第37話 歌になる旅
――空は高く、どこまでも青い。
荷馬車はゆっくりと進み、軋む木の音が一定のリズムで揺れを刻んでいる。
私はその揺れに身を任せながら荷台の縁に腰を下ろしていた。
隣ではアルバートさんがリュートを膝に置き、弦の一本一本に耳を澄ませるように指を動かしている。
前方からはヴィヴァーチェさんの少し調子のはずれた鼻歌と手綱の擦れる音が聞こえ、視界の端では、アレクが馬上から変わらぬ距離を保っていた。
頬を撫でる風が心地よく、道はその先へと静かに続いている。
ふと見上げた先にあるのは、高く澄んだ果てのない空。
目を細めながらこの道の先に待つ景色に心を寄せていると、隣からリュートの軽やかな音色が聴こえてきた。
高く低く――爪弾かれる旋律が風に乗って飛んでいく。
♪――さあ、希望と共に 高く澄んだ空を
吹き抜ける風よ――♪
朗々とした歌声が、朝の街道に響き渡る。
足を止めた人々が思わず振り返り、その先で、鍬を置いて休んでいたお爺さんが、汗を拭いながらこちらに手を振ってくれた。
昨夜の喧騒が嘘のような穏やかさの中、アルバートさんのリュートに合わせて、私の中のハープが音を奏で出した。
リュートとハープ。二つの音が重なり合い、混じり合って一つの旋律へ――。
重なり合う二重奏。
ひとりでに奏で出すハープの音色に戸惑うけれど、悪い感じはしない。流れる音に任せたまま、心を澄ませた。
昨夜もそうだった。
アルバートさんのリュートに引っ張られるように、心の音が勝手に響き出してしまう。
これは、アルバートさんだからなんだろうか?
それとも、他の人の演奏でも同じなの?
見上げた視線のままそんなことを考えていたら、歌が終わったようだ。
リュートが余韻を残して消えていくと、不意に聞こえる手を叩く乾いた音。
「いやぁ、朝から素晴らしい歌が聴けるなんて気分が良いですね! アルバートさん、もう一回歌って下さいよ」
御者をしているヴィヴァーチェさんから、ご機嫌な調子のトランペットが聴こえてくる。
並走しているアレクからも、穏やかなチェロの音色が聴こえてきた。凛々しい目元も、少しだけ柔らかくなってるように見えた。
「はは、気に入ってくれて嬉しいね。また後で歌わせてもらうよ」
ニコニコと笑いながら、また弦の調整に戻ったアルバートさん。
鼻歌を歌う彼の心から、自由に羽ばたく鳥のようなリュートの音色が聴こえてくる。
荷馬車は、ゆっくりと街道を進む。
しばらく進んだところで、私はアルバートさんに尋ねた。
「そういえば、アルバートさんって王都に行ったことはありますか?」
「うん? ああ、半年前に王都に寄ったことがあるよ。」
アルバートさんが、リュートを撫でながら答えた。
「王都で路銀を稼いでいてね、あの街は音楽を愛する人が多くて、とても居心地が良かった」
「じゃあ、王都のこと詳しいんですね」
私がそう聞くと、アルバートさんは「それなりにね」と、少し誇らしげに胸を張る。
その様子がなんだか可愛らしくて、私は思わずクスッと笑ってしまった。
「王都には、素晴らしい場所がたくさんあるんだ」
アルバートさんが、目を輝かせて話し始めた。
「大聖堂の鐘の音は、その重厚で力強い音色を街中に響かせるんだ。朝、昼、夕暮れと、その音色が街全体を包み込んで、まるで、街そのものが楽器になるんだよ」
「わあ……」
私は、思わず声を上げた。
大聖堂の鐘のことは、前に村長さんから聞いたことがある。一度聴いてみたかったんだ。
「それから、中央広場では毎日のように大道芸人が芸を披露しているね。ジャグリングをする人、火を吹く人、曲芸をする人——本当に賑やかで、見ているだけで楽しいよ」
「そうそう! 自分のお気に入りの大道芸人を探すのも楽しいですよね!」
ヴィヴァーチェさんが、御者台から振り返って話に参加してきた。
アルバートさんは頷いて見せた後に「それから……」とさらに声を弾ませる。
「王立図書館も見事だよ。天井まで届く本棚が、ずらりと並んでいるんだ。古い書物から新しい書物まで、何でも揃っている。学者たちが毎日のように研究しているよ」
「すごい、そんな場所があるんですね……」
私は、想像するだけで胸が高鳴った。
でも、そんな場所に私が入っていいんだろうか?
そんな不安が顔に出ていたんだろう、アルバートさんは優しく笑って言ってくれる。
「大丈夫、ボクが案内してあげるよ。他にも美しい場所がたくさんあるんだ。キミに、王都の一番美しい景色を見せてあげるよ」
少しキザったらしく髪をかき上げて、優しく笑いかけてくれる。
「お願いしますね! うわぁ……楽しみだなぁ」
私はまだ見ぬ王都の景色を想像して、胸を高鳴らせていた。そんな様子を見ていたアレクが、アルバートさんに声を掛ける。
「最近の王都の様子はどうだった? 何か変わった噂なんかは無かったか?」
そう問われたアルバートさんが、少し考えるように視線を上げた。
「そうだね……」
彼が、少し言葉を選ぶように続ける。
「王太子殿下と王太子妃が、体調を崩されたらしいね。最近は、ほとんどお見かけすることがないって、王都の住民から聞いたよ」
「王太子様が!?」
アレクが驚いた声をあげて、馬上から振り返っている。普段から冷静な彼が、随分と動揺しているみたい。
「うん。詳しいことは知らないけれど、王宮の人たちも心配していたみたいだよ」
アレクの顔が強張り、眉間のシワを寄せて、表情がみるみる険しくなっていく。その肩に力が入って緊張しているのがわかった。
元近衛騎士なんだもんね。もしかしたら王太子様にも会ったことがあるんだろうか?
私も、王太子様のことは絵姿で見たことがある。穏やかそうな、優しい笑みを浮かべた方だった。
体調を崩されている——それが、どういうことなのか……胸の奥が、ざわりと軋んだ音を立てた。
さっきまで重なっていた旋律が、一瞬だけずれたような――そんな感覚だけが残った。
「でも、王都は素晴らしい街だよ。きっと、キミも気にいると思う」
アルバートさんが、私の顔を見ながら明るい声で言った。まるで私の不安を吹き飛ばすみたいに。
不安が顔に出てたみたい。気を使わせちゃったかな。
不安になってても仕方ないよね。
まずは王都に行ってみよう。そうすれば、何かわかるかもしれない。
あ、それと、もしかしたら『調律師』の話なんて聞いてたりしないだろうか……?
私は、少し躊躇ってから尋ねてみる。
「あの、アルバートさん。『調律師』のことを研究している学者の話って、聞いたことありますか?」
「調律師? なんだい、それ?」
アルバートさんが首を傾げた。
「ああ! あのお伽噺に出てくる『調律師』のことかい? ごめんよ、それを研究している人がいるとは聞いたことがないな」
「そうですか……やっぱり地道に探すしかないですね」
近道は出来なさそうだった。少し残念だったけれど、すぐに気持ちを切り替える。
「そのことを調べるのが、私が王都に行く目的でもあるんです。だから、王都に着いたら、『調律師』を研究している学者さんを探さないといけなくて……」
「そうだったんだ。じゃあ、王都に着いたらボクも探すのを手伝うよ。一緒に探そう。ボクも、興味が湧いてきたよ」
アルバートさんがワクワクした顔で手伝いを申し出てくれた。
私の心にリュートの音色がとどいてくる。懐かしさと期待に揺れていて、まるで、遠い故郷を思い出すような、そんな温かさと新しい冒険への高揚感が混じり合っていた。
この人も、王都にたくさん思い出があるんだろうな。
「王都、楽しみですね! 私もアリアさんに案内したい場所があるんですよ。とても素敵な場所ですから、楽しみにしてて下さいね!」
ヴィヴァーチェさんが、御者台から振り返って言った。その顔には、期待と、ほんの少しの不安が混じっている。
「王都で楽しむのもいいが、借金を返す算段は?」
アレクが、馬上から悪戯する猫のような表情をしながらヴィヴァーチェさんを揶揄った。
「そ、それは……これから考えます!」
ヴィヴァーチェさんが、慌てて答える。その慌てぶりがなんだか可笑しくて、私もアルバートさんも笑ってしまった。
笑いが収まると、アルバートさんが姿勢を正して皆を見渡した。
「改めて言わせてほしい」
アルバートさんはそう前置きすると、真剣な顔を私たちに向けた。
「ボクはね、君たちの旅を歌にしたいんだ。誰かの胸に残る、美しい物語として……」
そう言って私たちの目をひとりずつしっかりと見て続ける。
「正直に言うよ。ボクはボク自身のために、この旅に付いていく……でも、仲間として力が必要なときは、惜しむつもりはない。だから――よろしく頼むよ」
真剣な眼差しを微笑みに乗せて、アルバートさんは軽く頭を下げた。
私は「こちらこそ」と、笑顔で頷く。
「賑やかになりそうですね! いやぁ、ますます退屈しなくて済みそうだ!」
ヴィヴァーチェさんが、少年のようにはしゃいでいる。
アレクは大きくため息をついて「面倒なやつが増えた……」とぼやいているけど、その声には優しさが混じっている。
「まあ、お前の意思はわかった。これからよろしくな」
素直じゃないアレクだけど、いつもより少し柔らかい目でアルバートさんを見ている。
彼のチェロも、歓迎するように柔らかな音色を奏でていた。
私は「こちらこそ」と返事を返したけれど、アルバートさんの言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かに鳴っていた。
それは、励ましでも誓いでもない。
もっと柔らかくて、でも逃げ場のない音。
――この人は、私たちを「英雄」にしようとしているわけじゃない。
ただ、私たちが歩くこの時間を、嘘なく見届けようとしているんだ。
歌にすると言われたのに、不思議と気恥ずかしさはなかった。
美しく飾られる未来だけじゃない。
迷ったり泣いたりするかもしれない。
そんな私たちのこれからを、ありのまま受け止めてくれる。そんな気がしたからかもしれない。
「君たちの物語を歌いたい」
その言葉は。期待ではなく、覚悟だったのだと遅れて気づく。
だから私は、思わず背筋を伸ばしていた。
この旅は、誰かに守られる物語ではなく、語られてしまう物語になるのだと。
良いことも、悪いことも、きっと全部が歌になる。
そう思いながら、私はただ前を見ていた。




