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ココロ・ノート〜心の音が聴こえる世界で、少女は伝説の調律師になる~  作者: 名雲
第2章「王都への旅」

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第35話 アルバート・ドゥガッタ

 その男性は澄んだ青い瞳で私を見つめていた。


「音……音楽? なんだろう、あなたの周りに音楽を感じる……?」


 うわごとのように呟いているけど、その言葉に思わず息を呑んだ。



「どうして……?」


 思わず呟いた言葉。

 それを聞いた吟遊詩人の男性は、ハッとしたように目を見開くと、慌てたように手を振りだした。



「ごめんごめん! 不躾に見てしまったよ。レディに対して失礼だったね、許してくれるかな」


 少しキザっぽい仕草で髪をかき上げる吟遊詩人。

 もう一歩近付こうとする彼の機先を制するように、アレクが一歩前に出る。



「お前、アリアを見てなんて言った? 音楽だと……?」


 警戒心を隠すことなく、手は腰の剣に伸びている。

 周囲の客が何事かとこちらを見始めた。マズい、こんなお店の中で剣なんか抜いたら大変だ!



「ア、アレクさん、剣なんて抜かないでくださいよ!?」


 私が慌てて言うと、アレクがチラッと私に視線を寄越してから小声で話しかけてきた。



「そんなことするわけないだろう。おい、アリア。店の中は人でいっぱいだが、コイツの音だけ聴くことはできるか?」


 ――この人の音だけ? この喧騒の中で?

 人が多いから、今は自分の音に集中しているけど……。

 今、外に意識を向けたら、またコーダの時みたいに頭痛が襲ってくるんじゃないか……

 胸の奥で不安が冷たく渦巻く。


 ――でも、王都に行ったら、もっと人が多いんだ。

 これから先、どんな事態が襲ってくるかわからない。怖がっているばかりじゃ駄目だ。


 私は小さく息を吸い込んで、覚悟を決めた。



「わかりました。――やってみます」


 アレクの肩越しに見える男性に意識を向ける。

 周りの音が入り込まないように、集中するんだ。そうすれば、多分大丈夫……なはず。


 集中、集中……


 周囲の音が遠のいていく。

 お酒の匂いも、人の熱気も、すべてが薄れていって――


 ――リュートの音色が聴こえてきた。


 自由な翼を持つ鳥たちのように舞いながら、私の心に沁み込んでくる。

 なんて自由で、純粋で――でも、どうして哀しい響きなんだろう。


 その哀歌エレジーに思わず胸を押さえる。


 私たちに敵意とか害意が無いのは間違いない。

 リュートの音色が教えてくれるのは、困惑と好奇心。彼も何かしらを感じ取っているのかもしれない。



「アレクさん、彼に悪い感情はありません。あるのは純粋な好奇心と、少しの困惑です」


 私の言葉を受けて、アレクが小さく頷く。

 少し警戒を緩めたようで、前かがみのまま剣の柄に添えられていた手が、わずかに緩んだ。


 ゆっくりと体を起こして一歩下がった。

 彼から感じる圧力が霧散して、張り詰めていた空気が少しほどける。私も、知らず知らずのうちに握りしめていた手を緩めた。


 吟遊詩人は安堵したように大きく息を吐いて、困ったような笑みを浮かべている。肩の力が抜けたのが、見ていてわかった。



「君たちに危害を加えたりしないよ。ただ、そこのレディがちょっと気になってさ」


 両手を小さく上げてぷらぷらと振りながら、敵意は無いとアピールしてくる。

 そんな様子を目に映しながら、私は彼が言っていた言葉が気になっていた。音楽が聴こえたと言っていたけど、それって――



「さっき、私を見ながら『音楽を感じる』って言ってましたよね。どういうことですか?」


 テーブルの上で、自分の手が小さく震えてるのに気づいた。

 この人も、私と同じチカラを持っているんだろうか? そうだとしたら、話を聞いてみたい。


 すると、彼はアゴに手を当てながら、言葉を探すように視線を少し落とした。



「うん? そのままの意味だよ。キミの周りから音楽が聴こえてくる気がしたんだ。まるで、世界が奏でる音楽を聴いた気分だった」


 そう告げる彼のリュートが、好奇心で満たされていく。小刻みなリズムは、今にも走り出しそうだ。



「そうなんですね。実は私も、貴方に不思議な感覚を感じていて……少し、お話できますか?」


 私の言葉を聞いた瞬間、吟遊詩人の青い瞳が、ぱっと灯ったように輝いた。

 息を呑む音が聴こえる。まるで胸の奥で弾かれた弦が、堪えきれずに音を零したみたいに。



「もちろん! ボクからも是非お願いするよ。俄然、キミに興味を持ってしまったからね」


 彼は嬉しさを抑えきれない様子で、思わずといった風にリュートを抱き寄せた。

 華やかな笑みを浮かべて、そのまま指先で弦を軽く弾く。


 ――ぽろん、と小さな音が鳴った。


 周囲の喧騒にかき消されそうなほど小さな音なのに、そこには隠しきれない弾みがあった。


 彼から流れてくる音が、さっきまでよりも明るく、軽やかに跳ねていた。

 期待と好奇心が混ざり合って、まるで新しい旋律が生まれる直前みたい。


 その音色は店内の喧騒の中でも際立って、私の心に真っ直ぐ響いてくる。


 ――ああ、この人は、本当に心から「面白い出会いだ」と思っているんだ。

 そんな感情が、言葉よりも先に音楽として私に伝わってきた。





 ----------------------



「――心の音が聴こえるだって!!?」


 吟遊詩人の叫び声が、喧騒に包まれていた室内によく響いた――。


 一瞬、周囲の会話が途切れる。隣のテーブルの男性が眉をひそめてこちらを見た。カウンターの店主も、訝しげな視線をむけている。

 私は恥ずかしくなって、思わず顔を伏せた。



 あれから席に戻った私たちは、お互いに挨拶を交わした。

 吟遊詩人の彼はアルバート・ドゥガッタと名乗り、国を越えて吟遊詩人として旅を続けているそうだ。


 軽く話しているうちに、演奏の時に感じた不思議な感覚の話になっていった。

 私が「他人の心の音が聴こえる」と話したら、アルバートさんが驚いて、今に至っているんだけど……。


「そ、それは本当なのかい!? そんなの、まるでお伽話の『調律師』――もがっ!?」


 アレクが慌てて口を塞いで「馬鹿野郎!声が大きい!」と小声で睨みつけている。


 アレクに口を塞がれたアルバートさんは、それでも「んむっ!んむむっ!」と興奮を抑えきれない様子で身をよじっている。

 リュートから聴こえてくる音は、まるで興奮で震える弦が鳴り続けているようだった。



「周りを見ろ!」


 アレクが抑えた声で、短く警告する。その声音には有無を言わさぬ迫力があった。

 アルバートさんがハッとしたように目を見開く。彼の目が左右に揺れて、素早く周囲を確認している。


 ――あちこちのテーブルから、訝しげな視線がこちらに向けられていた。


 奥の席では、中年の男性がこちらを睨みながら連れの人に何か話している。窓際の女性客は、どこか面白がっている顔で、こちらに視線を寄越していた。

 まずいと思ったのか、アルバートさんの顔から血の気が引いていく。


 彼はアレクに向かって小さく頷く。申し訳なさそうに肩をすくめる仕草は、どこか子供のようだった。



「次、騒いだら叩き出すぞ」


 アレクが耳元で囁く。その声は静かだったが、冷たい刃のような鋭さがあった。


 アルバートさんの顔が、さらに青ざめる。

 彼は慌てたように何度も頷いて、両手を合わせて謝罪のジェスチャーをした。


 アレクがゆっくりと手を離して、元の席に腰を下ろす。


 アルバートさんも促されるように椅子に座ると、大きく深呼吸をした。

 胸が上下するのがはっきりと見える。


 視界の端で、ヴィヴァーチェさんが周囲の客に何か言っているのが見えた。



「いやぁ、友人が久しぶりの再会で興奮しちゃいまして! 騒がせてすみませんね!」


 人懐っこい笑顔で、時折申し訳なさそうに頭を下げながら、上手く場を収めてくれているようだ。

 さすがだな、と思う。こういう時は本当に頼りになる。


 アルバートさんが小声で、でも抑えきれない期待を滲ませながら言った。



「ごめんごめん、あまりの驚きに我を忘れてしまったよ。でも、本当なのかい? その『調律…』」


 言いかけて、アレクの鋭い視線に気付いたのか、慌てて言葉を飲み込んでいる。



「――その、不思議な能力は?」


 彼から聴こえてくるリュートの音色が複雑に絡み合っていた。

 高く弾む音は、本当だったらという期待。低く震える音は、まさかという疑念。

 二つの感情が同時に響いて、彼の心が揺れ動いているのがよくわかった。


 私は小さく頷いて、彼に答える。



「そうですね。私もはっきりとわかってる訳じゃないんですけど、多分そうだと思います」


 その言葉を聞いた瞬間、アルバートさんの青い瞳が大きく見開かれた。



「なんてことだ! これは……最高の物語になりそうだ!」


 思わず立ち上がりそうな勢いで身を乗り出す。

 その声が大きくなりかけるけど、アレクの鋭い視線に気付いて、慌てて少しトーンを落とした。


 でも、彼のリュートから聴こえてくる音は止まらない。

 確信に満ちた明るい旋律が、どんどん高揚していく。疑念の音は消えて、今は純粋な興奮だけが響いている。



「心の音を聴く少女に、その身を護る騎士と商人……そこにボクが加わる――」


 アルバートさんが呟く声は、興奮で少しずつ大きくなっていく。

 彼の両手が強く握りしめられていて、小刻みに震えている。頬は紅潮して、青い瞳は熱を帯びた光を宿していた。


 彼の心のリュートも、まるでそれに呼応するように、激しく情熱的に鳴り響いている。



「まるでお伽噺じゃないか! こんな巡りあわせを逃す手はないね」


 アルバートさんが目を輝かせて、私たちを見つめる。

 その眼差しには、まるで宝物を見つけた子供のような、純粋な喜びが宿っていた。


 彼はテーブルに両手をつくと、真剣な表情で私たちに向き直った。



「お願いだ! ボクを仲間にしてくれないか」


 その声には、さっきまでの軽さはなかった。



「君たちの旅を、この目で見て、この耳で聴いて、この心で感じて歌にしたいんだ!」


 真剣なまなざしと、高揚感に満ちた声。


 テーブルに身を乗り出した彼の影が、ランプの灯りに揺れている。


 彼から流れてくるリュートの音は、希望と情熱で満ち溢れていた。

 それは、まるで新しい冒険の始まりを告げる、勇壮な序曲のようだった。




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