第39話 絶望の音色
――銀の尾を引くような一閃が、闇を裂いた。
夜の林に木霊する、盗賊達の悲鳴。
踏み込んだアレクの足元で、湿った土が爆ぜる重い音が響く。
ヒュッ、と風を斬り裂く音と、夜空に閃く銀色の弧。
アレクの振るう剣は、凍てつくような蒼白い輝きを放っていた。
男が力任せに振り下ろした錆びた斧を、アレクは紙一重の動きでかわす。
アレクの剣が冷徹なチェロの重低音を纏って、先頭の男の胸元を叩く。
「あ、が……っ!」
男が崩れ落ちる鈍い音よりも早く、光の軌跡は次の獲物へと伸びる。
恐怖に震える私の瞳に焼き付くのは、揺れる炎の紅と、冷たく閃く銀色の軌跡。
風のように距離を詰めて、横薙ぎに一閃。
相手は剣戟を交わすことなく崩れ落ちる。
彼が腕を振るうたび、打たれ、弾かれ、男たちが地に伏していく。
圧倒的な力の差が、闇の中に静まりかえる影の数として刻まれていった。
静寂に包まれた中で、私は息を呑んだまま立ち尽くしていた。
前に立つ二人も、時間が止まったように固まっている。
小さく「……凄い」と息を漏らしたアルバートさんの肩が震えている。
アレクは静かに剣を納めて、盗賊達を警戒しながらこちらに振り向いた。
右手を持ち上げて、手で何かを合図している。
頷いたヴィヴァーチェさんが、荷馬車からロープを引き出してアレクの元へ。
「こいつらを縛り上げるぞ」
冷たい響きを纏う声で、アレクが盗賊達を見下ろしている。
うめき声をあげながら倒れている男たちは、誰も動かない。
そして、アレクがロープで縛りあげようと、一歩踏み出した時だった。
――音が、聴こえた。
泥沼に沈んでいくような、重く、昏い音。
心の中が塗りつぶされるような、喉の奥に絡まって引き摺り込まれるような音が、私の中に入り込んできた。
「――っつ! 嫌っ!?」
心臓にへばりつくような不快な感覚に、思わず頭を抱えて蹲ってしまう。
「アリア!? どうした、大丈夫か!?」
「アリアさん!?」
二人の声が聞こえてくるけれど、身体の震えが止まらない。胸の奥に沈み込むような、重くて苦い音。
嫌だ……胸が苦しい……!
涙で滲む視界の中、じゃり、と地面を踏みしめる音と、ふわりと背中に当てられた手の感触。
「大丈夫、ゆっくり息を吸って……」
アルバートさんの声が、染み込むように私の中に響いてきた。
必死に息を吸って、この濁った不協和音を吐き出そうとすると、背中を優しくさすってくれる。
「ゆっくり……そう、ゆっくり息を吸って……」
何度か深呼吸をすると、心が落ち着いてきた。指先はまだ小さく震えているけど、顔を上げてお礼を告げる。
「ありがとうございます、アルバートさん。もう、大丈夫です」
「そのようだね、突然叫ぶから驚いたよ」
肩を竦めながら戯けて言うアルバートさんだけど、彼のリュートは早鐘を打っていて、内心はだいぶ動揺しているようだ。
「さて、あっちの様子はどうなったかな?」
つられてアレク達の方を見ると、盗賊達を縄で縛り終えていた。
さっき聴こえた濁った不協和音が頭をよぎる。
――あの音って……
「アリア! なんともないのか?」
盗賊達を冷徹に見下ろしながら、私を見て声をかけてくれたアレク。頷いて返事を返すと、少しだけ肩の力が抜けたように小さく息を吐いた。
「コイツら、何をしたんだ? 何か怪しい力でもあるのか?」
「そんなまさか……でも、もしそうだったら、こいつらを連れて隣町まで行くのは怖いですね……」
ヴィヴァーチェさんの声からいつもの陽気さが消えていた。商人の目は、物を見るような冷たさで盗賊達を見下ろしている。
「野放しにすれば他の馬車を襲うでしょうし、ここで処分するのが、一番安全でしょう」
――処分?
処分って……殺すって……こと……?
いま、目の前で倒れている人たちを……?
目を向けると、盗賊のひとりが目を剝いて蒼褪めていた。「命だけは……」と這いつくばっている人、項垂れて何も言わない人もいる。
アレクは「そうだな……」と返して、剣の柄を握りしめた。
――違う。
あの音は……あの泥沼のような音は、違う!
「悪意」とか「害意」とかじゃない。
あれは――絶望。
目の前でアレクの剣が抜き放たれた。月光を浴びた刀身の、蒼白い光。
冷徹で、心が冷えていくような輝きを見て、私の足が前にでる。
――駄目だ!
あれは、誰かに救いを求めている――そんな音だ!!
「待ってください!」
私は走り出すと、アレクと盗賊達の間に、両手を広げて飛び込んだ。
いきなり飛び込んできた私に驚いて、目を見開いたアレク。だけど、次の瞬間には氷のように冷たい眼差しで私を見据えた。
「……退け、アリア」
「――退きません」
足が震える。
アレクの冷徹で鋭い眼差しに、背筋が冷たくなる。全身が、危険だと叫んでいるようだ。
だけど、私はアレクから目を逸らさずに叫ぶ。
「この人達は敵じゃない! ただ、追いつめられて、絶望して……泣いている音がするんです!」
アレクの眉がピクリと上がった。
無言の圧力を感じながらも、私は必死だった。
「助けを求めているんです! だから……まずは話を聞きたいんです! 何があったのか、どうしてこんな事をしたのかを――」
背後から、息を呑む音が聴こえる。
アレクは何も言わずに眇めた目で私を見ている。言葉の真意を見定めるように。
耳が痛くなるほどの静寂の中、アレクが小さく息を吸った。
「……話を聞いてどうする? そいつらは、既に罪を犯している。盗賊行為は、例外なく縛り首だ」
冷徹な眼差しのまま、私に問いかけてくる。
その瞳に温度は無くて、さっきからずっと、彼のチェロの音も聴こえない。
私は、震える両手を握りしめながら訴える。
「それでも、話を聞いてみたいんです。私は、この人達の音を聴きました……どうしても、この音を無視することはできません」
聴こえないようにしていても、わずかに流れ込んでくる不協和音。
こんなに苦しそうな音が、すぐそこで鳴り響いているのに――アレク達には聴こえない。
でも、この人達を……絶望の中で助けを求めている人達を”始末”するのは間違っている……!
――なら、私がなんとかしなきゃ!
「お願いです、アレクさん……退いて下さい」
一歩、前に出る。アレクの目を見ながら訴えかけるけど、彼のチェロの音が聴こえない。
彼はどう思っているんだろう。怒っているだろうか……それとも、呆れている?
凍てついた表情からは伺えない。
盗賊達のうめき声以外に音が消えた世界で、私はアレクと対峙していた。
「……ひとつ、聞かせてくれ」
凍った表情のまま、アレクが口を開いた。
心臓が早鐘を打つ中、言葉の続きを待つ。
「お前が感じた音は、本当なんだろう。それは信じている。だが――」
抜き身の刃が炎に照らされ、紅く染まる。
「そいつらを解放した後に、他の人間を襲わない保証はあるのか? ――お前は、その行為に責任を取れるのか?」
温度の無い言葉が、私の心に突き刺さった。




