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 火曜日。

 今日は二月一一日。建国記念の日であり、つまりは祝日である。


 祝日でも授業がある悪魔的な高校も存在するらしいが、我が詩頓高校はきちんと休みである。朝遅くに起床した僕は、とくにやることもなかったので暇つぶしに、最近買い換えたテレビで映画鑑賞していた。一本目を観終え、二本目は何がいいかな、と探していると、テーブルの上に放置されたスマートフォンが震えた。


 鶴巻からだった。

 出るか無視するか悩む。


 放課後、一人孤独に尾行を行っている鶴巻は、話し相手を求めてときおり僕に電話をかけてくるので、今回もその類の――つまりは暇つぶしだと思ったわけだけだ。せっかくの祝日を自主返納して尾行に励む鶴巻に敬意を表し、電話に出てやることにした。

 で、いざ電話に出てみると、鶴巻は盛りのついた猫みたいに興奮していた。


『おいおい、とんでもない場面を目撃しちまったぞ!』

「とんでもない場面?」

『なんとだな、里中がラブホテルに入っていったんだよ!』

「ふうん。彼氏と?」

『ちげえよ。パパ活だよ――いや、これは売春っていうのかな? まあいいや。それで、だ。相手は誰だと思う?』


 そう聞いてくるってことは、僕が知っている人物なのか。

 彼氏じゃないと一目でわかるくらいだから、相手は学生ではないのだろう。彼氏と呼ぶには苦しいくらいの年齢差、ということはつまり――。


「教師なんだね?」

『そうだ。つっても、イトセンみてえな若造じゃないぜ。なんと――校長だ』

「な、なんだってー」


 キャバ嬢や風俗嬢に入れあげているという噂のある校長が、まさかパパ活おじさんでもあったなんて。紳士面してる奴ほど実際は助兵衛なんだな、と僕は思った。

 にしても、自分の学校の生徒とホテルに行くなんて頭おかしいよな。狂ってやがる。

 しかし、これはチャンスと言えなくもない。はからずも校長の弱みを握ったわけで、これを使って脅しをかければ、三人を確実に退学に追い込むことができるわけだ。


「写真はちゃんと撮ったんだろうね?」

『あ、やべっ。興奮のあまり忘れてたぜ』

「おいおい。しっかりしてくれよ」

『ホテルから出てくるとこはちゃんと撮るから安心してくれ』

「頼んだぞ」


 電話を切った僕は二本目の映画を観始めたが、まるで内容が入ってこない。

 普段、さほど緊張しない僕が、柄にもなく緊張している。


 鶴巻を信用していないわけじゃないが――ただ、この好機を逃したくない。里中と校長のツーショット写真が撮れれば、校長を脅すこともできる。脅すというと物騒な表現だけど、つまりは保険である。


 定年間近、外聞をやたらと気にする校長のことだ。三人の醜聞が広まったら、なんとかして揉み消そうとするはずだ。それを阻止し、三人を確実に退学させるための切り札が、パパ活写真である。


 これが風俗に入る写真なら、ばらまかれても恥辱の極みで済む話だが、パパ活写真をばらまかれれば、もれなく校長も『退学処分』となるわけで。退職金は当然のごとく蒸発するだろうし、下手すれば未成年淫行だかで逮捕である。

 なので、校長は僕に従わざるを得なくなるのだ。

 二本目の映画を観終えたタイミングで、再び鶴巻から電話がかかってきた。


『最高の写真が撮れたぜ』

「ということはつまり、里中と校長がホテルから出てきた瞬間をうまく撮れたんだね?」

『ああ。すぐに送ってやるよ』

「ありがとう、鶴巻。僕はね、お前はやればできる男だとずっと思ってたんだ」

『と、ところで、報酬といっちゃなんだがさ、学前って確か姉貴いるんだったよな。よかったら、俺に紹介して――』

「今度、ビッグマックでも奢ってやるよ」


 一方的に報酬を告げると、僕は電話を切った。

 鶴巻みたいな変態を姉貴に紹介したら、鶴巻が――ついでに紹介者の僕も――姉貴に処刑されてしまう。僕は善意から、鶴巻のお願いを無視したのだ。


 彼の言う通り、写真はすぐに送られてきた。

 里中と校長が連れ立ってラブホテルから出てきた瞬間を、見事にとらえた写真だった。

 佐伯と伊藤のイチャラブと違って、二人の距離感はビジネスライクな感じで、割り切った関係だとこうなるのか、と僕はまた一つ無駄な知見を得た。

 私服の里中は高校生には見えず、私服の校長はただのパパ活おじさんだ。自分の孫と同年代の少女と金銭で関係を持った、という事実に対し、罪悪感など負の感情を抱かないのだろうか? 抱かないんだろうな。


 もう一枚、写真が送られてくる。

 別れ際の一瞬を切り取った一枚である。お別れの挨拶――ラブホテル前の路上で手を振りあう二人、営業スマイルの里中に対し本気スマイルの校長。現代芸術家鶴巻大和氏が描いた社会派アートのように思えてきた。


 僕は二枚の写真を保存すると、鶴巻にお礼のメッセージを送った。彼から返ってきた煩悩に満ちた礼の要求を、僕は未読無視した。

 再度、二枚の写真を確認する。校長の左手薬指で鈍い輝きを放つ結婚指輪が目についた。奥様の心中を勝手にお察しし、僕は悲しくなった。


 それから、三時間半後。

 もうすぐ超大作が観終わるぞ、といったタイミングで、またもや鶴巻からメッセージが送られてきた。里中が見知らぬおじさんとラブホテルから出てくる写真だった。一日に複数のパパ活に励むとは勤勉だな、と僕は感心しなかった。


 続いて、プレゼント用の包装紙に包まれた小箱の写真が送られてきた。『ミユより♡』とかわいらしい文体で書いてある。間違えて送ってきたのかな、と思い尋ねてみると――。


『すれ違いざまに校長のポケットに仕込んでおいたんだ。これがもし、奥さんに見つかったら面白いことになると思わねえか?』


 一〇〇万回混ぜた納豆並みに粘着質な口調で、鶴巻は言った。校長に何か恨みでもあるのかな――ありそうだな。


「まあ、修羅場待ったなしだろうね」


 ちなみに、校長の奥様は恐妻であるとのこと。

 パパ活を疑われるかはわからないし、風俗通いを疑われるかもわからないが、『ミユより♡』なんて書かれた小箱が見つかれば、まず間違いなく不倫は疑われるだろう。


「で、箱の中身はなんなのさ?」

『ふっ。そうだな、言うなれば――マクガフィン、ってところかな』


 なんかハードボイルドな口調である。ちょっとうざい。


「どうせ、ろくでもないものなんでしょ?」

『知りたいか、マクガフィンの正体を――』

「いや、どうでもいいっす」


 電話を切る。すぐに電話がかかってくる。ごほん、とわざとらしく咳払いする鶴巻。


『なあ、さっきの続きなんだけどさ、姉貴じゃなくていいから、誰か紹介してくれよ。頼むよ。俺、めちゃくちゃ頑張っただろ?』

「うーん、鶴巻に紹介できそうな人か……ああ、鶴巻みたいなのが好みの人そういやいたな」

『え? マジで? どんな人?』

「身長一六〇センチくらいで、かわいらしい顔立ちをしていて、年齢は二〇歳だったかな――」

『紹介してくれ』

「ただ、その人――男性なんだよね。それでもよければ」


 電話が切れた。

 美人でも男性は無理なのか、と思っていると――再び電話がかかってきた。


『やっぱ、紹介してくんない?』



 ◇


 水曜日が何事もなく過ぎ去り、翌木曜日の昼休みである。

 昼食をぺろりと平らげた僕は、急激に尿意を催しトイレに駆け込んだ。現代日本には、連れションという大衆文化が存在するわけだが、此度は僕一人である。放尿に関する詳細な描写については、記したところで誰の得にもならないと思うので、割愛。


 すっきりとした気分で、爽快に廊下を歩いていると、見知らぬ女子生徒に「お前、学前?」と突然声をかけられた。初対面で呼び捨て?


「……誰?」

「三組の勢原」

「セハラセハラ……ああ」


 座間さんの友達にそんな名前の人物がいたことを思い出す。

 勢原さんは、座間さんと同じかそれ以上に小柄な体躯で、しかし座間さんのような弱々しさは感じられない。半開きの眼で、僕の顔をじっと見つめてくる。不思議系というか、オカルティックな雰囲気でちょっと怖い。


「僕に何か用?」

「別に。用がなかったら、話しかけてはいけない?」

「うん、駄目だよ。駄目に決まってるじゃないか」

「…………」

「冗談だって。用がなくても、がんがん話しかけてくれちゃってかまわないよ」

「……軽薄な奴」


 勢原さんの中での学前良樹評がどんどん下がっていくのを、僕はひしひしと感じた。

 百倍希釈の極薄表情な勢原さんは抑揚の抑制された声で、


「本当に、座間の友達?」

「そうだよ。友達だよ」

「俄かに信じがたい」

「確かに信じがたい」僕は言った。「君も、座間さんの友達なんだよね?」

「そう」


 勢原さんは淡々とドライな口調で言った。彼女と座間さんが友達であるという事実が、俄かに信じがたい――いや、タイプが異なるからこそ、友達になるのだろうか。

 僕の友達もみんな、僕とはずいぶん異なるタイプの人間だし。座間さんも、秦野も、鶴巻も、その他の友達も――。


「勢原さん、右利き?」

「……え?」抑揚のなかった声に、揺らぎが生じた。「右利きだけど……それが?」

「奇遇だね、僕も右利きなんだ」


 必要性のまるでない質問をしてしまったな、と反省。


「勢原さんは、座間さんとどこで知り合ったの? 部活? それとも――」

「選択科目の美術」勢原さんは食い気味に答えた。「部活は違う」

「二組の石田愛さんとも――あ、いや違うか。彼女とは体育の授業で知り合ったのかな」

「石田も美術選択。デッサンをやるときに、私と石田と座間の三人でやった」

「じゃあ、石田さんとも友達?」

「かもしれない」


 勢原さんは首を傾げながら頷くという器用な仕草をする。


「あ、そう。ところで、勢原さんは座間さんがい――」


 僕は口をつぐんだ。僕たちのすぐ横を、里中が大股で足早に通り過ぎていく。香水のきつい臭いがした。目で追う。彼女は踊り場で向きを変えると、階段を上っていく。取引が何も放課後に行われるとは限らないじゃないか。


「じゃあね」


 話を切り上げ、勢原さんに別れを告げた。

 里中が上っていった階段を素通りし、奥の階段まで廊下を走る。階段を二段飛ばしで駆け上がり、屋上へと続くドアを押し開ける。屋上には誰もいなかった。隠し撮りできそうな場所を大急ぎで探す。


「何探してるの?」


 わっ、と驚き振り向けば、勢原さんが突っ立っていた。ほとんど息は乱れておらず、足音も気配も感じなかった。座間さんと違って運動ができるタイプなのか。


「え? なんでいるの?」

「なんでって、学前が突然走り出したから」

「それでついてきた、と?」

「そう。で、何を探しているの?」

「いや、隠し撮りできそうな場所とかないかなあ、って」

「隠し撮り? どうして隠し撮り?」勢原さんは少しだけ険しい顔をする。「……まあいいや。そこなら隠し撮りできる、かもしれない」


 勢原さんは背後の塔屋を指差した。給水タンクの陰とか隠れられそうだ。


「おお、なるほど。盲点だった。灯台下暗し、ってやつだね」

「は?」


 険しい顔の勢原さんを尻目に、僕は塔屋にかかった梯子を上る。

 本当はレディーファーストと行きたいところだけど、勢原さんが先だとスカートの中が見えてしまう恐れがある。僕は別に勢原さんの下着を見てもかまわないのだけど、勢原さんは別に僕に下着を見られたくはないはずだ。

 上り終えた僕は紳士的に手を差し伸べる。


「……私も上るの?」

「もちろん」

「もちろん?」


 勢原さんは疑問符を浮かべながらも、梯子を上ってくれた。ついでに僕の手も握ってくれた。


 上り終えるのと同時に、屋上のドアが開いた。現れたのは、二年の見知らぬようでいて見知っている男子生徒だった。僕に舌打ちをくれてきた野郎だ。彼は浮足立った様子で屋上をうろつく。尿意を必死に我慢する様子に似ている。

 僕はスマートフォンのカメラを起動させ、彼にフォーカスを合わせると録画ボタンを押す。


 それからすぐに坂本が現れた。

 こんにちは、などの定例的な挨拶は省略され、一言目から本題に入る。


「今回の、前のよりキマるんだって?」

「そうそう。前のより質がいいやつだからね」


 ただ、と坂本は強調する。


「質がいい分、値段もちょっと高くなっちゃうけど」

「ちょっとってどれくらいよ?」

「グラムあたり五百円ほど」


 おい、ちょっと待て。お前、前回と同じ金額で購入しただろうが。強かだな、これが『ビジネス』ってやつか――。


「五百円か……」彼は悩んでいた様子だったが、「わかった。二グラム、買うよ」

「毎度あり」


 坂本はジッパー付きの小さなポリ袋を、スカートのポケットから二つ取り出すと、何枚かのお札と引き換えに渡した。麻薬の種類は分からずじまいだったが、なんにせよ麻薬である以上、麻薬取締法違反である。


 取引を終えると、二人は別れの挨拶もなく、時間差で屋上を後にした。

 録画を終了すると、僕たちは給水塔の陰から出た。勢原さんはたった今まで行われていた非日常的な取引について一切の興味がないのか、僕に何の質問もすることなく、


「今のが、撮りたかったやつ?」

「うん、そうだよ」

「ふうん……それじゃ」


 勢原さんは梯子を下りて、屋上から立ち去ろうとする。僕は慌てて梯子を滑り降りると、彼女の腕をつかんで引き留めた。


「……何?」

「敵の敵が味方であるように、友達の友達は親友であるはずだよね」

「支離滅裂かつ意味不明」

「つまりだね、君に頼み事があるわけだ」

「断る」


 びっくりするくらいに即答だった。


「まあまあ、引き受けるか断るかは話を聞いてからでも遅くはないんじゃない?」

「遅いと思う。それじゃ――」

「座間さんに関する頼み事なんだ」


 ドアを開けようとしていた勢原さんの動きが静止する。友達である座間さんに関わるとあらば、無下に切り捨てることはできないのだろう。小さくため息をこぼすと、不本意そうな顔で僕に向き直る。


「話して」


 僕は彼女にある頼み事をした。



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