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ココロ・ノート〜心の音が聴こえる世界で、少女は伝説の調律師になる~  作者: 名雲
第2章「王都への旅」

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第45話 無音の世界

「ピアニッシモ辺境伯様に頂いた報酬から、この人達がコーダまで辿り着くのに必要な分のお金を渡します――」


「――ちょ、ちょっと待ってください!」


 突然、焦った様子のヴィヴァーチェさんが、話に割り込んできた。

 信じられないという顔で、私の顔を凝視している。



「正気ですか、アリアさん!? 見逃すのは100歩譲って目を瞑りましょう。でも――お金を渡す!? 襲って来た相手ですよ!」


 興奮して捲し立てている彼の心は、出会った時のように予測不能な音色を奏でている。

 ――いや、ヴィヴァーチェさんからしたら、私のしている事が常識外のことなんだろう。



「アレクさんも言ってましたが、盗賊行為は縛り首――これが常識ってもんです。それを見逃すだけでも慈悲深い好意なのに、お金まで渡すって……」


 ついに頭を抱えてしまったヴィヴァーチェさん。

 なんて説明しようかと考えていると、アルバートさんが隣にやってきた。



「う~ん……盗賊してきた人たちにお金まで渡そうなんて。さすがにボクでも、そんなことしないよ」


 ちらりと私の顔を見て、ぽつりと呟く。



「アリア……キミ、頭大丈夫?」


 やれやれといった感じに、首を横に振ってため息を吐いた。


 ――――わかってる。

 今、私がしていることは、常識からはみ出した――ただの、ワガママ。


 ただ――私がそうしたいだけ。


 アレクには、騎士の矜持を曲げさせてしまう。

 ヴィヴァーチェさんには、皆の資金を勝手に使うことを認めてもらう。

 アルバートさんは……なんだろう? でも、心配しているのは彼のリュートから伝わってくる。


 今の私は、彼らの厚意に甘えて、自分の勝手を通そうとしている。



 ――――なんて傲慢なんだろう。



 それでも。

 目の前のこの人たちの心の音が、また腐っていくのを黙って見ていられない。


 この人たちの心の音を救いたい。

 それだけは、譲りたくない――――!


 この手が届く――その心の音たちを。


 

「――私は……! 我儘なのはわかっています。でも――お願いできませんか……?」


 想いはあるけれど、どう伝えればいいのか……

 私が言葉に詰まっていると、隣から凛とした声音が響いた。



「――わかった。お前の気の済むようにすればいい」


「アレクさんも!? 二人とも、正気ですか!?」


 ヴィヴァーチェさんの悲鳴のような声が夜の森に響き渡る。



「ああ、そうだ……アリアの考えは確かに常識外だし、下手をしたら法に反抗する所業だ。だが……」


 改まった感じに、真剣な目を向けるアレク。



「これが……アリアなんだ。『困っている人を助けたい』と、出会ったときから言っていた。損得じゃなく、喜んでくれるのが嬉しい――ただ、それだけで……」


 自分の手のひらに目を落として、自分に言い聞かせるように言葉を紡いでいる。



「その心根を潰したくない。それに……俺は、こいつの騎士だ。こいつの《《ワガママ》》は――俺が責任を持つさ」


「アレクさん……」


 嬉しかった。けど、同時に申し訳ない気持ちにもなる。

 アレクは自分の矜持を曲げて、私の味方をしてくれた…………その気持ちに恥じないように、私も責任を持たないと。


 そう決意をしていると、アレクの言葉を聞いたヴィヴァーチェさんが、苦笑いで大きく溜息を吐いた。



「…………仕方ないですね。わかりました! 今回はアリアさんの気持ちを尊重しましょう」


 両手をあげて降参のポーズをするヴィヴァーチェさん。



「ありがとうございます……ヴィヴァーチェさん」


「いえいえ、どういたしまして。ただ、この先に同じような事があっても、同意するかはわかりませんからね?」


 やんわりと忠告を受けたけど、これでタリルさん達に路銀を渡せる。



「ここからコーダまでだと、1人あたり銀貨3枚もあれば大丈夫でしょう。全部で銀貨18枚もあれば十分ですね」


 ヴィヴァーチェさんが荷物から銀貨を取り出して、数えながら私に手渡してくれた。


 ずしりと重い銀貨の束。

 これが、彼らの新しい人生の始まりになってくれるといいけれど――――


 深く息を吸って、タリルさんの前に進み出る。



「――これを、どうぞ」


 両手で差し出すと、タリルさんは目を見開いて固まってしまった。

 その手は、膝の上に固まったままで伸びてこない。



「…………本当に、もらっていいのか? 俺たちは、アンタを襲った……」


 震える声と手。

 切れた弦のせいで、彼のファゴットの音色は聴き取れない。

 けれど、葛藤していることは痛いほど伝わってくる。



「――はい。受け取ってください」


 にっこりと笑顔を向けると、私を見る瞳が揺れた。

 堪らずといった様子で彼が俯いた、その視線の先――膝の上で固く握られた手が、微かに震えていた。


 彼の中の葛藤が落ち着くのを静かに待つ。


 やがて、ゆっくりと顔を上げたタリルさんの目には、静かな火が灯っているように見えた。



「……本当に、もう終わりだと思っていた。おかしくなった頭が治った時は、堪らなかったよ」


 膝の上の手は、もう震えていない。



「だが、あんたは……こんな俺たちに希望をくれた。さっき、あんたは自分は聖女じゃないと言っていたが――――俺にとっては、聖女様だ」


 そう言って、深く頭を下げられた。



「あ、頭を上げてください!」


 驚いた私は、慌てて頭を上げてもらう。


 そんな事をしてもらいたいんじゃない。

 ただ、彼らから聴こえた絶望を、放っておけなかっただけ。



「私は、自分がそうしたいと思っただけなんです。私は、聖女様なんて大層なものじゃありません」


 そう言って、もう一度銀貨を差し出す。



「これは、施しではないんです。ただ私が、聴こえてきた音を無視できなかった――それだけなんです」


 私がそう言うと、握りしめていた手が膝から離れる。

 タリルさんの手が、ゆっくりと伸びてきた。


 両手で受け取ると、押し抱くように銀貨を握りしめて、また頭を下げられた。


「あ……ありがとう……」


 タリルさんの瞳から、一筋の涙が溢れ落ちた。

 その表情には、感謝と安堵と――少しだけ飲み込みきれない苦さが浮かんでいる。



「あと、これを――」


 ピアニッシモ辺境伯様とセシリア様に宛てた手紙。

 タリルさん達の状況を、できるだけ簡潔にまとめたけれど、上手く伝わるのを願うしかない。



「ピアニッシモ辺境伯様と、その御息女のセシリア様に宛てた手紙です。『アリア・カンタービレからの手紙』と伝えれば、少なくとも門前払いはされないはずです」


 そう言って、鮮やかなコバルトブルーの便箋を差し出す。


 ――――セシリア様から頂いた便箋。

 初めて使うのは、もっと楽しいことを書きたかったな……


 自分が決めたことなのに、そんな想いが浮かんでしまう。



「こんなものまで……何から何まで、ありがとう」


 便箋を受け取る震える手。

 さらに苦味が増した顔色。

 この人は父と同じくらいの年齢だから、きっと――そういうことなんだろう。



「――アリアが道は示したが、そこから這い上がれるかはお前達次第だ」


 腕を組みながら、鋭く尖った眼光を向けるアレク。



「正直、ここまでお膳立てされておいて、駄目だったとは言わせないぞ……。慣れない事に苦労はあるだろうが、死に物狂いで働け」


 そこまで言わなくても――とは思ったけど、タリルさんはふっと笑ってアレクを正面から見返した。



「ああ、もちろんだ。娘くらいの年齢の子にここまでされて、駄目だったなんて恥ずかしくて出来ないさ」


 後ろを振り向いて「なぁ、そうだろう?」と、仲間にも聞いている。

 それぞれが頷いたり、返事を返したりしている中、1人の男性――たしか、ムジカさんだったはず――が、じっとりとした目を向けているのに気づいた。


 何か嫌な気配がして、ムジカさんの心の音を聴こうとしたけれど、自分から出る不協和音で上手く聴き取れない……

 ただ、攻撃的な音ではないと思うし、アレク達もいるから大丈夫だろう。




 それから、タリルさん達はすぐに移動することになった。

 夜の森は危険だけれど、街道まで出れば問題ないそうだ。


 タリルさんが「行くぞ」と声をかけると、仲間たちが少し重そうに腰をあげる。

 口々に「ありがとう」と感謝の言葉を残して、背を向けて歩き出した。


 私は彼らの背中に向けて、無事に辿り着けるようにと笑顔で見送る。



「道中、気をつけてくださいね! コーダに着いたら、きっと上手くいきますから!」


 手を振って見送る私に、タリルさんが一度だけ振り返り、深く頭を下げて闇の中へ消えていった。



 ――――ああ……良かった。


 ふっと肩の力が抜ける。

 知らず、大きく吸い込んでた息を、肩の力と一緒に吐き出した。


 ただのワガママで、傲慢な考えだったかもしれない。

 でも、彼らに明日を生きるための希望を灯す。その手伝いはできたのではないだろうか。


 私の想いは……間違っていなかった――




 そう胸を撫で下ろした、その時だった。

 最後尾を歩いていたムジカさんが、ふと足を止めた。

 彼はゆっくりと振り返り、私の方を見た。



「ムジカさん……? どうかしましたか?」


 何か忘れ物でもしたのかな?

 微笑みかけようとした私の表情が、彼の顔を見て凍りついた。


 月の光に照らされた彼の瞳は――――暗く濁っていた。


 前屈みになった体勢で、下から睨め付けるように……親の仇でも見るかのように、じっとりとした視線――――



 そして、その言葉は静まり返った夜の森に



 ――――――ぽつりと零れ落ちた。








「……アンタは、偽善者だよ。俺たちを憐れんで施して――いいご身分だな」











 ――――――――世界から、音が消えた。









 風の音、焚き火の音、森の葉擦れの音、仲間たちの声。

 世界の全てが、静寂に飲み込まれた――――――――










 ばつん!



 背後から太い弦が千切れ飛ぶような音。

 その音だけが、静寂の世界で唯一つ響いた――――


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