第32話 旅立ちの朝
翌日。
私は、王都へ向けて出発する準備を始めていた。
あの後、ヴィヴァーチェさんから王都までの旅に必要な準備を教えてもらった。
思ったより荷物が必要だとわかって、買い足さなきゃならないものも多い。
どのくらい王都に滞在することになるかわからないんだから、持っていける物は荷物に詰め込むことにする。
王都の物価は高いって聞いたから、出来るだけ節約しなきゃ。
父とも相談して、辺境伯様からいただいたお金を、旅費と滞在費に使わせてもらうことになった。
6ソルもあるから、節約すれば一年は王都に住めるはず。
だけど、一応期限は半年と決めた。
王都に着いても、調律師を研究している学者さんがすぐに見つかるかわからない。
見つかったとしても、会ってもらえるとは限らないし、長期で出かけている可能性だってある。
もし駄目でも、半年もあれば自分で図書館に行って調べることはできる。
必ず、この『調律師』のことを勉強したい。
そんなことを考えながら荷造りをしていると、玄関のドアがノックされた。
「はーい!ちょっと待っててください!」
手を止めて、玄関に向かう。
ドアを開けると、ニコニコ笑顔のヴィヴァーチェさんと、仏頂面のアレクが並んで立っていた。
「おはようございます、アリアさん!」
ヴィヴァーチェさんが元気に挨拶してくれる。アレクも仏頂面のまま「おはよう」と言ってくれた。
「おはようございます、ヴィヴァーチェさん、アレクさん。どうしたんですか?」
「いや、アリアさんが準備で困っていないかと思いましてね」
一歩踏み出して両手を広げる仕草。
相変わらず舞台俳優のように大げさだ。
「様子を見に来たんですよ。アリアさんは長旅に慣れていないでしょう?」
彼のトランペットが賑やかなセッションを響かせている。
逸る気持ちを抑えているようだから、本音は早く出発したそうだ。
「そうなんですよ。どのくらい荷物を用意したらいいのかわからなくて、困っていたんです」
「僕の荷馬車がありますから、荷物が多めになっても大丈夫ですよ。あ、お邪魔してもいいですか?」
そう言って家の中に入ろうとしてくるけど、アレクがヴィヴァーチェさんの肩を掴んで止めた。
「お前な、断りもなしに勝手に人の家に入り込もうとするな」
アレクがイライラした音を響かせながらヴィヴァーチェさんに文句を言っているけど、当の本人は不思議そうに――
「さっき、お邪魔しますって言いましたよ?」
「アリアが了承してないだろうが!」
「ひえ!?ごめんなさい?」
昨日と同じような喧嘩。
だけど、二人の音色が調和しているのが不思議。
これが二人なりのコミュニケーションなのかもしれない。
「まあまあ、そのくらいにして。ヴィヴァーチェさんもアレクさんも、中にどうぞ。昨日と同じものでよければ、お茶でもいかがですか?」
二人を招き入れて、お茶の用意をする。
紅茶の香りを楽しみながら準備をしていると、居間の方から騒がしい声が聞こえてくる。
「ひどい!?」とか「ひえぇ!」なんて声も聞こえてくるけど、心の音は楽しそうだから放っておこう。
紅茶を持って居間に行くと、楽しそうに話すヴィヴァーチェさんと、対照的に疲れた顔をしているアレク。
なんとなく会話が想像できて、苦笑いしながら二人に紅茶のカップを渡す。
「ヴィヴァーチェさんは準備の様子を見に来たって言ってましたけど、アレクさんは何の用事だったんですか?」
紅茶を一口飲んでから、アレクに聞いてみる。
「いや、な。俺は荷物もさして無いから、準備は終わったんだ。だから、お前の準備を手伝おうかと思って来たんだが……」
そう言って、チラッとヴィヴァーチェさんを見る。
「途中でそこのうるさいやつに捕まってな。一緒に来たってわけだ」
やれやれといった感じに言っているけど、心の音はまんざらでもなさそう。なんで素直にならないかなぁ。
それを指摘しても、アレクが意地になって怒りそうだから言わないけどね。
「アリアさんの荷造りはどのくらい進みましたか?差支えない範囲でいいですから、用意している荷物の内容を教えてもらえますか?」
「おい、アリアだって一応レディなんだから、荷物の中身を聞くなんて野暮だぞ」
一応で悪かったですね!もう17歳なんだから、立派なレディですけど?!
アレクを睨んでみるけど、本人は全く気付いていない。
代わりにヴィヴァーチェさんが私の様子に気付いて苦笑いしている。
「いえ、ですから差し障りない範囲ですよ。生活用品とか、防寒具なんかもチェックしておかないと、後でアリアさんが困ってしまいますからね」
紅茶を片手に、大げさな身振りで説明しながら、私に怒りを鎮めるようにハンドサインを送ってきた。
まあ、アレクのデリカシーの無さは、今に始まったことじゃないしね。私も紅茶を一口飲んで、気持ちを切り替える。
「そうですね。旅の途中で困るのは嫌ですから、確認してもらっていいですか?いま、鞄を持ってきますね」
そうして鞄を持ってきた後は、足りない物を確認したり、逆に減らしてもいい物、必要のない物をチェックしてもらった。
足りない物の中には、この村では売ってない物もあるから、道中に寄る村で買い足すことにした。
自分では、結構いい感じに荷物をまとめたつもりだったけど、やっぱり旅慣れた人の意見は大事だね。
ひと通り荷物の確認も終わって、居間でお茶を飲んでいる時に、ふと気になったことをヴィヴァーチェさんに聞いてみる。
「そういえば、辺境伯様から頂いたお金を、王都までの路銀と王都での生活費に使おうと思ってるんです」
「昨日話していた、金貨で頂いた報酬ですよね!」
辺境伯様から頂いた報酬の話になると、途端にヴィヴァーチェさんの目が輝きだした。
「たくさん頂いたから、王都の滞在は大丈夫って言ってましたけど、実際にいくらなんですか?」
トランペットが歌うように高らかに鳴っていて、明らかにテンションが上がっているのがわかる。
「ええと、金貨6枚ですね」
「6ソルも!?それは凄いですね。さすが辺境の支配者だ、景気がいいですね!」
ヴィヴァーチェさんが楽しそう。
アレクが横から嫌そうな顔で眺めているけど、気にした様子もない。
「なるほど、それで王都に滞在する期間も半年を目処にするんですね。その6ソルがあれば、半年の滞在費でぎりぎりですもんね。王都で稼げなくても、なんとかなりますね」
うんうんと頷いているけど……え、ちょっと待って。6ソルもあるのに、半年滞在するのでぎりぎりなの!?
「あ、あの、ヴィヴァーチェさん。王都に半年滞在するだけで、6ソルもかかるんですか?」
メロディア村だと1年以上は余裕で暮らせる金額だよ?
「? そうですよ。王都までの旅費、到着してから滞在する宿にかかるお金、毎日かかる食費に生活用品なんかも考えると、王都で暮らすとなると、半年で6ソルはかかりますよ」
「えぇ……王都って、そんなにお金がかかるんですか?1年は大丈夫だと思ってた……」
ヴィヴァーチェさんだけじゃなくて、アレクからもちょっと呆れたような音が聴こえてくる。
うぅ、世間知らずみたいでちょっと恥ずかしい。
でも、仕方ないじゃないか。田舎で暮らしたことしかないんだから。
「アレクさん……僕たちでアリアさんを守らないといけませんね」
ヴィヴァーチェさんがアレクにこそこそと何か話しかけている。
「ああ、世間知らずにも程があるからな。よく知らない人間にもホイホイと付いていくから、見ているこっちはヒヤヒヤものだぞ」
二人してぼそぼそと話しているけど、どうせ田舎娘を馬鹿にしてるんじゃないの?
……と思ったけど、心の音は心配しているというか、困っているというか、複雑な感情。
強いていうなら、子供の心配をしてるような……?
「まあ、王都は物価が高いですからね。でも、半年は問題なく滞在できますよ。それに、王都では僕も商売しますし、アリアさんのチカラで稼げれば、全然余裕ですよ」
陽気に振舞って気を使ってくれるヴィヴァーチェさん。今度、お金の常識なんかを教えてもらおうと心に誓った。
3日後の朝、王都に旅立つ準備を終えた私たちは、村の入口に居た。
半年くらいメロディア村を離れることは、村の人たちに伝えてある。
だから、今日の見送りは父と村長だけだ。
「アリア、アレク殿とヴィヴァーチェさんの言う事をよく聞くんだぞ。困ってる人だとしても、知らない人に付いて行かないようにな。特に都会の男は危険だから――」
「わかった!わかったから、もうやめて?!」
もう、恥ずかしい!心配なのはわかるけど、いい加減やめてほしい。
アレクもヴィヴァーチェさんも、苦笑いになってるじゃない。
「はは、リゾルートにとって、アリアはいつまで経っても子供だろうからな、心配は尽きないだろうよ。」
村長さんにも笑われてしまったけど、私を見る顔が少し寂しげに見えた。心の音も、応援してくれる気持ちよりも心配の方が勝ってるみたい。
「村長さん、心配してくれて嬉しいけど、私は大丈夫。一緒に王都に行ってくれる頼もしい仲間もいるしね」
笑顔でそう言うと、村長さんは目を細めて頷いた。
「いつの間にか大きくなって……王都までの道中は気をつけてな。アレクさん、ヴィヴァーチェさん、アリアの事、よろしくお願いします」
そう言って、二人に深々と頭を下げる。
村長さんにとって、村人は子供みたいなものなんだよね。本心から心配してくれているのがわかる。
アレクたちも、真摯に受け止めてくれたようで、真面目な顔で頷いている。
「お父さん、王都に着いたら手紙を書くね。セシリア様から素敵なペンと便箋をいただいてるから」
まだ心配そうな父にそう伝えると、少しだけ安心してくれたみたい。
強張ってた顔も少し穏やかになったし、コントラバスの音も落ち着いてきた。
「無理だけはしないようにな。無事を祈っているよ。アレク殿、ヴィヴァーチェさん、娘をよろしくお願いします」
そう言って、父は深く頭を下げた。
「以前に約束した通り、アリアの事は必ず守ります。ですから、安心してください」
アレクが父の目を見て、真剣な顔で宣言した。
ヴィヴァーチェさんも「お任せください」と胸を叩いて安心させようとしてくれていた。
最後に荷馬車のチェックをして、いよいよ王都に向けて出発となる。
「それじゃあ、行ってきます!お父さんも、体に気をつけてね!」
動き出した荷馬車の上から、父と村長さんに手を振る。
少し離れた場所から、グスタフさんやエミール、ヨハンさんたちも手を振ってくれているのが見えた。遠くには他の村人たちが笑顔で手を振ってくれているのが見える。
みんなが私の旅が無事に済むようにと、祈りの音を奏でてくれていた。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
「無事に戻ってくるよ」と想いを込めて、大きく手を振り返す。
たくさんの村人に見送られながら、少しずつ村が遠くなっていく。
王都まで、およそ十日。
少しの不安と大きな期待を胸に抱いて――私の旅は始まった。




