第9話 旅路のはじまり
最初に訪れたのは、ウィンドベル村。
アマンダさんの時にも行ったけど、メロディア村の東に位置していて、往復で半日ほどの距離だ。
依頼人はマティルダさんという女性。
彼女の家に着くと、そこには十代半ばの娘さんと、十歳くらいの息子さんがいた。
二人は顔を背け合って、口も聞こうとしない。
娘さんの心からは、高く震えるオカリナの音。弟への苛立ちと……その奥に、寂しさが聴こえる。
息子さんの心からは、途切れ途切れのマンドリンの音。姉への憧れと……その奥に、悲しみが聴こえる。
お互い、本当は仲良くしたいんだ。
心の音が、そう教えてくれる。
要は、この年頃特有の自我の芽生えと、素直になれない心がお互いに衝突しているだけ。
私は目を閉じて、二人の心の音に耳を澄ませた。
――――世界の音が遠ざかり、心の音だけが聴こえてくる。
私の心から、穏やかなハープの音を響かせた。
ハーモニクス村の時のような淡い光が生まれて、部屋を包み込んでいく。
二人の心の音が、少しずつ調和していく……。
目を開けると、娘さんと息子さんは抱き合って泣いていた。
「ごめんね……お姉ちゃん……」
「私こそ、ごめんね……」
マティルダさんは、感動で言葉を失っていた。
……よかった。
でも、頭がズキズキする。
視界が少しぼやけて、足元がふらついた。
「……っ」
「おい、大丈夫か?」
外で待っていたアレクが、終わったタイミングを見計らって部屋に入ってきた。
私のふらつきに気づいたのか、すぐに近づいてくる。
そして……私の頭を、ぽんと撫でた。
「……よくやった。だが、無理するなよ」
ぶっきらぼうだけど、優しい言葉。
彼のチェロも、穏やかな音色を奏でている。
……なんだか、照れくさいな。
次はリズムタウンへ。
メロディア村から南へ、馬で1日ほどの距離だ。
相談内容は、商人同士のトラブルだった。
互いに相手が約束を破ったと主張している。
でも、二人の心の音を聴くと……どちらも嘘をついていない。
ただ、誤解があっただけ。
心の音を繋げると、二人は誤解に気づいて握手を交わした。
「ありがとう、アリアさん!」
「これで、また一緒に商売ができる!」
二人の笑顔を見て、私も嬉しくなった。
「ささやかですが、お礼をさせてください」
私に依頼をしてきた若い商人さんが、夕食をご馳走してくれることになった。
良い宿屋も紹介してくれて、父のいない初めての外泊に、ちょっとテンションが上がってしまった。
でも、このチカラを使うと心身ともに疲れちゃって……。慣れない旅も相まって、ベッドに横になるとすぐに睡魔が襲ってきた。
「……疲れた……」
体が重い。
頭もぼんやりする。
「でも、また困っている人のお手伝いができて、よかった……」
私は母の子守唄を思い出しながら、夢の世界へと静かに溶けていった。
翌日。
次の村へ向かう道中で、アレクが呟いた。
「お前、疲れてないか?」
宿屋ではしっかり眠ったはずだったけど、疲れは残っていた。
それを敏感に感じ取ったらしい。
「……大丈夫です」
「嘘をつくな。顔色が悪いぞ」
アレクは馬を止めて、私を見た。
「今日はここで休もう。無理するな」
「でも……」
予定では、今日の夕方には次の村に到着しなければならない。
私が予定のことを心配していると、アレクは何でもないことのように言った。
「次の依頼者には、明日会えばいい」
「でも、待っている人が……」
「お前の体が最優先だ」
アレクが、有無を言わさぬ口調で言った。
「どれだけ他人を救えたとしても、お前が疲弊して潰れてしまっては元も子もない。送り出してくれた親父さんにも顔向けできん」
……そうだ。
父は、私のことを信じて送り出してくれたんだ。
無茶をして倒れたら、父を悲しませてしまう。
「……わかりました」
私は素直に頷いた。
アレクが「疲れた」と言っていいんだと、言ってくれている。
それが、なんだか嬉しかった。
野営の準備をしながら、アレクが焚き火を起こしてくれる。
巡回中もよく野営をしていたらしく、とても手際が良くて驚いてしまった。
私は野営なんてしたことがないから、見ているだけだ。
特にやる事のない私だったけど、せめてこれくらいはと、持ってきたパンとチーズを取り出して、焚き火にかざして炙ってみる。
「そろそろいいかな? ……はい、アレクさん」
「ん」
アレクはぶっきらぼうに、とろけたチーズがかかったパンを受け取った。
焚き火の炎が、パチパチと音を立てている。
星空が、美しく輝いていた。
「なあ、アリア」
アレクが、炎を見つめながら呟いた。
「お前は、なんでそんなに人を助けたいんだ?」
私は、少し考えてから答えた。
「お母さんが、いつも言ってたの。困っている人を見たら、手を差し伸べなさいって」
「……そうか」
アレクが、少しだけ微笑んだ。
「いい母親だったんだな」
「うん。お母さんは、優しくて……温かい人だった」
私は、母の思い出を語った。
母が歌ってくれた子守唄。
母が作ってくれた料理。
母の笑顔。
……会いたいな。
大好きだった母とは、もう会うことはできない。それが悲しくて、辛くて、塞ぎ込んだ時期もあったけど、今はもう大丈夫。
母との思い出は消えていないし、父もたくさんの愛を私にくれているんだから、前を向いて生きていかなくちゃ。
ふと、アレクから家族の話を聞いたことがないと思って、気になって聞いてみた。
「アレクさんは? ご両親は元気なの?」
私が尋ねると、アレクは少し黙った。
焚き火の炎が、彼の横顔を照らしている。
「俺は……貴族の家に生まれた。でも、次男坊だ」
皮肉っぽい顔で、諦めにも似た顔でつぶやく。少し痛々しく感じる表情で…。
「貴族の次男坊なんてただのスペアだ。上が無事に育った今、俺が近くにいると邪魔なのさ。だから、本家からは疎まれてる」
彼の心から、不協和音が聞こえてくる。
彼のチェロが、低く沈んだ音を奏でていて、複雑な感情が渦巻いているのがわかる。
「だから軍に入った。自分の力で……生きていくためにな」
何があったかを聞いても、教えてくれなさそうだ。
彼にとって家族の話は、楽しいものではないのかもしれない。
無理に聞き出すのは、違う気がした。
「……大変だったんですね」
「別に。これが俺の人生だ」
アレクがぶっきらぼうに言ったけど、ちょっと照れているようにも見える。
彼の心の音が……少し、温かくなっていた。
私に少しだけ心を開いてくれているようで、ちょっとだけ嬉しくなった。
焚き火に薪をくべようとした時だった。
アレクも同じタイミングで薪を取ろうとしたらしい。
私たちの手が、触れ合った。
「……っ!」
心臓が、大きく跳ねた。
アレクの手は、思っていたよりも温かくて。ゴツゴツしているけど、なんだか安心する感触で。
「あ、す、すみません……!」
慌てて手を引っ込める。
手が触れただけなのに、なんでこんなにドキドキしちゃうの!?
顔が熱い。たぶん、真っ赤になってる。
「……いや」
アレクも、少し慌てたように視線を逸らした。
彼のチェロが、珍しく乱れた音を奏でている。
……あれ?アレクも、動揺してる……?
なんだか、変な空気になってしまった。
焚き火のパチパチという音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……明日は早いから、もう寝た方がいい」
「は、はい……おやすみなさい」
「……ああ」
私は毛布にくるまって、目を閉じた。
心臓が、まだドキドキしている。
……なんだろう、この気持ち。
よくわからないまま、私は眠りに落ちていった。
翌朝。
目を覚ますと、アレクはもう起きていた。
焚き火の跡を片付けながら、出発の準備をしている。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
昨夜のことは、なかったことになっているみたいだった。
……それでいいのかもしれない。
私も、何事もなかったように振る舞う。
でも、アレクとの距離が少しだけ縮まったような気がした。
そんな気持ちの変化を感じながら、私たちは次の村へと向かった。




