第44話 罪の行方
――自分の中から聴こえてくる不協和音。
弦の切れたハープの音色。
これ……どうしたらいいの?
わからない……
茫然と自分の手を凝視していると、何かを察したアルバートさんが声を掛けてくれた。
「アリア、どうしたんだい? やっぱり体の調子が……?」
心配そうなその顔を見て、慌てて手を振る。
「い、いえ、大丈夫です! ちょっとボケっとしただけですから」
「……嘘はよくないな。どう見ても大丈夫な顔色じゃなかったよ」
少しだけ厳しい顔をするアルバートさん。
心を見透かすように青い瞳で私を見ている。
「――! 何か体に不調があるのか!?」
アレクの焦った声音。
しっかりと肩を掴むその手が、嘘は許さないと告げていた。
「…………ちょっと、心の音が変になっているんです。ハープの弦が、一本だけ切れたような――」
そう告げると、思ったよりも深刻な顔をアレクとアルバートさんから向けられてしまう。
「それは……体の痛みとかはあるのかい?」
恐る恐るといった風に、アルバートさんが聞いてくるけれど、首を振って返す。
「体が痛むとか、心が傷付いたとかじゃないです。ただ……このままだと上手く調律は出来ないかもしれない――」
――
―――― あ。
私……なんの取り柄も無い頃に戻ってしまうの……?
背筋に冷たいものが這い上がって、指先が温度を失っていく。
胸の奥に響く鈍い音が、不安を掻き立てる。
もし……もしこのチカラを失ったら、アレク達と一緒に居られなくなる――?
「――ああ、良かった」
ヴィヴァーチェさんが、胸に手を当てながら大きく安堵の息を吐いた。
「身体は大丈夫なんですね? でも、何かあるといけないので、安静にしていてくださいね」
トランペットの音色が穏やかに響いて、本心からの言葉だとわかった。
「で、でも……もしチカラが使えなくなったら……ヴィヴァーチェさんも困るんじゃ――」
「え? ――ああ、そんな事を心配してたんですか?」
ヴィヴァーチェさんはやれやれといった様子で、隣のアルバートさんに視線を向ける。
「やれやれ……ボクは知り合ったばかりだけど、キミ達の事をとても気に入っているよ? だから――」
そう言ってウィンクした後に、私の背後のアレクに顎で合図を送った。
「そんなチカラより、お前の体の方がよほど大事だろうが……! お前に何かあったら、村で待っている親父さんに申し訳が立たない」
後ろから聞こえてくるため息交じりの声。
安堵の色を乗せたチェロの旋律と一緒に、私の耳に深く染み入ってくる。
「で、でも……このチカラが無いと私は……私は、なんの取り柄もないただの女で……」
自分の中から聴こえる不協和音が耳に嫌な響きを残す。
「ヴィヴァーチェさんも、アルバートさんも……アレクさんも。このチカラのおかげで出会えて、仲間として扱ってくれて……」
自分の中の何かが欠けたような、そんな感覚。
何かが足りなくて不安で、怖くて、嫌な想像ばかり頭をよぎる。
「――怖いんです。自分が――みんなが変わってしまう事が……」
悪い考えばかりが頭に浮かんで、体が震える。
寒くも無いのにカタカタと震える肩に、力強い手のひらが置かれた。
「お前な……俺たちはそんなに馬鹿じゃない」
背後から、ふう、と吐かれたため息。
目を合わせられずに俯くしか出来なかった。
「確かに、切っ掛けはお前のそのチカラだったかもしれない。だが、今はそうじゃ無い……もう、そんな理由じゃないんだ」
肩に置かれた手に、ぐっと力が入った。
布越しに伝わる手のひらの熱と一緒に、アレクの真剣な想いまで沁みこんでくる。
「例え、そのチカラが無くなったとしても、お前の価値が変わるわけじゃない。お前の価値は、人を救いたいと願う――その心だろう」
チカラの事より、私自身を案じてくれるその気持ち。
その心が音になって私に届いてくれる。
嬉しかった。
――泣きそうなほどに。
鼻がつんとして、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「そうですよ! それに、まだチカラが使えなくなったと決まった訳じゃないでしょう?」
にっこりと笑顔で聞いてくるヴィヴァーチェさんに、頷いて応える。
「……そうですよね。私、いつの間にかこのチカラに頼りっぱなしだったのかもしれません……」
そうだ。
こうして私を見てくれる人がいる。そのことが、なにより大切なものなんだ――
「――ありがとうございます。ヴィヴァーチェさん、アルバートさん……それに、アレクさんも」
三人に感謝を。
チカラが無くなるかもって心配は無くならないけれど、もう恐れる必要は無い。
――そう思えるだけで、心が軽くなった。
頭に響く不協和音は消えていない。
漠然とした不安も残っている。
けれど、大丈夫。前を向ける。
力が抜けてアレクにもたれかかっていると、低い声が頭を越えて夜の森に響いた。
「――さて、アリアが大丈夫なら……次は、こいつらの処遇を決めようか」
声に冷徹さが戻り、一瞬で尋問するような圧力がこの場を支配した。
しん、とした静寂の中で、火の粉が弾ける音だけが夜風に乗って飛んでいく。
私が混乱していた間も後悔に沈んでいたタリルさん達は、悲壮な顔をこちらに向けた。
「……わかっている。あんた達には迷惑をかけた」
揺れる瞳のまま、絞り出すように言葉を紡いでいる。
「このまま……衛兵に突き出してくれ――」
重く、沈み込むような悲痛な音が頭に響く。
タリルさんは唇を噛みしめて耐えているけれど、後ろの人たちの中には涙を流す人もいる。
さっき、ムジカと呼ばれていた人は、下を向きながらぶつぶつと何かを呟いている……
絶望の音を空に還しても、待っているのは救いの無い現実――
ヴィヴァーチェさんが、ちらりと私とアレクに視線を投げてくる。
どうする? と、その目が聞いていた。
こんな……後悔で心が潰れそうな人たちなのに……
ただ、罪人として終わらせるのは間違っている――!
痛む体に力を入れて、アレクにもたれていた身体を起こした。
アレクの腕に支えられながら体の向きを変えると、彼と正面から向き合う。
震える膝に力を込めて、背筋を伸ばした。
「アレクさん……」
目を合わせると、冷たくはないけれど真剣な目とぶつかる。
「この人達の中には、誰かを襲おうなんて気持ちはありません。あるのは――深い後悔と家族への未練です」
背後から聴こえてくる重たい音。
その中には、もう会えない家族たちへの未練と寂寥――
「……だから、見逃せと?」
アレクの瞳が刃のように鋭く光る。
「……このまま衛兵に引き渡しても、ただ罪人として扱われて終わるんですよね?」
私は、敢えて直接答えずに質問で返す。
アレクの眉がぴくりと動いたけれど「……そうだ」と頷いて返してくれる。
「それなら、私は違う方法で償ってもらいたいと思うんです」
振り返ると、力なく俯いているタリルさん達がいる。
このまま裁かれても、ただ不幸を巻き散らすだけだ。
「必死に働いて――村を復興すること。それが、彼らのやるべき事じゃないでしょうか?」
私を見るアレクの目は、騎士の目だった。
温度を感じさせない、冷静な監視者の瞳。
「たとえ縛り首にしても、彼らが失ったものは戻りません。むしろ、残された家族が路頭に迷うだけ――」
こんな事は、アレクだって当然わかってると思う。
でも、法と治安を担う者として、非情に徹してきたんだろう。
「なら、罰としての労働を……生き直すことを選択することが最善じゃないでしょうか?」
頭の中で弦の切れたハープが不協和音を立てている。
その欠落感が不安を掻き立てるけれど、アレクから目を逸らさない。
「――そいつ等の村は、洪水が起きて畑が全滅しているんだろう? どうやって働いて償うと……?」
答えはわかっているんだろう。
でも、私が言葉にすることが大事だと思っているんだ。
やっぱり、厳しいけど……とっても優しい――
私が後悔しないように、しっかりと自分の意思で決めているのか。
――それを見定めようとしてくれている。
「ピアニッシモ辺境伯様の領地に行ってもらいます。領都コーダは景気が良くて、働き手は引く手数多だとセシリア様から聞いてます」
用意していた答え。
王都の方が近いけれど、働き口があるのかわからない。
その点、コーダなら確実に仕事先がある。
「辺境伯様とセシリア様に充てる手紙も用意します。あのお二人なら、良くしてくれるはずです」
これで「労働」についての問題は解消できるはずだ。
振り返ってタリルさん達を見ると、目を見開いて驚いた顔をしている。
少しずつ、希望の音色が聴こえてきた――奥の方に、小さな雑音があるけれど……
あと、懸念する材料は――
「それで、倒れる前に路銀の話をしていたんだな?」
アレクの確認に頷く。
ここからコーダまでの距離は、私にははっきりとはわからないけど、メロディア村よりは近いはずだ。
それなら――
「ピアニッシモ辺境伯様から頂いた報酬から、この人達がコーダに辿り着くのに必要な分のお金を渡します――」
「――ちょ、ちょっと待ってください!」
突然、アレクとの会話を断ち切る声。
焦った様子のヴィヴァーチェさんが、話に割り込んできた。




