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夜中の学校というのは、どうしてこうも胸が躍るのだろう。
閉ざされた校門を前にして、僕は胸の高鳴りを抑えられなかった。校門付近には監視カメラが二台設置されているが、これらがダミーであることを僕は知っている。正確には、『壊れて機能を失った監視カメラの成れの果て』なのだが、まあダミーと呼んでも差し支えないだろう。
本来、僕一人で『ビラ配り』をする予定だった、が――座間さんが「学前くん一人にやらせるわけにはいきません」と頑なに主張するので、彼女にも手伝ってもらうことにした。
紙袋の中には、佐伯と里中の写真がそれぞれ二百枚ほど入っている。
コンビニだと高くつくので、我が家のコピー機で刷った。拡大コピーしたので、若干画質が悪くなってしまったが、まあ妥協の範囲内だろう。写真のみだと、イトセンや佐伯や里中を知らない人たちに伝わらない恐れがある。僕はできるだけ多くの人々と、情報を分かち合いたいのだ。ということで、下部に説明文を追加した。
『伊藤拓夢教諭と佐伯里奈の交際写真』
『里中美優。パパ活の様子』
できるだけシンプルにした。週刊誌風に過激なタイトルと誇張した文章で彩ろうかとも考えたが、それだと少々悪趣味で品がないのでやめておいた。できるだけ上品でありたいものだ、と僕は常々考えているのだ。
周囲に人がいないことを確認し、走り高跳びの要領で校門を乗り越える。背面跳びをするとコンクリートの地面に激突しかねないので、ベリーロール風味である。すちゃ、とエレガントに着地。
身体能力が高いとはお世辞にも言えない座間さんは、校門を乗り越えるのに恐ろしく苦戦している。そり立つ壁でも攻略してるのかな、と思わせるほどに。そこまでの高さじゃないと思うんだけどな。少女が苦戦している様を見て愉快がる趣味はないので、手伝ってあげる。
座間さんの黙礼に、僕は大仰に頷いて見せる。なんだこれ。
敷地内を歩き、まずは昇降口に向かう――そこで、悲劇が起きた。
「あっ……鍵、かかってる」
監視カメラもまともに機能していないセキュリティーガバガバ高校のくせによぉ……誰だよ、きちんと鍵かけやがったのは!
「割っちゃう? 窓ガラス割って侵入しちゃう?」
「駄目ですって、それはっ!」
座間さんNGが入ったので、僕はしぶしぶ諦めた。彼女がまともな倫理観と道徳観を持ち合わせていることに改めて感動し、同時に僕の倫理観と道徳観はいつ頃欠落したのだろうか、と再考した。僕は本来的にこういった人間のような気がしないでもない。
廊下にばらまくことは諦め、昇降口の窓ガラスにセロハンテープでぺたぺたと貼っていく。二人で一〇枚ずつ。うん、懸賞首のポスターのような趣があるね。ある種の前衛芸術だと言い張ることもできそうだ。
貼り終えるのに、大して時間はかからなかった。
座間さんと二人、夜の徘徊を楽しむ。一生に一度しかない、特別なデート(?)である。
様々な要素がミックスし、僕はきわめて高揚している。一方、座間さんの表情は硬い。復讐のためとはいえ、彼女の良心はいくばくかの呵責に苛まれているのだろう。
「座間さん、嫌なら僕一人でやるよ」
「いえ、大丈夫です。私も手伝います――いえ、私を手伝ってください」
座間さんの発言に、断固たる強い意志を感じた。頼もしいね。
さあ、どんどん貼って、どんどんばらまいていこう!
豆まきみたいにグラウンドにばらまけば、夜風で写真が方々に散っていく。散り行く夜桜のようで綺麗だ。続いて、部室棟の出入口に貼りつけ、体育館裏にばらまき、講堂の壁に貼りつけ、プールサイドにばらまいていく――。
「そういえば、座間さん。期末テストの勉強してる?」
「全然してません」座間さんの顔は夜空に浮かぶ月と同じくらい青白い。「学前くんは?」
「いやあ、僕も全然勉強できてないんだよね」
むろん、謙遜などではない。近年稀に見る多忙っぷりと意欲のなさから、僕のもともと少ない勉強時間は皆無に果てしなく近くなった。期末テストがお楽しみですね、ぐへへ。でも、まあ、指定校推薦を狙っているわけじゃないので、赤点さえとらなければそれでいいんだ……大丈夫だよね?
「すみません、私のせいで……」
「なにかと謝るの、君の悪い癖だよ。治したほうがいい」
「すみませ――あっ、ごめ――あっ。うっ、ううっ……」
犯行が露呈した殺人犯のように、座間さんはがっくりと肩を落とした。
今が夏なら、夜のプールで泳ぐことだってできたかもしれないのに、と僕は思った。だがしかし、まだ冬なんだよな。当然、水がはられているわけもなく。底は深淵のように澱みきっている。あー、生まれたままの姿で泳ぎてえなあ。
座間さんは伽藍洞のプールを見つめ、なぜか照れくさそうにしながら、
「な、夏になったら……い、一緒に、海とかプールとかに行きたいですねっ」
「そうだね。座間さんの水着姿を拝見いたすのが実に楽しみだ」
うっ、と呻いた座間さんだったが、僕に対抗してか「私もっ、学前くんのブーメランパンツ見るの今から楽しみです」
「僕、そんなきわどい水着着ないよ」
「私も露出の激しいビキニとか着ませんよ」
確かに、座間さんのビキニ姿というのはなかなか想像しづらいな。一番想像しやすいのは、胸元に名前のワッペンがついたスクール水着姿の座間さん。鼻血が出てないか心配になり、何気なく鼻に手を当ててみる。
「今、私のビキニ姿想像しませんでした? ……しました、よね?」
「ビキニは想像してないよ。スク水は想像したけれど」
「……学前くんのエッチ」
いつかの意趣返しのつもりか、座間さんは赤い顔でそんなことを言った。
なんだこれ、アオハルじゃないか。
天を仰ぐ。雲一つない夜空に、星々が点々と散らばっている。微妙に欠けた月が、一番存在感を放って輝いている。黙って夜空を眺めるのも、なかなか乙かもしれない。月明かりに照らされた座間さんの横顔がすごく綺麗で、星や月よりもこちらに見惚れてしまった。
プールサイドにばらまかれた写真が、ひらひらと揺れる。ふと冷静になって考えてみると、プールサイドにばらまく必要まったくないよな。資源の無駄遣いも甚だしい。回収しようかな――いや、めんどくさいし潔く諦めよう。
プールを後にする。今なら、雰囲気的に手を繋いでも全然許されそうだったが、意識してしまうとなかなか繋げないものだね、手って。距離が縮まっているのか、そうでもないのか、よくわからんな。
帰りに、校門前で在庫処分セールを行う。ずっしりと重量があった紙袋がぺちゃんこである。完売御礼。
嗚呼、明日の朝が楽しみだな。
終電が近い時刻なので、座間さんを自宅まで送っていく。何度か主張しているかもしれないが、僕は紳士なのだ。紳士の定義が何かはわからないけれど。
マンション前に到着、任務終了。最後に、座間さんがエントランスに入るまで、にこやかに見送ることにした。一流のホテルマンみたいに。しかし、彼女は一向にオートロックを開けようとしない。もしや、鍵をなくしたのか?
「あのぉ……よかったら、うち泊まっていきます?」
「ハハハ」
僕は笑った。冗談としてはいまいちな切れ味だったが、笑ってやるのが情けというもの。
「いえ、冗談とかじゃなくて……」座間さんはスマートフォンの画面を見つめながら、「終電、もう終わっちゃいましたよ?」
「ハハハ……え、マジで?」
「マジです」
水戸黄門の印籠みたいに、座間さんはスマートフォンの画面を見せつけてきた。なるほど、確かに次の電車は早朝だった――ってことは、さっき乗った電車が終電だったのか? マジかよー。
「どうします? 泊まっていかれます?」
座間さん、なんだか積極的な口調のような――気のせいか。
明日が休日なら検討の余地ありありだが、残念――明日は平日である。制服は自宅なので、なんにせよ一度は帰宅しないといけない。あーあ、私服じゃなくて制服だったら、座間さん宅に泊まれたのになー。
「いや、歩いて帰ることにするよ」
本当はタクシー呼んで帰りたかったが、高校生の僕にそんな財力はない。自宅まで歩いてどれくらいかかるだろう――四〇分とか、いやもっとか? 夜道を全力で駆け抜ければ、半分以下の時間に短縮できるはずだ。
「そうですか……それは残」
「残?」
「残――酷なほどに大変ですよねっ! 頑張ってください! それでは、また明日!」
エントランスに駆けこんでいった座間さんを見送ると、僕は人気のない夜道を歩きだした。襲いくる眠気覚ましのために、るんるん鼻歌を奏でていたら、向かいからやってきたサラリーマンに鼻で笑われた。ああ、眠い……。




