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 本日の授業について語るべき事柄は何もなく、気がつけば放課後を迎えていた。

 強いて言えば、ランチを一緒に食べないか、と座間さんを誘って断られたことが、本日のハイライトに載るか載らないかってくらいか。

 彼女が僕の誘いを断ったのは、僕たちと一緒にランチと洒落込めば、悪目立ち間違いなしだからだろう。


 座間さんは目立つことを嫌う。どこかの殺人鬼のように、植物の心のような生活に憧れを抱いているのだろう。世の中に目立ちたがり屋の人間が存在するように、その逆の人間もまた確かに存在するのだ。


 さて、ここからが本番である。

 下品な言い方をすれば、ここまでは――放課後までは前戯だったわけだ。

 僕が赤い布を前にした牛のように鼻息荒く、座間さんの席に向かうと、「あ、ちょっと待ってください」と言われてしまった。


「部活に顔出してきてもかまわないですか?」

「もちろん、かまわないよ」僕に許可とる必要なんてないぜ。「文芸部だったよね?」

「はい。しばらくの間、部活を休ませてもらおうと思いまして、そのことを部長さんに伝えにいきたいんです」

「そっか。いってらっしゃい。下駄箱らへんで待ってるから」

「わかりました」


 ここで声のトーンが落ちる。


「あの……対象が帰宅するようなら、私にかまわず尾行してください」


 座間さんの真剣な口調に、僕は気圧される。


「う、うん……わかった」


 座間さんが立ち去るのと入れ替わりで、にやついた鶴巻がやってくる。スケベの擬人化みたいな顔をしてやがるな。


「うっす」

「……なんだよ?」

「いやあ、座間とずいぶん仲良さげだなあ、と思いましてね。学前殿もなかなか隅に置けませんな」

「鶴巻ってさ、股間に脳がついてそうな顔してるよな」

「どんな顔だよ」


 掃除当番の生徒たちが机と椅子のセットを持ち上げ後ろに下げていく。二人の男子生徒――ダブル鈴木が、ほうきをライトセーバーに見立ててスターウォーズごっこを始め、吉田さんにブチギレられていた。


 こいつらアホだなあ、と思っていると、「学前、鶴巻――邪魔」と吉田さんに言われ、僕たちは追い出されるようにして廊下に出た。同じく廊下に出てきた秦野が、「じゃあね」と僕たちを含むクラスの下々に挨拶し、テニス部へ颯爽と旅立っていった。

 僕と鶴巻は廊下の壁にもたれてお喋りする。


「にしても、お前ら急に仲良くなったな。さては告ったな? 座間に告ったな?」

「いや、告ってないって。まあ、でも、ここ数日でいろいろあったんだよ」

「聞かせろよ。そのいろいろってやつをよぉ」


 鶴巻になら話してもいいだろう、なんだかんだ言っても友達なんだし。

 そう思い、口を開いた瞬間――。


「でさー、そんときサトミがさー」


 例の三人が教室から出てきた。僕は喉奥で出かかった言葉をキャンセルする。ほんの一瞬、佐伯がこちらを見てきたが、瞬時にして興味を失ったのか視線を戻し、三人仲良くお喋りしながら廊下を歩いていった。

 一〇メートルほど距離があいたところで、僕は尾行を開始した。急に歩き出した僕を、二テンポくらい遅れて鶴巻が追いかけてくる。


「あ、おいっ! 帰るのか?」

「鶴巻。この後、空いてる?」

「あん? まあ、部活をサボりゃあ空くけど……ゲーセンにでも行くのか?」

「これから尾行するんだ。鶴巻もどう? 僕と一緒にレッツ・ストーキングしない?」

「尾行って、あいつらをか?」


 鶴巻は顎をしゃくって、三人を指し示す。


「そう、三人を――正確に言うと、里中と坂本を尾行するんだ」

「なんだよ。佐伯はいいのか?」

「うん。佐伯の弱みはもう握ったから」

「弱みを握ったってなんだよ? つーか、弱み握ってどうするつもりなんだよ? まさか、あんなことやこんなことを――」


 鶴巻が実に鶴巻らしいドスケベな妄想を繰り広げる中、僕は座間さんに『これより尾行を開始する』とメッセージを送った。こういう芝居がかった文体のほうが、彼女は喜びそうだと思ったからだ。すぐに返信が届く――『了解であります。ご武運を』。はて、僕たちは一体、なんのロールプレイングをしてるんだ?


 校門を出たところで、壮大な復讐計画について話した。興味があるんだかないんだかよくわからない表情で、鶴巻はしきりに頷いている。


「その計画、俺は賛同するぜ」


 と、鶴巻は言った。


「目の上のたんこぶっていうか、あいつらがいなくなったほうが、クラスの雰囲気がよくなるのは間違いないからな。俺としても、あいつらが消えてくれたほうが嬉しいし……ああ、いや、告って振られたことを逆恨みしてるわけじゃないからな! 勘違いすんなよ!」


 問い詰めたわけでもないのに、勝手に弁解する鶴巻。

 そっか。そういや、鶴巻は三人全員に告白して、ただ振られるだけじゃなくて、人間性を否定され、なおかつ罵倒され、さらには無視されるようになった、とか言ってたもんな。そりゃあ、恨むよなあ。


「で、握った佐伯の弱みって何よ? イトセンと付き合ってるってやつか?」

「そう、その具体的な証拠だよ」


 歩きながら、スマートフォンに保存された二人のラブホ写真を見せる。

 ラブホテルに入っていく写真と、ラブホテルから出てくる写真――それぞれ厳選した一枚である。二人の弛緩した表情、しっとりと濡れた髪、少しだけ皺のついた服。最近のスマホのカメラってすごい高画質なんだよな、と改めて思う。

 鶴巻は目を見開き、食い入るように見つめている。ちょっと――いや、だいぶキモい。


「な、なあ……」 


 野郎の荒い鼻息は、ただただ不快なだけである。


「これってよぉ、つまりよぉ」


 興奮のあまり、鶴巻はラッパーみたいな口調になっている。


「佐伯と伊藤はそういう関係にあるってことだよな? つまり、日常的にげふんげふんしてるってことだよな?」

「日常的かどうかは知らんけど、不純異性交遊はしてるだろうね」

「うわあ、まじかよ……許せねえな、イトセン」


 モテない男の僻みにしか聞こえないのが、ひどく切なかった。


「生徒に手を出すようなドグサレ教師はクビにすべきだよな。そうだよな、学前!」

「鶴巻、うるさい。声のボリューム落とせ」


 三人が振り返る気配を感じたので、鶴巻の首根っこを掴んで歩道橋の陰に隠れた。僕たちの後ろを歩いていた女子二人組が、忍者か変態を見るような目を向けてきた。前者であってほしいな。


 歩道橋の階段の裏側から、顔だけ覗かせる。

 尾行に気づく気配はなさそうだ。私、誰かに尾けられてるかも、なんてなかなか思わないもんな、普通。少なくとも、僕は思わない。


「変装アイテムとして、帽子とマスク持ってきたんだけど、どう? つける?」と僕。

「マスクしてる奴あんまいないし、帽子も目立つんじゃないか?」と鶴巻。


 というわけで。僕たちは素顔をさらけ出したまま、尾行を続ける。

 傍から見たら、探偵ごっこに興じている痛い二人組である。痛さ=青さであるならば、これもまた青春であると言えよう。一〇年後、高校時代、友達と探偵ごっこしたな、と若き日を思い出すかもしれない。


 さて。

 かつて全裸だった人類が衣服で肉体を隠すようになったように、今現在、素顔をさらしている我々もルッキズムの果てに、将来的に仮面で素顔を隠すようになるのではないか――と、社会派チックなことを考えていると、座間さんからメッセージが届いた。


『部長さんとのお話終わりました』『今、どこにいますか?』


 鶴巻とともに尾行中であることを伝えると、『舞池駅で落ち合いましょう』と返信が来た。サムズアップスタンプを送っておいた。

 舞池駅に到着すると、三人は駅舎ではなく、お洒落で高そうなカフェへと吸い込まれていった。僕たちが入るには、いろんな意味で敷居が高い。近くにベンチがあったので、そこで暇つぶしにゲームの話をしていると、


「あっ。やっぱり、学前くんと鶴巻くんだっ!」


 一人の女子生徒が駆け寄ってきたが、彼女がどこの誰なのか僕にはわからなかった。 

 同じクラスの生徒でないことは、はっきりとしているが(さすがに同じクラスの生徒だったらわかるはず)、なんだか見覚えがあるような気がしないでもない。僕と鶴巻の共通の知り合いで、こんな子いたかなあ?


「あ、あなたは――二組の石田愛さん!」


 思い出せない僕を思いやってか、鶴巻が所属とフルネームを教えてくれた。助かる。

 石田愛。思い出したぞ。秦野に恋する女の子。ただし脈無し。秦野に告白して振られたらしいが、まだ諦めていない様子である。『あきらめたらそこで試合終了ですよ』って安西先生も言ってるし、諦めずに恋の炎を燃やし続ければ、そのうち秦野の気が変わって付き合えるかも――いや、それはさすがに無理か。


 石田さんと僕たちの関係性はきわめて希薄である。

 では、なぜ彼女は我々に話しかけてきたのか?


 おおよそ想像はつく。僕と鶴巻が、秦野の友達だからだろう。僕たちと多少なりとも親しくなることで、秦野との距離をぐっと縮める作戦に違いない。しかし、それは無意味なように思える。秦野との距離が縮まったところで、きっと友達止まりだ。彼の恋人の座を射止めることは、石田さんには――いや、他の女性にもできまい。


 あれだけ告白されても、恋人の一人もつくらないのだ。何か複雑な事情があるか、あるいは恋人という存在に興味がないか――そのどちらかだろう。

 以上、秦野開成の恋愛事情に関する下世話な推測についてでした。


 現実世界に戻ってくると、石田さんが「鶴巻くんって彼女とかいるの?」と尋ねていた。その質問自体はどうでもよく、最終的には『開成くんって実は彼女いたりするのかな? 気になっている人とかいるのかな?』に繋げたいのだろう。


「いやあ、いないっすよ。誰も付き合ってくれないんだよなあ、ははっ、誰か付き合ってくれないかなあ……」


 チラッチラッ、と誰か友達紹介してくれませんか的な視線を送る鶴巻だったが、石田さんは目を合わせることすらせず、今度は僕に振るのだった。


「学前くんは?」

「僕もいないよ、彼女なんて」

「いやあ、でも――」


 鶴巻がいやらしく、僕の肩を撫でてくる。鳥肌が立った。男同士でもセクハラは成立するんだったか。


「お前には、座間がいるだろ?」

「え、座間さん? いやいや、座間さんとはそんな深い関係じゃないから。大体、親しくなったのだって、ここ最近のことだぜ?」

「でもな、座間は前々からお前のことをそういう目で見てたぞ」

「そういう目って何さ? 鶴巻みたいなスケベな目か?」

「げへへ、ちげえよ」鶴巻は苦笑した。「んんっ、『かっこいい! 白馬に乗った私の王子様!』って目だよ」

「どんな目だよ」


 僕と鶴巻のしょうもない会話を、石田さんは心底どうでもよさそうな虚無的な顔で聞いている。こういう馬鹿な会話って、女子受けしないんだよね。どういう会話が女性には受けるんだろう? やっぱり、難解で哲学的な会話とか? あなたはユング派ですかな? それともフロイト派ですかな? ユングやフロイトがどんな人か、僕全然知らないんだけどさ。

 無駄な前置きを終わらせ、早く本題に入ろうと石田さんは口を開く。


「ところで、開成くんって――」


 ぼすん、と荷物が地面に落ちる音。目を遣ってみれば座間さんである。顔全体をゆでだこにした彼女は、僕の顔に視線を固定したまま動かない。あー、今の会話聞かれてたな。


「が、学前くん……私、学前くんのこと、スケベな目でなんて見てませんからっ!」

「うん、それは知ってる」


 知りたいのは、僕のことを白馬の王子様と思っているかどうかである(秦野じゃなくて僕? にわかに信じがたいな)。だがしかし、それを本人に聞くのは野暮であり無粋である。僕は空気が読める風流な男なのだ。


「あのさ、かなみんって学前くんのことどう思ってるの?」


 石田さんは秦野について尋ねるのをキャンセルし、そんな質問を座間さんに投げかけた。

 というか、かなみんって……。この二人、仲良いんだ。一体、どういう繋がりなんだろう?


「え? どうって、そのー……」

「好きだったりするの?」


 直球すぎんだろ。『好きじゃないです』ってはっきり言われたら、僕けっこう傷つくぜ? 

 答えに窮した座間さんに、石田さんはこんな質問をする。


「じゃあ、学前くんと開成くんだったら――どっちのほうが好き?」

「ど、どっちのほうが好き? ……ど、どっちも好きですよ、友達として」

「ふうん。友達なんだ、開成くんと」

「ああ、いや……友達だなんて言ったら、おこがましいですよね。えっと、知り合いというか、なんというか……」

「いいな、うらやましい」


 じゃね、と手を振ると石田さんは駅舎のほうへと歩いていった。

 秦野のこと、聞かなくてよかったのかな?


 ◇


 自動ドアは閉ざされたまま、今のところ開く気配はなかった。この後、三人が出てきてから、本格的に尾行が始まるわけだ。佐伯のときみたいに、偶然に初日で成果が出るとは考えにくい。あれはきわめてラッキーだった。ご都合主義みたいに。


 さらに言えば、佐伯の場合は『イトセンとの交際疑惑』という事前情報があったわけだが、里中と坂本にそういった事前情報はない。弱みを握ろうとしての尾行だが、そもそも弱みがあるかどうかさえわからない。

 なんともまあ、見切り発車である。


 待つこと一時間、ようやく三人が店から出てきた。電車に乗るようなので、僕たちは隣の車両に乗った。高校からの付き合いである三人は、それぞれ異なる地区に住んでいるようで、異なる駅で下車した。


 里中を鶴巻が、坂本を僕と座間さんで尾行することにした。

 下車した坂本は、そのまままっすぐに帰宅した。彼女の自宅は築十年前後のこれといって特徴のない一軒家だった。念のため、門扉の表札を確認してみる――目を凝らすと『坂本』と書いてあるのが見えた。


 二〇分ほど待ってみたが、坂本が外出する気配はなく、諦めて僕たちも帰宅した。

 鶴巻のほうも不発だったみたいで、明日への意気込みが長文で送られてきたので、眠たかった僕は既読無視した。


 以下、尾行二日目から五日目までの簡易的な記録。


 火曜日。坂本バイト。佐伯と里中、繁華街回遊。

 水曜日。三人でショッピングモールへ。

 木曜日。上級生男子三人とカラオケ。

 金曜日。坂本バイト。佐伯と里中、ショッピングモ―ルへ。


 こうして、一週間が無慈悲に過ぎ去った。

 アルバイトにも励む坂本はともかくとして、佐伯と里中は遊びすぎじゃないか? 

 いや、バイトも部活も勉強もせずに、探偵ごっこに興じてる奴が言えたことじゃないな。


 五日間、毎日尾行するのは思いのほかしんどい。何がしんどいって、三人が青春してる様を間近で観察しなけりゃならんってこと。クソつまらんB級映画を五本立てで観させられるのと同等の疲労感である。


 休日である土曜日と日曜日が、天国のように感じられた――ってことは、月曜日から金曜日までの平日五日間は地獄なのか? 

 いや、座間さんと一緒に尾行をするのは、案外楽しかった。尾行は暇な時間が大半なので、自然とお喋りに興じることとなる。あの座間さんが、自分から話題を提供することもあり――その内容に一同驚愕、涙が止まらない。うん、だから、BLの話されても、ボクわかんないよ。マンガとかアニメの話で頼むよ。


 この一週間の尾行は、徒労に終わったと言い切ってもいいだろう。ポジティブなことと言えば、座間さんに対するいじめがすっかり鳴りを潜めたことくらいか。いや、『くらい』というか、尾行なんかよりもこっちのほうがよほど重大である。


 佐伯に対し言い放った『座間さんをいじめるのをやめてほしい』という僕のお願いが実を結んだのか、あるいは『いじめなんてしたことない』と佐伯の言質を取ったことが功を奏したのか、もしくは単にいじめという行為に飽きたのか、はたまた――。


 要因は――過程はどうだっていいのだ。大事なのは、『座間さんの学園生活に平穏が戻った』という結果なのだ。


 え? 平穏がもたらされたのなら、尾行をしてまで三人の弱みを握る必要なんてないじゃないか、だって?

 確かにそうかもしれない。でも、鳴りを潜めた座間さんいじめが、この先二度と復活することはない、と断言することはできない。何かの拍子に再開される可能性は十分にあるわけで。それならば、後顧の憂いを断っておくべきだ。僕はそう判断した。


 よって、尾行は継続。里中と坂本の弱みを握るまで終われません。二人が大罪を犯していることを、神に祈ろうじゃないか。そんなことを神に祈るのもおかしな話なんだけど。


 そうして、二週目が無慈悲にやってくる。



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