第47話 王都ハルモニア
――――どこまでも続くような、青と白。
見上げた空を真っ二つに遮るように、巨大な壁がそびえ立っていた。
辺境の領都コーダで見た城塞も、途方もない大きさに驚かされた。
けれど王都の城壁は、あの無骨で冷たい石積みとは全く違うかたちで、その威容を誇っていた。
目の前には、視界を埋め尽くす真っ白な漆喰の壁。
その城壁には天を突く尖塔が並び、精緻で美しい彫刻が彩りを添えて、壮麗な雰囲気を醸し出している。
城門の上には、天から舞い降りる天使たち。慈愛に満ちた表情で旅人を見守るその瞳。
その足元では、侵入者を決して逃さないとばかりに、翼を持った獅子が鋭い眼光で見下ろしていた。
「……すごい」
ぽつりと零れた私の声は、巨大な城門に弾かれて、検問を待つ人ごみに吸い込まれていった。
巨人が通るのかと思うほどに大きな門の向こうには、アーチ状に彩られた白塗りの美しい通路。
少し薄暗い中を歩いていると、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
出口の向こうは太陽の光で白く溶けてしまって、この先の景色を見ることは叶わない。
やがて、行く手を遮る重厚な鉄格子と、衛兵が立ち並ぶ姿が見えてきた。
衛兵の一人が、アレクの方を見て「おや?」と、怪訝な顔をしている。
チラッとアレクを伺うと、正面を向いていつもと同じ無表情のまま。
けれどもその姿は、敢えて衛兵の様子に気づかない振りをしてるように思えた。
――あまり詮索するのも悪いかな。
元々アレクはここに住んでいたんだから、色々とあるのかもしれない。
いつか話してくれるといいな、と思いながら扉の前で大人しく待つ。
衛兵からは、職務に忠実な音色が聴こえてくる。
自分の音はまだ壊れたままだけど、人の心の音は聴こえるようになってきた。
時間が経てば元通りになるだろうか……?
そう考えているうちに、ヴィヴァーチェさんが衛兵といくつかやり取りをした後に、許可証を提示する。
確認した衛兵が短く「通れ」と告げて姿勢を正した。
ガチャリと重たい響きを立てて鉄格子が開かれる。
――――この先が、王都。
この国で一番大きな街。
この中に、調律師を研究している学者さんがいるのだろうか……いや、いなくても自分で調べる。そう決意してきたはずだ。
不安と緊張はある。でも、それよりも大きな期待と高揚が、足を前に進ませる。
これからの暮らしに、胸が高鳴っていた。
アレク達と一緒に鉄の門を潜り抜けると――――
頭上から降り注ぐ眩い光に、思わず目を細めた。
「わぁ……!」
眩しさに手を翳した指の隙間から、鮮やかな世界が目に飛び込んできた。
目の前に、遥か先までまっすぐに伸びる石畳の大きな通り。
その両側には、細長い建物がぎっしりと並んでいた。
赤いレンガの商店。
くすんだ黄色の家。
深い青に塗られた雑貨屋。
色鮮やかな漆喰の建物たちは、肩を寄せ合うようにひしめきながら、上へ上へと伸びていて背が高い。
見上げた視線の先には、尖った三角屋根が空へ突き出し、白い窓枠が幾何学模様を描くように並んでいる。
壁には古びた木組みが走り、窓辺には色とりどりの花が置かれて、訪れた人の目を楽しませてくれる。
秋の湖畔みたいに、鮮やかな色合いの建物がひしめき合っている。まるで色とりどりの本を、棚にぎゅっと押し込んでいるかのよう。
だけど、視線を降ろした先に見える通りの風景は、そんな整った景色とはまるで違う顔をしていた。
城門に近い場所だからか、通りは人で溢れている。
見渡す限りの人、人、人――――
コーダも相当なものだったけど、さすが王都。
桁違いだった。
宿屋の看板が風に揺れ、雑貨屋の店先には商品が山のように積まれている。
焼きたてのパンの匂い。
肉を焼いた香ばしい匂い。
革や煙の混ざった、旅人の匂い。
お店の人が声を張り上げ、荷車が石畳をがたがた鳴らしながら進んでいく。
笑い声。
呼び声。
値段をめぐる言い争い。
広い通りには音が渦巻いて、目眩がしそう。
音――匂い――そして、人混みの熱気。
尖った屋根がひしめく下で、街が生き物みたいに脈を打っているようだった。
私は城門のすぐ内側に立ったまま、その景色を見渡す。
――これが、ハルモニア。
――この国の、王都。
騒々しくも生命力に満ちた空間に、胸が高鳴る。
圧倒されて立ち尽くしていると、軽く背中を押された。
「ほら、行くぞ。此処にいたら邪魔になる」
アレクが荷馬車に乗るように促してくれる。
だけど、せっかくの王都に来たんだ。
自分の足で歩いて、この空気を感じていたい。
「私も歩いて行きます。せっかくの王都ですもん、この熱気を感じていたいんです」
「だが――大丈夫なのか? この人混みだ、コーダの時みたいにならないか……?」
そうか、あの時みたいに苦しみ出すかもって、心配してくれたんだ。
「今は上手くチカラを使えてますから。あの時みたいにはなりませんよ。大丈夫です」
アレクに向かって「心配してくれてありがとう」と笑顔を浮かべると、スッと目を逸らして頬を掻くアレク。
ちょっと照れてるみたいで可愛い。
あまり見るのも悪いと思って、周りのお店に目を移す。
色とりどりの建物が並んでいて、どのお店にも活気がある。
「そこのお嬢さん、焼きたてのパンはどうだい?」
不意に掛けられた声に振り向くと、恰幅のいい女性の姿。
掲げられたパンからは、焼きたての甘い香りが風に乗って届いてくる。
「あらま、可愛らしいお嬢さんだね。その様子だと、王都は初めてかい?」
「はい、初めて王都に来ました。凄いですね、賑やかで、活気があって――」
にこやかな雰囲気に釣られて、私も笑顔で言葉を返した。
「そうだろう? 王都の名前は伊達じゃないからね。何処から来たんだい? キーファとかルンド辺りかい?」
「いえ、ここから離れたクロスボー地方から来ました」
その言葉を聞いた途端、パン屋のおばさんの目が丸くなった。
「クロスボー? あの、ここから遠く離れた辺境の……?」
掲げていたパンを落としかけ、慌てて抱え直している。
私が「そうですね」と頷いて応えると、パン屋のおばさんはぐいっと近づいてきた。
「そりゃあ遠いとこからよく来たね! 女の子だと大変だったろうに。ほら、このパン持っていきな!」
そう言って私に香ばしい香りのパンを押し付けてくる。
「え? い、いえ、いただくわけには……」
そう言って断ろうとしたけれど、後ろからアルバートさんが「好意はもらっておいた方がいいよ」と、ウインクしながら教えてくれた。
「おや、あんたイイ男だね。その人の言う通りさ、遠慮せずに持っていきな」
「あ……ありがとうございます」
満面の笑みでパンをくれる女性。
少しだけ心の音に耳を澄ますと、優しくて逞しいフルートの音色が聴こえてきた。
王都みたいな都会でも、こんな温かな音色が聴けるんだと思って、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「長い旅で疲れてるだろう? それ食べてゆっくり休むといいよ。泊まる宿のアテはあるのかい?」
「はい、頂きますね。泊まるところは大丈夫です。彼の知り合いの宿があるそうなので。ですよね、ヴィヴァーチェさん?」
ノクトの手綱を引いているヴィヴァーチェさんに声をかけると、「ええ、そうですね」と頷いて応えてくれる。
「そうかい、それなら良かった。落ち着いたら、一度顔でも見せておくれよ」
「はい! 今度はちゃんと買いにきますね」
そう約束を交わして、笑顔で手を振って別れた。
温かい歓迎を受けて、足取りも軽くなる。
「無料でパンを貰えるなんて……良かったですね、アリアさん!」
ヴィヴァーチェさんがパンの香りを嗅ぎながら嬉しそうに言う。
「ふふ、そうですね。王都にも優しい人がいて、少し安心しました」
まだ温かいパンを抱えながら、ヴィヴァーチェさんとお喋りしていると、アレクがアルルの手綱を引きながら近づいてきた。
「ヴィヴァーチェ、お前の知り合いの宿はこのまま進んだところにあるのか?」
「そうですね。この大通りをしばらく進んだら噴水が見えてきます。そこを右に折れて、3ブロック先にありますよ」
ここに来る途中に、その宿について教えて貰った。
ヴィヴァーチェさんと同じ東方商業都市国家で生まれた人が経営している宿で、ヴィヴァーチェさんも古くから知っている人だそうだ。
「小さめの宿ですけど、清潔だし、何よりご飯が美味しいんです。他にも良い宿はありますけど、長期で利用するにはとても便利な宿ですよ」
ヴィヴァーチェさんが頬を掻きながら嬉しそうに教えてくれる。
古くからの知り合いだそうだから、久しぶりの再会が嬉しいんだろうね。
「結構な距離があるな……アリア、アルルに乗るといい。それなら街を見ながら進めるだろう?」
「いいんですか?」
それはありがたい。街並みは見たいけど、体は疲れて重かったんだよね。
「ああ、この人混みだしな。お前が迷子になる方が困る」
「こ、子供じゃないんですから、迷子になんかなりませんよ!?」
アレクに文句を言いながらもアルルに乗せてもらい、人混みを抜けて宿へ向かう。
大通りを進んでいくと噴水が見えてきた。街の人たちが思い思いに噴水の縁に腰掛けて涼んでいる。
そこから右に曲がってしばらく進むと、ヴィヴァーチェさんの知り合いの宿があった。
「さあ、着きましたよ。どうです? 良さそうな宿でしょう?」
ヴィヴァーチェさんの言う通り、小振りだけど可愛らしくて清潔そうな宿だった。
赤茶の煉瓦の外壁に白い窓枠が並んでいて、入口にある風車の看板が可愛らしい。
ガチャリと宿の扉を開けると、外の喧騒が遠のいていく。
磨かれた木の床の匂いと、窓辺に飾られた花の香りが私達を出迎えてくれた。
「ようこそ、ハーモニーの宿へ!」
宿の主人と奥さんがカウンターから出てきて、にこやかな笑顔で歓迎してくれた。
長年連れ添った夫婦にしか出せないような、息ぴったりの旋律。
穏やかで調和の取れた音を聴いて、私の心も落ち着いてくる。
東方の出身だという宿の夫婦は、ヴィヴァーチェさんと久しぶりの再会を喜んでいた。
旧交を温める彼らを微笑ましく見守りながら、私は先に部屋の鍵を貰って休ませてもらうことにした。
階段で2階に上がって部屋の中に入ると、正面には大きな窓。
室内を見渡すと、白いリネンのシーツが掛けられたベッドが窓際に置かれていて、その脇には小さめのテーブルと椅子。
白い漆喰の壁には花模様が彫られていて、描かれた花束の青と赤の色彩がとても華やかだ。
荷物を床に置いて、まずは旅装を解いていく。
砂埃で汚れた外套を綺麗に畳んで、籠の中へ。
生成りのワンピースに着替えて、ベッドに腰掛けて一息つく。
――――やっと……落ち着けた。
髪の毛を梳かす気力も出てこないまま、ベッドに身を預けて目を閉じた――――
気がつけば、窓の外はすっかり茜色に染まっていて、慌てて1階の食堂へ降りた私は、身を縮こまらせて謝っていた。
「うう……ごめんなさい。積み荷の片付けも手伝わずに寝ちゃって……」
またやらかしてしまった……
以前、コーダの街に着いた時と同じように、宿で一息ついてたら寝てしまった。
夕方、宿の食堂に集まった私たちは、貰ったパンを分けながら明日の予定を話していた。
「気にしなくて大丈夫ですよ。どのみち、アリアさんには休んでもらうつもりでしたし」
ヴィヴァーチェさんはそう笑って言ってくれる。
だけど、私が寝ている間に、荷馬車の片付けとかアルル達のお世話なんかを手分けしてやっていたそうで……
申し訳なさで身を縮こまらせていると、アレクが呆れた声で話してきた。
「気にするなと言っているだろう。かなりの長旅だったんだ、慣れている俺たちと同じにはならないさ」
アレクもそう言って慰めてくれる。
「そうさ~♪ 気にしない気にしない~♪」
少し離れた場所からアルバートさんの声が聴こえてきた。
宿の主人に頼まれて、他のお客さん相手に歌を披露していたアルバートさん。
リュートを軽快に弾きならしながら、器用にこっちの会話に参加している。
「それはそうと、明日からさっそく動き出すんですか? もう少し休んでからでもいいんじゃないですか?」
ヴィヴァーチェさんが、私の体調を心配して言ってくれているけど、多分、私は落ち着いていられないと思う。
「その方が良いのかもしれませんけど……とにかく何かして動きたい気分なんです。だから、明日はまず大きな図書館に行ってみたいなって……」
自分のハープの弦が切れている不安もあって、少しでも調律師の事を知りたい気持ちに駆られている。
気持ちを落ち着かせなきゃと思ってはいるけれど、どうにも落ち着かない。
「王立図書館は、凄い数の本があるって聞きましたし、何か少しでも調律師の事を知りたいんです……」
ヴィヴァーチェさんは頷いてくれていて、同意を得られそうな雰囲気の中、アレクが待ったをかけた。
「アリア、気持ちはわかるが、王都の図書館は迷宮のようなものだ。自力で探すには何日もかかるかもしれない」
腕を組みながら、少し遠い目をしている。
彼のチェロから、懐かしい誰かを想うような音色が流れてくる。
「明日、俺に時間をくれないか? 王都に詳しい人物に心当たりがある」
「おお、アレクさんのお知り合いですか。どんな人なんです? 貴族の方ですか?」
ヴィヴァーチェさんの言葉に頷いている。
貴族の方……どんな人なんだろう。
私が一緒に行っても大丈夫なのかな……?
「あの……相手は貴族の方なんですか? 私が行っても大丈夫なんでしょうか……?」
アレクの知り合いなら大丈夫なんだろうけど、それでもやっぱり緊張してしまう。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。俺が王都に居た時に世話になった人でな……名前はリタルダント・ストーン」
アレクは組んだ腕を解いて、私とヴィヴァーチェさんを交互に見た。
スッと軽く息を吸い込んだ後、彼の口から低く耳心地の良い響きが空気を震わせた。
「俺の恩師で――以前、近衛騎士団団長を務めていた人物だ」




