しかし、すぐに立て直す。
「私の仕業に見せかけるために、誰かがその席から撮影したのかも……」
「言い訳としては苦しいかな」
僕はそう評価した。わざわざ石田さんの仕業に見せかける必要なんてない、が――。
「でも、まあ――ありえなくはない、か」
「でしょ?」
息を吹き返した石田さんは、意地悪く笑った。
「私がぁ……えーっとぉ、犯人(?)であることを示す確実な証拠がなければ、この話はこれでおしまいだね。疑わしきは罰せず。これが原則だもんね」
「ごめんね、石田さん」
「ううん、いいんだよ――」
「人生で一度くらいは、名探偵を気取って推理してみたかったんだ。茶番に付き合わせてしまって本当に申し訳ない。正直、こんなまどろっこしいことをする必要はなかったんだ。最初から決定的な証拠を提示すれば、それでおしまいだったわけなんだけど……でも、それじゃ、つまらないでしょう?」
「……決定的な証拠?」
「そう。これ」
固まる石田さんの手のひらに、写真を一枚握らせる。
石田愛が、座間さんの下駄箱に封筒を入れる瞬間を収めた写真。
息を呑んだ。青ざめた顔、揺らいだ目は写真に釘付けで、僕が今ここでコサックダンスを踊ろうがオクラホマミキサーを踊ろうが、彼女は決して気づくまい。
沈黙する石田さんに、今度は僕が意地悪く笑う。
「どう? 言い逃れできないでしょ? 反論してみる?」
「……これ、学前くんが撮ったの?」
「いいや、勢原さんに頼んだんだ」
「勢原……あいつっ!」
ぐしゃり、と写真を握り潰して――捨てた。そんなことをしたって、消えはしないのに。
「友達の振りして、私のこと裏切ってたんだ!」
「友達の振りして裏切ってたのは、君も同じだろう?」
「……ふん」
言い返さず、ただ鼻を鳴らすだけだった。
「動機は当たってるかな?」僕は尋ねた。「君は――秦野が、座間さんのことを好きだと誤解して、嫉妬から犯行に及んだ」
「誤解? 誤解なの?」石田さんが取りすがってくる。「開成くんは座間が好きなんじゃないの? 違うの?」
「違うよ」
「でもっ!」
悲鳴じみた叫び声をあげる。
「だったら、開成くんの好きな人って誰なのよっ!? 座間じゃないんだとしたら……勢原、なわけないし……私、でもないし……」
「僕だよ」
前もって準備しておいた回答を僕は述べる。できるだけ自然に、さも当然のように。
「は?」
石田さんは目を瞬かせた。
「秦野の好きな人は、僕――学前良樹だよ」
「……な、何言ってんの?」
想定の範囲外だったのか、めちゃくちゃ動揺している。声が裏返っている。
「クソつまんない冗談、やめてよ」
「冗談を言っているわけじゃあない。僕は本気で言っているんだ」
真剣な表情で言えば、それが嘘だろうともっともらしく聞こえるものだ。そう、真っ赤な嘘である。僕は本気で(嘘を)言っているんだ。
秦野の好きな人が誰なのか、(自称)親友である僕ですら知らない。恋人はいないっぽいが、想い人がいるっぽいことは、いつだったかの発言からも明らかである。
『好きな人はいるの?』『いないと言えば……嘘になるね』
秦野が同性愛者である可能性は低い。多分、違うと思う。が、でっちあげるのなら、石田愛が諦めのつく相手であるほうが好ましい。
秦野の恋愛対象が男性ならば、女性である自分はそもそも恋愛対象外である――そう諦めがつくし、彼女のプライドも守られる。
「え、本当に? だって、開成くんは男で、学前くんも男で……」
「考えてごらん。秦野みたいなモテ男が、これだけ女の子に告白されても、試しに誰かと付き合うこともなく、そのすべてを断っている。そして、彼ほどのイケメンが、好きな人に自分から告白せずにいる。それはなぜか? 恋愛対象が男性だから――」
「とは限らないでしょ」
正論である。
秦野がお試しでも付き合わないのは、彼が実直な男だからであり、
秦野が好きな人に告白しないのは、彼がシャイな男だからである。
以上、学前良樹の推測――終わり。
「本人から聞いたんだ。だから、間違いない」
間違いしかないのだが、ここは自信満々に頷いておくしかない。ゴリ押しするしかない。
「……本当に?」
「本当だとも」
現実を理解し受け入れるまでには、いくばくかの時間を要したようだ。がっくりと肩を落とした石田さんは、深くため息をついた。
「そっかー。開成くんが……だから、私は振られたんだ」
いやいや、君が秦野に振られたのは、付き合うほどの魅力を感じなかったからだよ。
それにしても不思議だ。石田さんはすでに秦野に振られていて、つまりは『脈なし』なわけだ。それなのに、どうして座間さんを排除しようとしたのか――。
納得できる回答は期待せずに、それでも気になって尋ねてみた。
「開成くんが、座間みたいな根暗女と付き合うのが許せなかったから」
ぼそっとふてくされた顔で石田さんは答えた。
「座間さんじゃ、秦野と釣り合ってないってこと?」
「だって、そうでしょ!? 開成くんはスクールカーストトップで、座間は最底辺。どう考えても、釣り合ってない! でしょっ!?」
僕はそうは思わないけど。
「別に釣り合ってなくてもよくない?」
「よくない! 座間は、開成くんにはふさわしくない! 開成くんにはもっとふさわしい人がいる――」
「でも、それは君じゃない」
指摘すると、睨みつけられた。おお、怖い。
「いろいろ疑問が残るな。せっかくだし答えてよ」
沈黙を肯定と受け取り、僕は続きを言う。
「恋敵――とでも言えばいいかな――を排除するにしては、やり方が手ぬるくないかな? 脅迫状だって二通しか送らなかったし。どうして?」
「……自信が、なかったから。開成くんが本当に座間が好きなのか、自信がなかったから――だから、一通目を送ってからは様子見してたの。あの後、二人はよそよそしくなったし、それに冷静に考えてみると、開成くんが座間なんかを好きになるわけないじゃないって、そう思ったの。でも、学前くんが転校してきてから、二人の距離がまた近くなって、やっぱり開成くんは座間のことが好きなんじゃないか、って気持ちが再燃してきて……」
うーむ、人の心は複雑怪奇。
矛盾というか不合理というか一貫性がないというか、実にちぐはぐであり、そこが実に人間らしいと言えなくもない……のか?
「でもさ、仮に秦野が座間さんを好きだとして、座間さんがいなくなったところで、君が秦野と付き合えるわけじゃないでしょ?」
僕の素朴な疑問に、石田さんは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「屈辱的だけど、座間の次に好きなのが私だったら、座間がいなくなれば――一番好きなのは私になるでしょ?」
「……は? 何言ってんの?」
頭が痛い。僕には理解不能な思考回路である。
好きな人って普通は一人なんじゃないのか? 一番好きな人、二番目に好きな人、三番目、四番目――といったように、順位付けされるものなのか?
一番が消えたら、二番が繰り上がる。恋愛感情ってそんなシステマチックなの?
いや、一番のツッコミどころはそこじゃなくて――。
「石田さん、君は自分のことを高く買いすぎだね。秦野にとって君はヒロインでもヒロイン候補でもなく――言うなれば、ただのモブキャラにすぎないんだよ」
「モブキャラ? 私が? 開成くんにとって?」
信じられない――いや、信じたくない、といった顔をする石田さん。
「気づいてなかったかな? 秦野は君の名前――石田愛という名前すら、うろ覚えなんだけどな。まあ、恋は盲目って言うしね、自分を客観視するのはなかなか難しいとは思うけれど……でも、そろそろ現実を見たほうがいい。石田愛は過去に秦野開成に告白して振られている。それが事実であり現実だ。今後、何度告白を繰り返そうと、結果は同じ。白馬の王子様は君に振り向いちゃくれないよ」
かなり攻撃的な物言いになってしまったが、これでも彼女が犯した罪のことを考えると甘すぎると言えよう。もっと暴言や暴力を振るってしかるべきなのかもしれないが、僕は温厚篤実な平和主義者なので、そのような野蛮な立ち振る舞いはしない。前に一度、ぶん殴ったような気がするが、きっと気のせいである。
石田愛がその場に崩れ落ちる。物理的にも、精神的にも。彼女は人目もはばからずに、大声でみっともなく泣き始めた。
それを見て、僕は――白けた。
加害者のくせに被害者ぶってんじゃねえよ。
そう言ってやろうかとも思ったが、代わりに口を衝いて出たのは、
「ねえ、石田さん。石田愛さん。これは僕からのお願い――いや、命令なんだけどさ、座間さんの前から消えてくれよ」
「……どういう、意味?」
「転校オア退学、好きなほうを選んでくれてかまわないよ」
「そんな……」一瞬、絶句する。「そんなの、できるわけないじゃないっ!」
「できる、できないじゃない。やれ。命令だって言ってるだろう。君に拒否権はない」
「……親に、なんて言えばいいの……?」
「それは自分で考えてよ。でも、まあ、一つアドバイスをするのなら――いじめのことを正直に両親に話すべきだと僕は思うな」
泣きじゃくる石田愛を放置して、僕は屋上を後にする。去り際に一言。
「あ、そうそう。自発的に退学なり転校なりしなければ、校長に言いつけて君を退学にしてもらうから、そのつもりで」
じゃあね、と最後に手を振った。
屋上のドアを閉めると、石田愛の泣き声は聞こえなくなった。




