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ココロ・ノート〜心の音が聴こえる世界で、少女は伝説の調律師になる~  作者: 名雲
第2章「王都への旅」

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第34話 旅の吟遊詩人

 外はもう淡い橙色から紫へと滲み始めて、向かいの家の輪郭を柔らかく包んでいる。

 吟遊詩人を探して石畳の上を歩いていると、家路を急ぐ住民達とすれ違う。

 夕餉の支度の煙が漂う中を、少し早足で歩いていく姿を、つい目で追ってしまう。


 ――父はどうしているだろうか。


 村を出発して三日。家が恋しくなるにはまだ早いけど、ふと胸の奥で名前の無い感情が動いた。


 父も今頃、こんなふうに夕方の道を歩いているのだろうか。それとも、もう家に帰って、無言で湯気の立つ鍋を見下ろしているだろうか。


 想像した途端、胸の奥がきゅっと縮む。

 考えないようにしたはずなのに、反射的に右手で胸を押さえていた。掌の下で、心臓がすこし冷たく感じる。


 どうしてこんなふうになるのか、理由はわかっているはずだ。けど、ちゃんと形にして考えるを避けてしまう。

 私はひとつ息を吸い込み、夕餉の匂いをごまかすように胸の奥へ押し込んだ。


 大丈夫――そう言い聞かせるみたいに、胸を押さえる手に、ほんの少しだけ力を込めた。



 私たちは、家へと向かう人波を抜けて、灯りが集まり始めた方へと歩みを進める。

 昼の顔を脱ぎ捨てて、夜の顔を覗かせ始めた町。

 通りの先では、気の早い酒場の看板に火が灯るのが見えた。



「思ったよりも賑やかですね」


「そうですね。何軒か酒場があるみたいですけど――」


 ヴィヴァーチェさんがきょろきょろと周りを見渡している。



「あ!多分あそこですね」


 指差す方向を見ると、一軒の酒場の前に人だかりが出来ている。

 その人垣を見て眉間にシワを寄せるアレク。



「あれじゃ、中に入れなさそうだ。外から見るだけになりそうだな」


「いや、どうでしょう? 案外、外で聴いているだけの人も多いですからね。多少は席が空いているかもしれませんよ」


 そう言うと、ずんずんと進んでいって、人垣の間をすり抜けて行ってしまった。

 少しの間アレクと一緒に待っていると、ヴィヴァーチェさんが戻ってきた。



「やりました! ちょうど一卓だけ空けてくれましたよ」


 汗を拭う仕草をしながら歩いてくる。



「ホントですか!? ありがとうございます、ヴィヴァーチェさん!」


 やった!中で聴けるなら、そっちの方が嬉しい。

 アレクも楽しみなようで、ヴィヴァーチェさんを労っている。


 3人で人垣を搔き分けながら店の中に入ると、人の熱気とお酒の匂いが襲ってきた。

 人でごった返している店内で、確かに一卓だけぽっかりと空いている。


 席に向かいながら店内を見渡すと、静かにリュートを持つ男性の姿が目に入った。


 酒場の片隅で、その吟遊詩人はリュートの弦を静かに調整していた。


 長めの金髪を後ろで一つに束ね、細い指先が弦の張りを確かめている。

 顔立ちは柔らかく、青い瞳は穏やかな光を宿している。痩せた体つきは剣を振るうよりも、リュートを抱く方がよく似合う。そんな優男風の佇まいだった。


 その男性を見ていると、ふと顔を上げて何かを探すように辺りを見回しだした。


 どうしたんだろう、誰かを探しているのかな?

 ――そう思っていると、その男性と目が合った。


 彼は私を見て目を見開いていたけど、それも一瞬。今度は首を傾げて不思議そうな顔をしている。


 ……えっ、私の顔に何かついてる?



「なんだアイツ。アリアの方を見てないか?」


 アレクが少し警戒するように声を潜めている。



「そうですね。アリアさん、彼とお知り合いですか?」


「いえ……会った事は無いと思います。私が忘れているだけかもしれませんけど……」


 少しの間こちらを見ていたが、周りの客に急かされて立ち上がった。


 背筋を伸ばして観客を眺めて見渡す仕草。その堂々とした振る舞いに惹き込まれてしまう。

 騒がしかった店内が、潮が引くように静かになっていく。


 頃合いと見た男性は、おもむろにリュートを構えると朗々と歌い出した。



 ♪――さあ、耳を傾けておくれ。


 これは、名も高き騎士と

 高き塔に咲いた姫君の

 叶わぬと知りながらも消えなかった

 ひとつの想いの歌。――♪



 吟遊詩人の歌声は、酒場のざわめきを一息で押し黙らせた。


 澄んだ響きは高く伸び、聴く者の胸の奥まで降りてくる。

 言葉は旋律に溶けていき、刃のように鋭くて絹のようにやさしい。

 気づけば誰もが息を忘れて、その声だけに耳を預けていた。



 ♪―― 結ばれぬ恋は、悲劇かと

 誰かが言うなら、こう答えよう。


 想い続けることこそが

 二人に与えられた、ただ一つの誓いだったのだと。


 剣も、冠も越えてなお

 心は、自由であったのだと――♪



 最後の音が、空気の中に溶けるように消えた。

 酒場は水を打ったように静まり返り、誰一人として声を発しない。

 歌の余韻が胸に残ったまま、言葉だけが置き去りにされたかのようだった。


 やがて、吟遊詩人がゆっくりと頭を下げる。

 その動きが合図になったかのように、歓声と拍手が爆発した。


 笑い声が重なり、杯が鳴る。

 熱を帯びた空気の中で、吟遊詩人は満足そうに目を細めて、穏やかに微笑んでいた。



「――――凄い」


 それしか言葉が出なかった。

 まだ胸がドキドキしている。



「何人も吟遊詩人を観てきましたけど、これは凄い……」


 ヴィヴァーチェさんも、口を開けたままポツリと呟いた。


 吟遊詩人が観客に向けて両手を広げた後、物語のワンシーンのように恭しく頭を下げる。

 ゆっくりと顔を上げた後に優雅にほほ笑むと、女性たちから歓声が上がった。



「ありがとうございます! 皆さんの温かい拍手と歓声が、何よりの心の支えです!」


 次の瞬間、あちこちから笑顔とともに硬貨が放られる。

 甲高い音を立てて石床を跳ね、銀や銅が彼の足元へ転がった。


 吟遊詩人は慌てることなく、もう一度、恭しく頭を下げる。

 その所作に客たちは満足そうに頷き、口々に感想を交わしながら席へ戻っていった。

 酒が注がれ、料理の匂いが戻り、酒場は再び日常のざわめきを取り戻す。


 吟遊詩人は床に膝をつき、散らばった硬貨を拾い集めている。

 最後の一枚に手を伸ばした、そのとき――ふと顔を上げて、こちらへ澄んだ青の視線を向けた。


 ――目が合う。

 その時、不思議な感覚が私を襲った。

 何だろう、この感じ。

 私のハープの音色が、勝手に彼のリュートに共鳴している……?


 彼はゆっくりと立ち上がって、鞄に硬貨を仕舞うとこちらに歩いてくる。



「あ、こっちに来ますよ。アリアさん、やっぱり知っている人なんじゃないですか?」


「いえ……やっぱり知らない人です」


 人の間を縫うように歩いてくる姿を見て、アレクが警戒した雰囲気で腰を浮かせた。

 真っ直ぐに私たちのテーブルまでやってきた時、アレクが一歩前に出た。



「そこで止まれ。何の用だ?」


 低く、警戒を隠さない声も聞こえないのか、その男性の瞳はただ私だけを映していた。

 明るい青の瞳が、今はわずかに揺れている。



「貴女――」


 一瞬、言葉を探すように視線を彷徨わせた後、彼は静かに続けた。



「不思議な雰囲気を持っていますね」


 その瞬間、酒場の喧騒が遠のいた気がした。




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