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 座間宅は小綺麗なマンションの最上階――十階の角部屋だった。間取りは3LDK。座間さんと両親の三人で暮らしている。家族仲は良好、とは言い難いらしく――曇天のような表情をされたので、詳しく聞くのはよしておいた。


 僕が聞きたいのは、そんなことじゃない。

 座間さんの家族のことでも、座間さんの好みのタイプのことでも、座間さんのスリーサイズのことでもなく。


 僕が聞きたいのは――彼女が他人からの助けを拒む理由だ。


 どうやら、なんらかの事情があるようで、それは二人きりでないと話しにくい内容なのだとか。出された冷たい麦茶を飲んでいると、シリアスな表情の座間さんが白い封筒を差し出してくる。それには開けた痕跡があった。つまり、これが僕にあてたラブレターではない、ということがわかる。封筒の中には、二枚の写真と三つ折りの手紙が入っていた。


「こ、これは……ッ」


 一枚は、座間さんが制服のシャツを脱いでいる写真。

 インナー姿の座間さんが写っており、健全なる男子高校生である僕としては、どうしても胸元に目がいってしまう。意外と起伏があるんだなあ、と妙な感心をしていると、テーブルの向かいから鋭い視線が浴びせられた。

 んんっ、と咳払いをしてごまかす。


 もう一枚は、座間さんがスカートを脱いでいる写真。

 まず、白のショーツに目がいく。それから、ショーツよりもさらに白い座間さんの太ももに目が奪われる。男の僕よりだいぶ細く、けれどもしっかりとした太ももであった。なんだか、よこしまな気持ちを抱きそうになり、そんな自分を恥じたが、写真から目を離すことはできなかった。


「あ、あんまりまじまじ見ないでくださいぃ……」

「ご、ごめん」


 二枚の写真を封筒に戻すと、今度は手紙を読んだ。


『いじめのことを誰かに相談したらこの写真を学校中にばらまく』


 そのシンプルな文言は、2Bくらいの濃さの鉛筆で書かれていた。筆跡がバレないようにか、定規を使ったようなカクカクした文体だ。差出人の名前はもちろん書かれてなかった(書いてあったらびっくりだ)。無駄を排した脅迫状である。


「なるほどね」


 手紙も封筒に戻す。

 もう一度、写真を見たかったが、座間さんが怒るかもなので欲望をぐっと抑えた。


「これを受け取ったから、座間さんはいじめのことを誰にも相談せず、助けを拒んだんだね?」

「……はい」


 厳密に言えば、それだけではなく、座間さんのプライドが他人に助けを求めることを拒んだ、という一面もあったのだろう。

 そのことを指摘するのは、野暮というか可哀そうなのでやめておいた。


「ねえ、座間さん。この脅迫状を書いたのが誰かわかる?」

「いえ……」座間さんは控えめに首を振った。「六月、だったかな。ある朝、学校にきたら、下駄箱にこれが入っていたんです」


 そのときのシチュエーションを、座間さんは事細かに説明した。口を挟んだりせず黙って聞きながら、あれこれ思案する。話し終えた後も、黙って神妙な顔をしている僕を見て、座間さんは不安そうに言った。


「多分、佐伯さんが書いたんだと思います」

「ああ……左利きだから?」

「え?」

「いや、なんでもない」


 手紙は横書きで、二行にわけて書いてある。

 横書きの場合、左から右へと文字は書かれていく。左利きだと書いた文字の上を手が通過するわけで、よほど気をつけないと書いた文字が手で擦れてしまう。鉛筆が濃く筆圧が強いほど、擦れた跡がよく残る。手紙を読んだ際、文字が若干ブレていた。脅迫状の書き手が左利きであることは、ほぼ間違いないと言える。

 まあ、だからどうしたって話なんだけどね。


「学前くんに相談したことがバレたら、私……下着姿の写真、ばらまかれてしまうんでしょうか?」


 不安そうに瞳が揺れている座間さんに、僕は言葉を吟味してから言った。


「大丈夫。そんなことをすれば、警察沙汰になるのは間違いないからね。彼女らだってそこまで馬鹿じゃないでしょ」


 そう言いながらも、論理破綻してるな、と内心思った。

 馬鹿じゃなかったら、いじめなどという非合理な行いをするはずはない。

 馬鹿だから、いじめを行うのだ。


「そう、ですよね……うん、大丈夫だよ、きっと」


 自分に言い聞かせるように呟く座間さんに、僕は一生の(うちに千回くらいはある)お願いをする。


「ねえ、座間さん。もう一回、写真を見てもいいかな?」

「……え」


 座間さんが固まる。

 私利私欲のためじゃないヨ。気になることがあるからだヨ。


「駄目?」


 この聞き方は、いささかずるいかもしれない。

 座間さんの性格からして、はっきりと断ることはできないだろう、という推測のもとにこんな聞き方をしたのだから。


「駄目、ではないですけど……」


 渋々といった様子で二枚の下着写真を渡してくる。

 脳裏に焼き付けようと、二枚の写真をガン見する僕――をガン見する座間さん。

 下着姿の座間さんを見て劣情を催さないように、きわめて芸術性の高い絵画だと思おうとする。うん、無理だ。言い知れぬ何かがムラムラとわき上がってくる。僕は頭の中で素数を数え、理性を保つことに努めた。


 二枚の写真は真正面からではなく、斜め四五度くらいから撮影されている。画角的に、座間さんの右前の席から撮影したものだろう。写真の右側にはカーテン。当時も窓際の席だったようだ。机には特徴的な傷がある。確か高山の席に同じ傷があったな。高山の席は座間さんの前である。ということは、当時の席は今の一つ前か。


 カメラはスマートフォンのものでほぼ間違いないだろう。あらかじめスマートフォンを設置しておき、動画もしくは遠隔操作によって撮影したものではなく、手に持って手動で隠し撮りしたものに違いない。

 ふうむ、と僕は息を吐いた。


「? どうしました?」

「いや、なんでもない」


 最後にもう一度、二枚の写真をガン見すると、今度こそ座間さんに返却した。

 正座をしていた座間さんは封筒を手に、痺れた脚をむりやり稼働させ、リビングから出て行った。戻ってくるまで、三分の時間を要した。


「ねえ、座間さん」


 再び正座をした座間さんに、僕は切り出した。


「僕は座間さんのことを助けたいと思っている。いじめをやめさせる方法はいくつかあると思うんだけど――君は、どうしたい?」

「どうしたい、と言われても……」


 座間さんは困った顔で俯くだけだ。

 予想通りの反応ではある。優柔不断で意志薄弱な彼女が、意見を述べることは稀だろう。ただ、今はその稀な意見を聞きたかった。


「僕としては、ただいじめをやめさせるのではなくて、復讐すべきだと思っている」

「復讐、ですか……」

「具体的に言うと、三人の弱みを握って退学に追い込もうと思っているわけだ」

「それは――」

「やりすぎ、かな?」


 僕が尋ねると、座間さんはしばし口をつぐんだ。

 心根が優しい座間さんが復讐という行為を許容するかどうか、これはきわめて微妙なところである。彼女がそれをよしとしないのなら――断固として否定するのなら、もっと穏便な方法での解決を模索するしかあるまい。

 やがて、座間さんが口を開いた。


「やりすぎ、ではないと思います」


 続けて、僕は尋ねる。


「座間さんはさ、三人に復讐したい?」


 再び、長い長い間が空いた。

 自分の気持ちを明確に言葉にするのをためらっているのか、言葉という形にうまく変換することができずに悩んでいるのか、はたまた――。


「したいです。復讐、したいです」


 座間さんは言った。彼女の瞳に復讐の炎が宿っているのが見えた。


「三人に復讐して――退学させて、『ざまあみろ』と言ってやりたいです」


 心配は杞憂であった。思いのほか乗り気の座間さんに、少し面食らった僕だった――が、これで心置きなく、三人に対する復讐計画を練ることができる。といっても、まあ、具体的なプランなんてないんだけど。


「いいね」僕はサムズアップしてみせた。「その意気やよし」


 座間さんはサムズアップ返しすることなく、ただ黙って頷くのみだった。僕はピンと上げた親指を引っ込めた。


「で、あの……どうやって退学にさせるんですか?」

「……うん」


 僕はもごもご口を動かしながら思案する。


「佐伯に関してはイトセンと交際してる事実を知らしめれば――ラブホテルから出てきた写真を校内にばらまけば退学処分が下るだろうから、後は里中と坂本の二人だね。佐伯みたいに二人を尾行すれば、退学になってもおかしくない弱みが握れるかもしれない」

「握れるんですかね、弱み?」


 座間さんが疑問を呈してきた。


「あ、いや……学前くんのことを信用してないとか、そういうわけじゃなくって、その……里中さんと坂本さんにそんな弱みがあるのかなあって思ってですね……」

「うん、まあ、確信は持てないけど、僕の第六感が――」


 灰色の脳細胞に満ちているであろうこめかみに人差し指を突き刺し、


「二人にもやましさが――弱みがあると告げているわけだ」

「はあ……第六感、ですか……」


 座間さんは呆れたような乾いた声を出した。


「第六感というのはいくらか格好つけた表現で、つまりは佐伯と仲良く座間さんをいじめてる二人も、彼女と同種の人間なのだから、同じようなルール違反を犯してるに違いない、ってな感じの推測だね」


 まあ、推測っていうか偏見だよね。

 何か言いたげで、だけど何も言わない座間さん。


「ああ、安心して。もし仮に、二人に大した弱みがなかったら、そのときは弱みをでっちあげればいいだけのことだから」

「そ、それは駄目ですって!」

「いいや、駄目じゃないさ」僕は落ち着いた口調で言った。「ダーティーな相手にはダーティーな手段を用いたって許されるんだ」

「でも、さすがにでっちあげは許されないと思います!」

「許されないかなあ?」

「です」


 頑なに否定してくる座間さんに、さすがの僕もしょんぼりと引き下がった。

 里中と坂本の弱みを握れなかったら、そのときは――うん、そのときになったら考えよう。僕は考えるのをやめた。


「やれやれ、仕方ないな」


 ハードボイルド風に僕は言った。

 脳内ではウイスキーのロックを片手に葉巻をぷかぷか吸っているのだ。


「尾行で二人の弱みが見つかることを神に祈ろうじゃないか」


 退学処分が下った事例を、文明の利器スマートフォンで調べてみる。

 当たり前だけど、重犯罪を行えば即刻退学である(というか、逮捕案件である)。しかし、ゴッサムシティの住人じゃないんだから、高校生で強盗や殺人といった重犯罪に手を染めているとは考えにくい。可能性があるとすれば、万引きや詐欺の受け子くらいか。


 あとは、飲酒や喫煙。これらは厳しい学校なら一発アウトだろうけれど、大抵は何日か停学になるだけだろう。我が校が、校則が厳しいという評判は聞かないので、飲酒や喫煙で退学になることはまずあるまい。


 しかし、これが麻薬となってくると話は変わる。飲酒や喫煙で逮捕されることはないだろうが、麻薬は所持しているだけで逮捕されるはずだ。高校生がヤクをキメていたら、退学処分は免れまい(同時に更生施設行きである)。


 最近だと、パパ活がバレて退学に、なんて事例もあるという。たとえ退学にならなくとも、校内に知れ渡ったことで学校に居づらくなり、自主退学する人もいるのだとか。


「ふむ……」


 僕の偏見に満ちた見解によると、里中と坂本は万引きとか飲酒くらいだったら、全然やっていそうだ。いや、座間さんにやらせようとしていたくらいだから、わざわざ自分で万引きなんてしない、か……。


 しかし、だとすると後は飲酒だけ。退学させるにはちょっとばかし弱い。麻薬やパパ活はさすがにやってないだろうし、カンニングもやっぱりちょっと弱いな。

 さあ、はたして僕たちは里中と坂本の弱みを握れるのか!? 乞うご期待!


「それで、その……尾行、いつから始めます?」


 座間さんは浮足立った感じで聞いてきた。


「別にいつからでもいいけど、思い立ったが吉日って言うし、今日から――は難しいから、来週の月曜日から始めよっか」

「わかりました。それにしても、尾行ってなんだか探偵みたいですよねっ!」


 座間さんが妙にテンション高く、浮足立っている理由はこれか。

 読書家の座間さんは、様々なジャンルの小説を読むようだが、ボーイズラブと並んでとくに好きなのがミステリー。ミステリーといえば探偵。座間さんは探偵という職業に並々ならぬ関心を寄せている――のかもしれない。


 つい数時間前のつたない尾行を思い出して、黒歴史がフラッシュバックしたのと同じような気分にさせられた。里中と坂本が少しでも警戒し、周囲に気を配ろうものなら、ストーキングは即刻バレるだろう。

 尾行の練習をしておきたいが、そんなもの練習のしようがない。今日明日とベッドの中でイメージトレーニングでもするか。


「学前くんは古今東西の探偵の中で誰が一番好きですか?」

「うん? 好きな探偵? 誰だろう……フィリップ・マーロウとか?」


 思いついた名前を適当にあげてみる。


「ハードボイルドですね」


 興味津々で聞いてきたわりには、超絶薄っぺらい感想しか飛び出してこないな。


「私はやっぱりシャーロック・ホームズですかね」

「ふうん。座間さんのことだから、ホームズ×ワトソンのBL小説とか書いてそうね」


 図星だったのか、座間さんは口に含んだお茶を吹き出した。

 けほけほ、と顔を真っ赤にさせてむせる。


「あ。やっぱ書いてるんだ」

「む、むむ昔の話です。今は書いてません!」

「二次創作から一次創作へとシフトしたんだね」

「というより、シフトせざるをえなかったんです。中学時代、いろんな作品のBL同人小説を書いていて、試しにそれをネットに上げてみたところ、各作品のファンにめちゃくちゃに叩かれたんです。それで、それで私は……」


 当時のことを思い出した座間さんは、トラウマに苛まれたのか、頭を抱えて悶えだした。ぐおお、という慟哭の声が聞こえた気がした。虎になった李徴のことを、僕はなぜか思い出した。


 あーあ。押しちゃったよ、トラウマスイッチ。

 カップラーメンができあがるくらいの時間、待ってみる。


 トラウマを強制終了させた座間さんは、何事もなかったかのような顔で、ホームズとワトソンのカップリングについて熱く語りだした。いや、内容について語れよ。そうだな、僕は『赤毛組合』や『まだらの紐』なんかがとくに好きかな。


 もしかして、座間さんってホームズ役とワトソン役の関係性が好きで、それ目当てでミステリーを読んでるんじゃないのか? どちらか片方、あるいは両方が女キャラのミステリーにはまるで興味を示さなかったりして……。

 さすがに、それはないか。


 その後、座間さんは日が完全に暮れるまでほとんど一方的に喋り続けた。これがオタク特有の早口というやつなのだな、と僕は感心した。と同時に、僕も好きなものについて語るときはこうなっているのではないか、と魂が震えた。


 窓から差しこんだオレンジの光線が、万華鏡のような座間さんの瞳を射貫く。憑き物が落ちたように我に返った彼女は、一方的に喋り続けたことを謝罪し、お詫びに夕食をご馳走すると申し出た。


 その申し出を、僕は丁重にお断りした。

 両親がいつ帰ってくるのかは知らないが、あまり夜遅くまで座間さん宅に居座るのはよくなかろう、と判断したわけだ。


「そう、ですか……」


 一瞬、しょんぼりと寂しそうな顔を見せた。

 彼女としては――夜遅くまでいてもらってもかまわない、と思っているのかもしれない。


「では、また明日――いえ、明後日ですねっ!」


 玄関で僕を見送る座間さんは、一転してとても晴れやかな表情をしていた。


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