閑話 危険な距離
この閑話は、アリア視点ではなくアレクの視点となっています。
第38話「二つの月の下で」の前半シーン。アリアとアレクのじれったい恋愛シーンでアレクが何を感じていたか……いつもと違う【ココロ・ノート】をお楽しみください。
長く伸びた影が、アルルの歩調に合わせて揺れている。
王都まであと2日ほどの距離まで来たが、今日は野営すると決めていた。
気丈に振る舞ってはいるが、旅慣れていない彼女には疲労が溜まっているはずだ。
ここで無理はさせられない。
時折アリアに声をかけながら進むと、やがて目的の場所が見えてきた。
ヴィヴァーチェのやつが「野営にちょうどいい場所がありますよ!」と、自信満々に言っていたが……確かに良い場所だ。
水場に近くて、林からは適度に離れている。
見通しが良いから、これなら狼が出てきても対処しやすい。
歩調を落としてアルルの首を軽く撫でてやる。
「よくやった」と声をかけると、小さく鼻を鳴らした。
ポイントを決めて野営の準備に取り掛かる。
テントはあいつらに任せて、俺とアリアはこの子達の世話を買って出た。
俺はアルルを、アリアにはノクトの手綱を引いてもらって、警戒も併せて周囲を軽く歩いて回る。
ノクトを気遣うアリアの表情は柔らかくて、通り抜ける風が彼女の亜麻色の髪を掬うように舞い上がらせた。
「ふふ、ノクトもお疲れ様……わあ、お腹にいっぱい汗をかいてるね」
乱れた髪をかき上げて、小さく笑うアリア。
手綱を引きながら振り返る彼女の髪が、西日に透けて細い糸のように光をはらんだ。
ただそれだけの光景なのに、胸の奥がわずかに疼いた。
軽く首を振り、頃合いを見て近くの樹に手綱を繋ぐ。
首筋を撫でながらハーネスに手を掛ける。
ぎしりと重い音を立てる革具を外すと、心なしか俺の心も軽くなる気がした。
――馬の様子を見ているときだけは、余計なことを考えずに済む。
アルルの鼻先を撫でてやると、安心したように息を吐いた。
「アリア、飼葉の用意を頼む」
飼葉は彼女に任せて、俺は蹄の裏や蹄鉄を確認してから、軽く水を飲ませてやる。
「アレクさん、これくらいでいいですか?」
「ああ、それでいい。じゃあ、アリアはノクトの手入れを頼む」
飼葉の準備を終えたアリアは、額に滲んだ汗を拭いながらノクトの汗を拭いている。
手つきはまだ少しぎこちない。それでも、以前よりずっと落ち着いている。
……声をかけるのは野暮か。
楽しそうにノクトの世話をしている彼女の邪魔をしたくなかった。
しばらく無言の中で、ブラシの音だけが地面に染み込んでいく。
アルルが気持ちよさそうに「ふるる」と鼻を震わせたのに釣られて、自然と口元が緩んだ。
その時、小さく息を呑む音が耳に届いた。
何かあったのかと目を移すと、同じところを何度もブラッシングしているアリアの姿。
白い頬が赤く染まっている。
……どうしたんだ?
そう思って声を掛けようとした時、「あ……!」と小さく声を上げたアリアの体が、大きくぐらついた。
体がのけ反り、こちらに倒れ込んでくる。
――危ない!
考えるより先に体が動いた。
ノクトに押されてバランスを崩した彼女を、背後から抱きとめる。
腕の中に納まった体は、思ったよりも細く、そして軽かった。
下を向いて体を固くしているアリアが目に入る。
腕に感じる柔らかい感触に、一瞬心臓が跳ねるが、気付かないふりをして声をかける。
「大丈夫か?」
耳元で声を落とすと、アリアは驚いたように振り返った。
吐息がかかるほどの距離で、視線がぶつかる。
翠がかったヘーゼルの瞳が、大きく見開かれて俺を映している。
無防備なその瞳に、吸い込まれそうで――
「だ……だいじょう、ぶです……」
か細く震える声が鼓膜を叩く。
ハッとして慌てて顔を背けるが、心臓が跳ねてうるさく鳴っていた。
――俺は今、何をしようとしていた!?
僅かに縮まっていた距離に気づいて、慌てて体を起こす。
緊張で固まった腕をなんとか開くが、彼女は動かない。
彼女の背中から伝わる熱が、やけに熱い。
早鐘を打つ心臓が、自分のものか彼女のものかわからなくなってくる。
「ノクトが……」
息のかかる距離で、彼女が呟く。
俺は「……ああ」と返すので精いっぱいだった。
どうしたらいいのか自分でもわからなくなっていると、少し離れた場所からひそひそとした笑い声が聞こえてきた。
「いやぁ、青春ですねぇ……」
視線を投げると、ヴィヴァーチェがニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。
隣のアルバートも、リュートを構えて歌おうとしていやがる。
「うんうん。あの初々しさは、歌にしたくなるなぁ!」
……お前たち、いい度胸だ。
俺は無言のまま、腰の剣に手をかけた。
カチリ、と鯉口を切る金属音が響く。
「ひっ!? ア、アレクさん、目が笑ってないですよ!?」
「じょ、冗談だよ! そんな殺気出さないでくれ!」
「……お前たち、覚悟はいいか?」
低く告げると、二人は慌てて口をつぐんで逃げ出していった。
まったく、どうしようもない奴らだ。
剣の柄から手を離しながら、少しだけホッとした自分に気づく。
……くそ。
敵に囲まれるより、あの距離の方がよほど危険だ。
いかがでしたか?
いつもは硬派なアレクですが、内心はけっこう動揺しています。
折を見て閑話は追加していくので、お楽しみに!




