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第二話「精神共鳴装置」

 俺の名はゼイドラク・ディ・ヴェルミュール。通称Dr. ゼイドと呼ばれている。


 天才とは、一つの肩書きでは語れない存在のことを言う。


 応用数学理論で、麦相場の動きなど朝飯前。複雑な市場の動向を数式で予測し、最適な投資タイミングを算出する。変動要因を統計学的に分析し、確率論と回帰分析を組み合わせることで、未来の価格変動を九割の精度で予測できる。


 季節変動、政治的要因、気候パターン、輸送コスト、人口動態、戦争リスク──あらゆる要素を数値化し、十七次元の多元連立方程式に落とし込む。そこから導き出される解は、愚鈍な商人たちには理解不能な精密さを持っている。


 実際、試しにやってみた結果、わずか三ヶ月で資産を十倍に増やすことができた。商人たちは俺を「天才投資家」と呼んで崇めたが、俺には何の感動もなかった。


 王都の豪商、グレゴリー・マクラフリンは俺の元に日参した。


「ゼイド様の予測は神業です。我々に投資指南をお願いできませんでしょうか。年俸一万ゴールドでいかがですか」


 一万ゴールドといえば、準男爵の俺の年収の十倍に相当する。だが興味は湧かなかった。


 商工会議所会頭のロバート・ハンフリーズも同様だった。


「先生の数学理論を商業に応用すれば、王国の経済を革新できます。ぜひご協力を」


 彼らが「革新」と呼ぶものも、俺にとっては既知の理論の応用に過ぎない。


 ──興味が湧かない。


 貴族の連中と折衝し、ギルドに賄賂を撒き、こびへつらって「ご高配を」などと頭を下げる。そんなことのために、俺の脳を酷使するのは精神衛生上、最悪だ。


 天才である俺が、愚物どもの前で膝を屈するなど、屈辱以外の何物でもない。


 だから俺は、医者という道を選んだ。人体は複雑だが、予測可能な構造体だ。修復できる。貧民にも貴族にも等しく価値を示せる"実力"の世界。


 しかも名目は"治療"でも、その裏で人体研究も進められる。合法的にだ。


 患者として運び込まれる者たちの身体を詳細に観察し、解剖学的知識を深める。時には「実験的治療」と称して、新しい薬物や手術法を試すこともできる。失敗しても「最善を尽くしたが力及ばず」で済む。


 医学界での俺の立場は微妙だった。治療成績は群を抜いているが、手法があまりにも型破りすぎるのだ。


 王立医学学会での俺の論文発表は、いつも議論を呼んだ。


「神経系統への直接電気刺激による運動麻痺の治療法について」と題した俺の研究発表の際、座長のガルバルド・コーネリアス教授は眉をひそめてこう言った。


「ゼイドラク君、君の治療法は確かに結果を出している。しかし、神経に直接電気を流すなど、患者の安全を考えれば危険すぎる」


 安全? 俺の治療法で歩けるようになった患者が何人いると思っているのだ。


 別の研究発表では、「脳腫瘍の外科的除去における新技術」について論じたが、やはり批判の嵐だった。


「従来の手術法で十分だ」

「リスクが高すぎる」

「患者を実験台にするつもりか」


 保守的で臆病な連中ばかりだ。新しい技術への挑戦を恐れ、既存の枠組みに安住している。


 だが、それでも俺は医師としての実績を積み上げていった。


 ふふ、まさに一石三鳥。研究、収入、そして自由──全てが手に入る。


 だが、それでも──足りない。


 俺が追い求めているのは、【精神共鳴装置】だ。


 単なる技術ではない。対象を完全に制御し、意のままに操ることができる。まさしく神の御業──"支配"そのものだ。


 この理論の出発点は、祖父の遺した膨大な研究ノートにあった。


 祖父の書斎には、この世界の科学技術を遥かに凌駕する知識が詰まっていた。電気学、磁気学、光学、化学──そして、最も興味深かったのが『精神波動共鳴理論』だった。


「人間の精神活動は、脳内の電気的現象である」


 祖父のノートにはそう記されていた。


「ならば、その電気信号を外部から制御することで、人間の思考や行動をコントロールできるはずだ」


 この仮説は、当時の学会では完全に無視された。「非科学的」「妄想」として一蹴されたのだ。


 だが俺には分かった。これこそが真理だと。


 人間の脳は、約一千億個の神経細胞で構成されている。そして、その神経細胞間の情報伝達は、全て電気信号によって行われている。


 思考、感情、記憶、運動指令──人間の精神活動の全ては、神経細胞間を流れる微弱な電気信号の複雑な組み合わせなのだ。


 シナプス間隙を流れるナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度変化。活動電位の伝播。神経伝達物質の放出と受容──これら全てが、精密に制御された電気化学的プロセスなのだ。


 ならば、その電気信号を外部から操作できれば、人間の意識そのものをコントロールできるはずだ。


 しかし、脳は極めて複雑なシステムだ。通常の電気機器では、この精密な神経ネットワークに干渉することは不可能だ。


 微弱すぎる信号は脳に届かない。強すぎる信号は脳細胞を破壊してしまう。適切な周波数でなければ、神経系に認識されない。


 さらに、脳は頭蓋骨という厚い骨に守られている。外部からの電気信号を脳内に到達させるには、特殊な媒体が必要だった。


 そこで重要になるのが、青晶核(セリアル)だ。


 青晶核は、この世界で最も神秘的な鉱物として知られている。地下深くの特殊な魔力環境でのみ生成される希少な結晶で、魔力を蓄積・増幅・変調する性質を持つ。


 通常は魔法の触媒や装身具として使用されているが、俺はその科学的な性質に注目していた。


 青晶核の結晶構造を電子顕微鏡で観察すると、極めて規則正しい格子構造を持っていることが分かる。この構造が、特定の周波数の電磁波と共鳴現象を起こすのだ。


 さらに興味深いことに、青晶核の共鳴周波数は、人間の脳波の周波数帯域と重複している。アルファ波(8-13Hz)、ベータ波(13-30Hz)、ガンマ波(30-100Hz)──これらの脳波パターンと、青晶核の固有振動が見事に一致していた。


 つまり、適切に調整された青晶核は、人間の脳波と共鳴し、外部からの制御信号を神経系に伝達することができるのだ。


 しかし、青晶核の加工は極めて困難だった。


 まず、純度の問題がある。市販されている青晶核の大部分は純度が低く、精神共鳴装置には使用できない。必要な純度は99.9パーセント以上──そんな高純度の青晶核は、王室御用達の宝石商でも滅多に扱わない。


 次に、形状の問題がある。青晶核を脳波と共鳴させるには、特定の形状に加工する必要がある。直径2ミリメートル、厚さ0.5ミリメートルの完璧な円盤状に研磨し、表面には精密な溝を刻まなければならない。


 そして最も困難なのが、周波数調整だ。個々の青晶核を、特定の脳波周波数に同調させる必要がある。これには特殊な共鳴装置が必要で、一個の調整に数日を要する。


 さらに、人一人を完全制御するには、三十個もの青晶核が必要だった。


 脳幹部のレティキュラーフォーメーション(網様体)に5個──意識レベルの制御

 大脳皮質の運動野に10個──運動機能の制御

 小脳に3個──平衡感覚と協調運動の制御

 脊髄の中枢神経系に5個──反射機能の制御

 心臓の洞房結節周辺に2個──循環器系の制御

 四肢の主要神経節に各1個ずつ計5個──末梢神経系の制御


 計30個の青晶核を、ミリ単位の精度で配置する必要があった。一つでも位置がずれれば、システム全体が機能しない。


 そして、それらの青晶核を統括する制御装置も必要だった。


 「精神共鳴装置」──正式名称《Mind Resonance Coreマインド・レゾナンス・コア》。


 この装置は、個体A(術者)と個体B(対象者)の間にある"精神信号"の位相共鳴を人工的に誘発し、感情・思考・信念といった深層精神に干渉する機能を持つ。


 青晶核を媒体として、術者の意思を対象者の神経系に直接伝達し、思考や行動をコントロールする。まさに究極の支配技術だった。


 俺は祖父のノートを読み返し、理論の詳細を検証していった。


「精神波動は、脳内の神経細胞間で発生する電気的現象である。この波動は、特定の周波数とパターンを持ち、個人の思考や感情と密接に関連している」


「青晶核の結晶構造は、この精神波動と共鳴する性質を持つ。適切に調整された青晶核は、精神波動を増幅・変調し、遠距離にまで伝達することができる」


「複数の青晶核を神経系の要所に配置することで、対象者の精神活動を外部から制御することが可能になる」


 理論は完璧だった。あとは実証するだけだ。


 しかし、そのためには膨大な資金が必要だった。


 高純度の青晶核一個が平民の年収分。それを三十個。さらに精密加工費、調整費、制御装置の製造費──総額で貴族の財産に匹敵する費用が必要だった。


 準男爵である俺の財産では、到底賄えない金額だった。


 国立技術研究院への協力要請も考えたが、あの保守的な連中が精神制御技術の研究を承認するはずがない。


 民間の資金調達も困難だった。投資家たちに精神共鳴装置の理論を説明しても、「非現実的」「危険すぎる」と一蹴されるのが目に見えていた。


 となれば、別の方法を考える必要があった。


 そんな時、俺の頭に一つのアイデアが浮かんだ。


 《コロッセオ》だ。


 王国最大の娯楽施設であり、同時に巨大な賭博場でもある。毎日数万ゴールドが動く、金と欲望の渦巻く場所。


 そして、精神共鳴装置の実験場としても最適だった。


 コロッセオには日々、大量の奴隷闘士が送り込まれてくる。社会の底辺から集められた人間たちで、実験材料として使っても誰も文句を言わない。


 さらに、医師という立場を利用すれば、合法的に被検体に接触できる。


 そして何より、精神共鳴装置による「やらせ」で、賭博から巨額の利益を得ることができる。


 弱い闘士を操って強い相手に勝たせれば、高倍率の配当を手にできる。その資金で、さらに大規模な実験を行うことができる。


 完璧な計画だった。


 そして今日、その計画の第一段階が実行される。


 コロッセオ開門の二刻前。すでに外周通りには黒山の人だかり。焼き肉の香り、汗、そして賭け金を叫ぶ怒号が入り乱れる。


「バシュ・トルグに賭けた! 倍率1.6!」

「新入りの小太り野郎、カラムって奴、倍率10倍だとよ! 死に銭だな!」


 群衆の熱気が、石畳の上でゆらめいている。金と血と欲望が渦巻く、まさに人間の本性がむき出しになった空間だ。


 賭け屋の看板には、今日の試合の倍率が踊っている。通常の人間同士の戦いは低倍率だが、魔獣戦は桁違いだ。特にG級闘士と魔狼の戦いなど、ほぼ一方的な虐殺になることが予想されるため、生存者への倍率は100倍を超えている。


 俺はその列に混ざり、売り子の男──センジに声をかけた。


「よぉ、センジ。久しいな」

「……これはゼイド様!」


 センジは、元闘士だ。E級から転落し、瀕死の怪我を負ったが、俺が治療してやった過去がある。彼の左足は俺が手術で繋ぎ直したものだ。粉砕骨折で医者たちが「切断しかない」と匙を投げた脚を、俺の技術で救った。


 あの治療は、俺にとって貴重な実験でもあった。青晶核を使った神経再生実験の第一歩だった。センジの脚に埋め込んだ微細な青晶核片が、切断された神経を人工的に繋いでいる。今でも彼は、俺の技術の生きた証明として歩き回っている。


「足の調子はどうだ?」

「おかげさまで、何の問題もありません。先生のおかげで、こうして仕事ができています」


 センジが感謝の言葉を述べる。彼は俺に絶対的な信頼を寄せている。その信頼を利用させてもらおう。


「診察ですか?」

「いや、今日は俺も──賭けに参加する」


 センジは意外そうに目を丸くした。


「ゼイド様が、ですか? ……なら、おすすめを紹介しましょう」


 センジが挙げたのは、B級同士の大一番だった。どちらが勝ってもおかしくない実力伯仲の一戦。


「『雷剣』ディオンと『鉄壁』バルトロの対戦は見ものですよ。両者とも実力は互角で、倍率も手堅い1.8倍程度です」


 手堅い投資を勧めてくる。賢明な判断だが、俺の目的は違う。


 だが──


「違う。この試合だ」


 掲示板の中から、ある一戦を指差す。G級闘士と魔狼。


 センジの顔が一瞬で曇った。


「ゼイド様……それは、娯楽じゃない。処刑ですぜ」

「構わん。俺はこれに賭ける」

「マジですか!? しかも……コイツに!?」


 センジが指差したのは、出場者名簿の一番下。十九番──年若く、肥満体、戦闘経験ゼロ。


「金をドブに捨てるようなものですぜ。こいつは商家のボンボンです。喧嘩一つできない」


 センジの反応は予想通りだった。客観的に見れば、確かに無謀な賭けに見える。


「そう思うか。俺にはわかる。あれは内に大きな獣を飼っている」


 もちろん、それは嘘だ。俺が十九番に賭ける理由は、医者の直感などではない。俺には確信があるからだ。今日という日のために、周到に準備を重ねてきたのだから。


 懐から白金貨を十枚──総額一千ゴールドを出す。


 場が一瞬、静まり返った。


 センジが言葉を失い、目を見開く。周囲の客たちも振り返り、俺の大金を見つめている。一千ゴールドといえば、平民の十年分の生活費に相当する。


「こ、こんな額、冗談じゃ……本気ですか、ゼイド様?」

「処理しろ」


 センジの手が震えながら賭け札を書く。『第三試合、魔狼戦、十九番生存、一千ゴールド』


 周囲の群衆がざわつく。俺が狂ったと笑う者もいた。


「あの医者、ついに頭がおかしくなったか」

「金持ちの道楽だ」

「あの小僧、魔狼に一分も持たないぞ」

「医者でも人を見る目がないんだな」


 そんな嘲笑が聞こえてくる。


 構わん。


 革命は、常に狂人から始まる。


 理解されない者こそが、世界を変える。祖父もそうだった。周囲から狂人扱いされながらも、自分の信念を貫き通した。


 愚物どもよ、笑うがいい。お前たちが「不可能」と決めつけたことを、俺がやってのける。その瞬間、お前たちの顔がどう歪むか──今から楽しみでならない。


 俺は、精神共鳴装置の第一実験対象をコロッセオに送り込んだ。


 これは観戦ではない。これは、"実地試験"だ。


 被検体二百四十三号が勝利した瞬間、すべてが変わる。俺の理論が正しいことが証明され、復讐の第一歩が始まる。


 そして今夜、俺は一万ゴールドの配当を手にするだろう。その資金があれば、次の段階の実験に進むことができる。


 俺は書斎の奥から、祖父の肖像画を取り出した。威厳に満ちた老人の顔が、俺を見つめている。


「お祖父様、今日こそあなたの理論が実証されます。世界にその偉大さを知らしめる日が、ついに来ました」


 肖像画に向かって深く頭を下げる。


 天才ゼイドラク・ディ・ヴェルミュールの名が、歴史に永遠に刻まれる日は近い。


 そして、真の知性が支配する新たな世界が始まるのだ。


 復讐は、今日、幕を開ける。

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