プロローグ2「天才は笑わない」
地下研究施設の制御室。青白いモニターの光だけが、闇を切り裂いている。
俺は操作卓の前に腰を下ろし、画面を睨んでいた。
俺の名はゼイドラク・ディ・ヴェルミュール。通称Dr.ゼイドと呼ばれている。
医者、科学者、発明家──天才とは、一つの肩書きでは語れない存在のことを言う。
そして、天才とは孤独なものだ。
この世界は、愚か者で満ちている。能力も知性も備えていないくせに、妙にプライドだけは高い。滑稽なことに、自分の愚かさにすら気づいていない。
学問を軽視し、知性を嘲笑い、努力することを嫌う。そんな怠惰な精神の持ち主ばかりが、この世界には蔓延している。
俺は準男爵。形式上は貴族だが、身分としては最底辺だ。いわば"半貴族"と呼ばれる者たち。下からは妬まれ、上からは嘲られる。まさに板挟みの立場だった。
天才である俺が、愚か者どもに見下され、嘲られてきた。そのたびに、無知な連中が放つ薄ら笑いが、脳裏に焼き付いて離れない。
王立医学学会で外科手術の新しい技法について発表した時、座長の老医師がこう言った。
「ゼイドラク君、君の提案する術式は理論的には興味深い。しかし、我々のような経験豊富な医師には、そんな危険な実験は推奨できない」
危険な実験?
俺の術式は、従来の方法よりもはるかに安全で効果的だった。だが、古い考えに固執する老害どもには、新しい技術を受け入れる度量がないのだ。
貴族の夜会でも、学会でも、どこへ行っても同じだった。
賢者と称えられた老学者に弟子入りしたこともあったが、どれも浅い。俺の質問に三日と答えられず、矛盾点を指摘すると決まってこう言う。
「君は賢すぎる。それが欠点だ」
笑止千万にも程がある。
面白くない。つまらない。知的好奇心は急速に衰えていった。
誰も俺を理解しない。この世の仕組みを全て理解してしまったとわかったときの絶望は、計り知れなかった。
このまま無為に生きるくらいなら、いっそこの世を地獄に変えて死んでやろうか──そんな衝動に駆られることも、何度もあった。
だが、天才とは滅びるために生まれてきたのではない。凡人には理解されずとも、歴史を塗り替えるために存在するのだ。
ふふ、若かったな。
その頃の俺はまだ、世界の"奥底"を知らなかったのだ。
☆★
俺は、とあるお方との出会いによって、救われた。
そのお方の名は、黒巌・ディ・ヴェルミュール。俺のお祖父様だ。
本物の天才。
俺は独りではない。この世に天才は二人いた。いや、俺とはスケールが違う真の天才だ。お祖父様と比べれば、まだまだ俺は半人前、道半ばの修行者である。
初めてお祖父様と対面したのは、俺が十歳の時だった。父は早くに亡くなり、母も病弱で、俺は半ば孤独に育っていた。そんな折、突然現れたお祖父様は、まさに俺が求めていた存在だった。
父の父でありながら、俺はその存在すら知らされていなかった。父はお祖父様について語ることを避けていたし、母もその話題になると口を重くした。
お祖父様の書斎は、まるで別世界だった。
天井まで届く本棚、壁一面を覆う図表、複雑な数式、不可解な機械の設計図──それらすべてが、お祖父様の手によるものだった。
お祖父様は俺の才能を見抜き、惜しみなく知識を授けてくれた。
電気、蒸気機関、活版印刷、医療器具──この世界の誰も知らない技術を、お祖父様は次々と教えてくれた。俺が質問すれば、どんな難題にも明確な答えが返ってきた。
とめどなくあふれる知識の泉。
俺がいくら質問しても終わらない。一を聞き百を知ると言われた俺が、掘っても掘っても掘りつくされない。無限の鉱床。それどころか疑問があふれるほどだった。
楽しかった。学ぶとはこれほどまでに楽しく感動するものだったのだ。
しかし、お祖父様から学んだのは学問だけではなかった。
この世界の不公正さ。真の価値を持つ者が評価されず、無能な者が血筋だけで権力を握る腐敗した社会。人は才能によって評価されるべきだという、当然の真理。
お祖父様は俺に、そのすべてを教えてくれた。
だが、そんな偉大なお祖父様の世間の評価は、地に堕ちていた。
まったく唾棄すべき事だ。
お祖父様の偉大な功績を、愚物共に奪われたのだ。あまつさえ、奴らはお祖父様を嘘つき呼ばわりする。盗人猛々しいにも程がある。
お祖父様が発表した理論は「非現実的」「実現不可能」と嘲笑された。王立科学院の重鎮たちは、「黒巌の妄想」と呼んで一蹴したのだ。
そして数年後、同じ理論を別の発明家が「発見」し、栄光を手にした。お祖父様の名前は歴史から消され、詐欺師や法螺吹きのレッテルを貼られた。
許せん。絶対に許すわけにはいかん。
お祖父様は、失意のうちにお亡くなりになられた。
だが、その遺志は俺が継ぐ。
お祖父様の無念は、このゼイドが必ず晴らす。あの方の名を汚した連中──全員、骨の髄まで後悔させてやる。
☆★
復讐の手段はある。
禁断の研究──【精神共鳴装置】
正式名称。術者と対象者の間にある"精神信号"の位相共鳴を人工的に誘発し、感情・思考・信念といった深層精神に干渉する装置理論である。
これには媒体としての青晶核を必要とする。
青晶核は魔力を蓄積し、同調波を増幅・変調する性質を持つ。特定の記憶や感情に同調した"印象波"を抽出・投射する機能を果たす。
この理論が完全に実証されれば、一人の"意思"が、数千、数万の人間の行動を遠隔から"共鳴"させることが可能になる。
つまり、完全なる支配だ。
王も、皇帝も、教皇も、すべて俺の意のままに踊らせることができる。彼らが持つ権力、財力、軍事力──それらすべてが俺のものとなる。
この技術は、お祖父様が残してくれた最後の遺産だった。研究ノートの中に、理論の原型が記されていたのだ。
お祖父様の意志を継ぎ、俺がこの技術を完成させる。
背後で、低い唸りが響いている。
振り返ると、そこには精神共鳴装置の本体があった。
天井まで届く巨大な円筒形の装置。表面には無数の青晶核が埋め込まれ、淡い燐光を放っている。中央の制御盤からは幾本もの銅線が伸び、壁一面のモニターへと繋がっていた。
装置全体が、まるで心臓のように脈動している。
十年かけて完成させた、俺の最高傑作だ。
これで高位貴族はおろか国王、ひいては皇帝までも意のままに操り、この世界の覇権を握る。
そして、この世界の生きとし生ける者全てに知らしめてやる。
お祖父様を罵り法螺吹き扱いしたこと、それがどれだけ愚かでどれだけ罪深い行為だったか、骨の髄までわからせてやる!
モニターに視線を戻す。
画面には、コロッセオの闘技場が映し出されていた。砂地に立つ一人の少年。怯えた表情で剣を握りしめている。
被検体二百四十三号。俺の完璧な器だ。
操作パネルに指を伸ばす。
青晶核の光が俺の顔を照らし、冷たい微笑が浮かんだ。
世界は変わる。俺の手によって、この腐りきった社会は浄化される。真の知性が支配する新しい世界が築かれるのだ。
お祖父様、もう少しお待ちください。あなたの無念を晴らす時が、ついに近づいています。




