第30話 ヴィヴァーチェの過去
「ヴィヴァーチェさん、一旦落ち着きましょう。お茶のお代わりはいかがですか?」
私は笑顔でヴィヴァーチェさんに言って、椅子に座るように促す。
「あ、はい……いただきます」
おずおずと返事をして、アレクの方を気にしながら椅子に座った。
ずっと黙って聞いていた父も、自分の椅子に座る。心の音は疑っている音のままだけど、一度落ち着いて話を聞こうとしてくれてるみたい。
アレクはというと、まだ不貞腐れてそっぽを向いたまま立っている。これは、そっとしておいた方がよさそうだ。
苦笑いしながら父とヴィヴァーチェさんにお茶を淹れて、空いた席にも紅茶を淹れたカップを置いておく。
私も椅子に座って紅茶を一口。
――ふぅ。ちょっと落ち着いた。
ヴィヴァーチェさんの方を見ると、少し表情が柔らかくなっている。心の音も、恐怖で震えたスカスカな音から、軽快なリズムに変わってきた。
「少し落ち着きました?」とヴィヴァーチェさんに聞いてみる。
「はい。見苦しいところをお見せしちゃって、恥ずかしい……でも、もう大丈夫です」
表情に余裕が出て、ちょっと芝居がかった調子が戻ってきたようだ。これなら、色々と聞けそう。
「良かったです。ええと、さっき借金があるって話をしましたけど……」
「僕の借金ですか?ええ、お話しますよ。あまり楽しい話じゃありませんけどね」
そう言って、自虐的に笑ってみせるけど、彼から聴こえてくるのは、助けを求めているような音だ。
「どう話したらいいものか……そう、僕は東方商業都市国家に生まれて、商人になる事を夢見る少年だったんです。父も親戚も農夫でしたけど、必死で算学や法律を勉強して、小さな商店の小間使いから始めていきました。あの国は商人で成功する事が尊ばれる国ですから、家族からは応援されましたね」
昔を懐かしむように少し遠い目をして「あの頃は楽しかったなぁ」とぽつりと呟いた。
「いろんな店の手伝いをして仕入れや帳簿を覚えて、そのうち行商にも付いていくようになって、商人としてのスキルを磨いていきました。その傍らで、自分の店を持つための資金をためていたんです。そして、23歳の時に行商用の小さな荷馬車を買えるだけのお金が貯まって、やっと独立できました。そこからはとにかく必死で、でも遣り甲斐があって……楽しかったなぁ。そして、いつからか仲間も増えてきて、共同で商会を開くことになったんです」
彼のトランペットはとても楽しげで、ワクワクするような音色を響かせている。
抑揚を付けた語り口と、少し大げさな身振り。まるで演劇みたいで、思わず引き込まれてしまう。お話が上手で、続きが気になっちゃうんだよね。
「仲間たちとの商売は順調でしたけど、商会の規模はまだまだ小さくて、売上もそれほど多くはなかった。現状に満足している仲間もいたけれど、僕はもっと商売を大きくして、取り扱う商品も増やしたかったんです。そこで、話を聞いてくれて、問屋の紹介と資金の融資をしてくれる人が現れたんです」
相槌を打ちながら話を聞くけど、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
そういう旨い話って、裏があるんじゃ……?
「当然、旨い話には裏がありますからね。僕も騙されないように疑いましたよ。ですけど、調べてみると、その人は商業ギルドの顔役の一人だったんです。信用もあって、資金もある人でした」
ヴィヴァーチェさんは、その時の事を思い出すように、遠くを見るような仕草をする。
「その人に言われたんです。『君の未来に投資したい』ってね。僕は有頂天でしたよ。仲間にも相談して、早速融資を受けることにしたんです」
ここまで聞いた限り順調そうで、借金につながりそうにない。単に商売で失敗しただけなのかな?
「意気揚々と仲間と一緒に融資を受けに行きました。書類にサインをして、その足で問屋に出向いて商品を仕入れたんです。仕入れた金額は、その人から問屋に直接支払ってくれる契約だったんですよ。融資の書類を見せれば、仕入れは簡単でした。普段は仕入れの難しい香辛料なんかも仕入れましたね……」
「結構な額を仕入れたんですか?」
「そうですね。80ソルほど仕入れましたかね」
「そんなに!?」
金額の大きさに驚いてしまった。だって、80ソル……金貨80枚だよ!?
「思い切った仕入れでしたけど、事業を大きくするには必要でした。それで、仕入れた商品を仲間で手分けして行商に回ったんです。僕が担当した商品は順調に売れて、儲けもたんまり。ウキウキで拠点に帰ったんです」
そう言う彼のトランペットから聴こえるのは、まるで「とほほ……」と言ってるみたいな萎れた音。
「帰って……どうだったんですか?」
思わず身を乗り出して聞いてしまう。
「ええ、拠点に帰った僕を待っていたのは酷い現実で……僕たちの商会が乗っ取られていたんです。それも、違法とはならないギリギリの方法で」
「商会が乗っ取られたんですか!?」
「そうです。すでに商会は出資した男のものになっていて、僕たちが必死に作った売り上げは、乗っ取られた商会に取り上げられました。その上、仕入れに使ったお金が、どういうわけか商会ではなく僕個人に請求されたんです……!」
項垂れて、強く握りしめて震えている拳。悔しい気持ちがひしひしと伝わってくる。
「そんなことが……」
あまりの事に何も言えずにいると、アレクが腕を組みながらヴィヴァーチェさんに質問する。
「そんな馬鹿な話があるものか。俺は商売には詳しくないが、そんな事がまかり通らないことくらいわかる。そもそも、契約と違うなら訴えればいいし、下手したら契約書の偽造だろう、それ」
「僕もそう思いましたよ。契約書を握りしめて商業ギルドに駆け込みました。でも、駄目でした……。商業ギルドが保管している契約書が、僕がサインした契約書と違ったんです」
サインした契約書と違うなら、それは偽物じゃないか。なんて酷いことをするんだろう。
「サインした書類と違うなら、確実に偽造だろう。訴えて、真偽を明らかにすればいい。お前に否が無いなら勝てるはずだろう?」
「それが、そうもいかなかったんですよ。僕も商人の端くれですから、考えられる事は全てやりましたし、使える手札も全て使いました」
必死でなんとかしようと頑張ったんだろう。その時の気持ちが、心の音から聴こえてくるみたいだ。
「でも……駄目でした。契約書は正式なものとして受理されていて、結果が変わることは無かったんです」
……私には想像出来ないくらい悲しくて、悔しかったんだと思う。信じた人に裏切られて、騙されて商会も奪われて、しかも莫大な借金まで……
「全て奪われた僕らに残されたのは、それぞれが個人で所有していた荷馬車と、80ソルの借金でした」
苦笑いして頬を掻きながら、冗談めかして話しているけど、心の中はまだ悔しさで一杯だ。
「その借金は、仲間とそれぞれ背負ったんだろう?なんでお前の借金は50ソルもあるんだ。別口でまた借金が増えたのか?」
アレクが、計算が合わないという顔で聞いてくる。
冷たい感じで聞いてるけど、アレクのチェロは心配しているのを隠せていないよ?
私を守るために必要以上に厳しい態度を取っているけど、ほんとは優しい人なんだよね。
「いえ、僕が全ての借金を背負ったんです。元々、僕が事業を大きくしたくて始めた事でしたからね。この事態を引き起こした責任を取りました」
「80ソルを一人で背負ったのか!?お前は馬鹿か!?格好つける場面じゃ無いだろうに」
「そうですよ!そんな大金、どうやって返そうと思ったんですか?」
私もアレクも、思わず大きな声が出てしまった。
信じられない……だって、80ソルだよ?
「僕が欲を出さずに、一歩一歩堅実に積み重ねていけばよかった。仲間たちは、初めは止めていたんです。でも、僕が説得して、何かあったら責任を取るとも言いました。なので、これが正しいんです。……仲間を裏切ることはできません」
語られる話に衝撃を受けてしまった。彼は何一つ嘘をついていない。心の音は、ずっと誠実だった。
それに、さっき気になった音はこのことだったんだ。 誰かを守ろうとする誠実で頑固な音。あの時、一瞬聴こえていたのは、仲間を想う気持ちだったんだ……
でも、仲間のためにこんな莫大な借金を背負うなんて……信じられない。
アレクがこちらを見て「本当か?」と目で訴えてきたから、私は小さく頷いた。彼が嘘を付いていないと、目で訴える。
アレクは大きく息を吐いて、ヴィヴァーチェさんを正面から見た。
「どうやら、今の話は本当のようだな。仲間のため……なかなか出来る事じゃないが、その事とアリアを商売道具とするのとは別だ。そもそも、アリアが困っている人の問題を解決したからって、50ソルも稼げるとは思えない」
アレクのその言葉に、うんうんと頷いてしまう。
ピアニッシモ辺境伯様からは、すごくたくさんのお礼をいただいてしまったけど、あれは特別だ。
普通の平民だったら、銀貨がせいぜいだと思う。
「そんな事はありません!アリアさんのチカラは、アリアさんにしか出来ない事です。その希少性は計り知れないですし、何より仕入れが必要無い!これが最大のポイントですよ」
商売の話になったら、途端に元気になっている。彼のトランペットも、また即興的でリズミカルに吹き鳴らし始めた。
「先ほど、アリアさんから王都に行くと聞きました。王都の人口を考えれば、お客さんはいくらでもいます。稼ぎ放題とは言いませんけど、僕が普通に商売するのと、アリアさんの相談で稼げればやっていけると思うんです!」
ヴィヴァーチェさんが、すごい勢いで詰め寄ってくる。
……王都で、一緒に。
彼の提案は、正直に言えば悪くないと思った。
でも、私はヴィヴァーチェさんのことをまだよく知らない。借金のことも、仲間を想う気持ちも聞いたけれど――それだけで、一緒に商売をする相手として信じていいのかな。
ヴィヴァーチェさんの目が、期待に輝いている。
彼のトランペットは、軽快で、でもどこか必死で――そして、どこまでも前向きな音を奏でていた。




