第46話 前を向いて
――――何も聴こえない。
焚き火の音も、風の音も。
――――世界の音も。
頭の中に響いた、太い弦が千切れる音。
その余韻だけを残して、世界から音が消えた――――
ぐい、と腕を引かれる感覚。
視界が反転して、硬い胸板にぶつかる。
気づけば、アレクの腕の中だった。
「――――あ……」
静寂に沈んだ世界で、アレクの腕に守られているかのよう。
俯いた顔を上げようとした、その時――
そっと、耳に手が添えられた。
花に触れるような柔らかさで、アレクの手が私の耳を塞いだ。
見上げると、怒った顔のアレク――でも、泣きだしそうにも見える。
視界が歪んで見えにくい……少し首をかしげようとすると――――
頬に、何かが伝う感覚。
アレクの涙……?
そう思っていたら、アレクの指が――――私の目尻をそっと撫でた。
――――あ。
……私が、泣いてるんだ。
気づくと、もっと歪んでくる視界。
私の耳を塞いでいる手に、自分の震える手を重ねた。
自分の涙で、アレクの顔もよくわからない。
けれど、無音の世界で――アレクの鼓動だけが聴こえてきた。
どくん、どくん、と。
力強く刻む鼓動。
ああ――――この音だ。
いつも、この音が私を助けてくれる――――
もっとこの音を聴きたくて、アレクの手をぎゅっと握りしめる。
アレクは何も言わず、ただ寄り添って、耳を塞いでくれている。
私は嗚咽を漏らしながら、縋るようにその鼓動に耳を澄ませていた――――
「――――もう、大丈夫です」
しばらくして、落ち着いた私はアレクの手をそっと押した。
耳元から離れる温かい手のひら。
アレクの手が離れると、止まっていた世界の音が、また私の耳を震わせた。
――――いつも、この手が私を助けてくれている。
改めて、アレクの存在を大きく感じた。
涙を拭って顔を上げると、そこにはもう、彼らの姿はなかった。
タリルさんたちが立っていた場所には、ただ夜の静寂だけが残っている。
ヴィヴァーチェさんは悔しげに唇を噛み、彼らが去っていった暗い森をじっと睨みつけていた。
「アレクさん……あのまま行かせて良かったんですか?」
吐き捨てるような低い声音から、彼の怒りが伝わってくる。
アレクも険しい目付きのまま、森の奥へと視線を投げて応えた。
「――ああ。これ以上、あいつらに関わる必要は無い」
――こうして、襲撃から始まった長い一夜は幕を閉じた。
胸に残る悲しみも、やるせない想いも全て――夜の闇が包み込むように、静かに覆い隠していった。
――――翌朝。
眩しいほどの陽の光が、荷馬車の幌の隙間から差し込んできた。
結局、眠れなかった。
目を閉じるたび、頭の中にあのナイフのような言葉が何度も繰り返し聞こえてきて……
――私が、間違ってたのかな……
自分の行為が、最後の最後に否定された。
それが悲しかったし、どうして……という気持ちでいっぱいになる。
タリルさん達は間違いなく喜んでくれていた。
感謝しながら銀貨を受け取った、その震える手の感触を思い出す。
でも、あの人――ムジカさんにとっては、私のしたことは……嫌なことだったんだろう。
こんな小娘に施しを受けたと感じて、プライドが傷ついたのかもしれない――もしかしたら、全然違う理由かもしれない。
――ダメ。こんな風に考えていたら、どんどん悪い方に気持ちが行ってしまう。
暗い顔をしてたら、皆に気を遣わせてしまうよね……
重い頭を振って、鬱屈した想いを振り払う。
まだ、気持ちの整理はついていないけど、自分の中で折り合いをつけるしかないんだろうな……
軽く手櫛で髪を整えて、荷馬車の幌を開ける。
顔を照らす朝の日差しに目を細めていると、ヴィヴァーチェさんの元気な声が聞こえてきた。
「おはようございます、アリアさん。もう少しでご飯の用意が出来ますから、先に顔を洗ってきてくださいね」
「おはようございます……そうですね、ちょっと顔を洗ってきます」
笑顔を浮かべたつもりだったけど、自分でもぎこちない笑いだとわかってしまう。
腫れた目元を隠しながら、近くの小川までそそくさと移動すると、小川の岸に先客がいた。
「おはようございます、アルバートさん」
朝日を浴びて輝いている金色の髪。
それを紐で括りながら、アルバートさんは振り返って「おはよう」と挨拶を返した。
「昨日は大変だったね。でもまぁ、よくあることさ――あまり思い詰めない方がいいよ?」
軽い感じに、そう言って私を気遣ってくれる。
この人は、軽そうに見えて、人をよく見ている。
今も、私の顔色を見て、ワザとあっけらかんとした物言いをしてくれたんだろう。
実際、沈んでた気分が、少しだけ軽くなった気がする。
「そう……ですね。気にしちゃダメだってわかってるんですけどね。もうちょっと時間がかかりそうです」
私がぎこちなく笑いながら応えると、アルバートさんは「そうかい」と言って、場所を空けてくれた。
「抱えられなくなったら、相談に乗るよ。こう見えて色々と経験してるからね、少しくらいならアドバイスできるよ」
ウィンクを一つして、ヴィヴァーチェさんがいる方へ歩いて行った。
「――ありがとう」
去っていく背中に、そっと呟いた。
光を浴びてきらきらと光る水面に手を入れる。
冷たく澄んだせせらぎが、心の中の騒めきを洗い流してくれる。
そんな感じがした。
――――どれくらい、そうしていたのか。
「――アリア」
背後からかけられた声に、ハッとして振り返る。
振り向いた先には、アレクがいた。
いつもと同じ――いや、少しだけ、思い詰めた顔。
何かを言おうと口が開いたけれど、そこから音が出る前にまた閉じてしまう。
何と声を掛けようかと、悩んでいるみたい。
私は小川の冷たさを感じながら、彼の言葉を待った。
なんとなく、そうした方が良いと――そう思えたから。
水の流れる心地よい音、朝露を弾いて揺れる葉擦れの音。
少し遠くから、クロドリの澄んだ囀りが聴こえてくる。
目を閉じて、美しい世界の音に耳を傾けていると、少し固いアレクの声が、地面に染み込むように響いた。
「――お前に、なんて声を掛けたらいいのかわからなかった。俺が止めていれば、傷付くこともなかったはずだからな」
その言葉に驚いて、アレクを見る。
――どうして、そんなことを言うんだろう?
「結局、あの男の言葉からも――お前を守れなかった……何かしそうな雰囲気を察していたのに、何も出来なかった……!」
そう言って、指が白くなるほど強く握り締められた手。
「こうなる可能性も考えられた。やはり――」
「アレクさん」
思ってたよりも大きくなった声が、アレクの独白を断ち切る。
「――私は、あなたにとって、ただ守るだけの子供ですか……?」
水面から手を引き抜いて、ゆっくりと立ち上がる。
「私は、自分の意思で、自分のワガママで行動しました」
一歩、アレクの方へ足を踏み出す。
正面に見える顔には、驚いたような表情が浮かんでいる。
「結果はこうなりましたけど……それは、誰かのせいでも、ましてや背中を押してくれたアレクさんの責任じゃ、絶対にありません……!」
私の中に、怒りの火が灯っていた。
私の中に、アレクの言葉への不満が渦巻いている。
「私の行動の結果は、私の背負うべきものです。たとえそれが望まない結果だとしても――受け止めて、受け入れるのは、行動した人間の責任です」
一歩、また一歩と、彼の目を真っ直ぐに見据えて近づいていく。
アレクは、時間が止まったように動かない。
「それを……この結果はアレクさんのせい……? 勝手にアレクさんの『失敗』にしないでください!」
アレクのすぐ目の前に、息がかかりそうな距離で仁王立ちする。
「――私を、ただ守られるだけのか弱い存在にしないで……!」
すぐ目の前にアレクの驚いた顔。
そこには、騎士ではない『ただのアレク』がいた。
「確かに、偽善だと言われて傷付きました。自分のしたことが間違っていたのかと悩みました。でも、それは私が招いたことです。決して――アレクさんのせいではありません」
呆然と私を見るアレクの手を取る。
その硬くて優しい手を両手で握りながら、額に当てた。
「だから――そんなにアレクさんが傷つかないでください。この手が、たくさん助けてくれました――――それだけで、私には充分です」
顔を上げて、アレクに微笑みかける。
下から見上げたその瞳は、色んな感情が混じって揺れていた。
強いと思っていたアレクにも、こんな弱いところがあったんだ……
自分のことじゃなくて、誰かのことに心を痛める。
優しいアレクらしくて、心が温かくなる。
「私は、大丈夫です。いえ――たった今、大丈夫になりました。ありがとう、アレクさん」
そう言って、後ろに一歩下がる。
「それに……ヴィヴァーチェさん達も、待ちきれないみたいですしね」
アレクの後ろに視線を投げると、木陰からこちらを伺っている二人。
「――なっ! お前ら!」
昨日、アレクに怒られたばかりなのに、懲りない人達だ。
気づけば、あれだけ重かった胸の中の不協和音が、軽くなっていた。
――確かに、気持ちが届かなかったのは悲しかったけど、自分のした事が間違いだったとは思わない。
人の数だけ、心の音も違う。
私は、私の想いを持って、助けられる人を助けたい。
ただ、それだけでいい。
その先に、悔しくて悲しいことがあったとしても、アレク達がいれば、またこうして笑うことができるはず。
――――だから、私は前を向いて歩いて行こう。
その決意を胸に刻んで、アレク達を追いかけた。
――――次の日。
「見えてきましたよ!」
ヴィヴァーチェさんが、丘の上で荷馬車を停めて叫んだ。
荷台から降りて前を見る。
そして――息を呑んだ。
「あれが……王都……」
遠くに見える巨大な城壁。
コーダよりもさらに大きなその威容に圧倒される。
城壁の中に、無数の建物がひしめいている。
木造の家や石造りの屋敷。
遠く霞んだ先には、大きな尖塔の姿もある。
王都ハルモニア。
このリディア王国の首都。
政治、経済、文化の中心地。
まだ遠くにある都から、住まう人達の音が、うねりとなってここまで届きそうだった。
あの中には見たことのないほど、たくさんの人たちが暮らしている。
これから私達もあの中の一員になるんだ……
ワクワクするような、ちょっと怖いような感覚。
この先、悲しいこと、苦しいことがあるかもしれない。
でも、きっと楽しい事や嬉しいことも待っていてくれる。
ひとりじゃない。
心強い仲間たちがいてくれる。
その心強さを胸に――私は一路、王都を目指した。
【第2章 完】
これにて第2章「王都への旅」編は完結です。
ただの田舎娘だったアリアが、少しづつ成長していく過程を描いた章でしたが、いかがだったでしょうか?
第3章からは、いよいよ王都で活躍するアリアの姿が見れるはず!
まだまだ未熟なアリアと、支えてくれる仲間たち。
そして、アリアとアレクの距離も、少しづつ近づいていくのか……?
次回、第3章「王都での日々」編。
ぜひ、お楽しみください。




