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第十七話「女王の計算違い」

 手下へGoサインを出した。

 だが、変だった。


 あれから何の連絡もないのだ。


 贅沢な絨毯が敷き詰められた執務室で、薔薇色のベルベット張りの肘掛け椅子に身を預けていた。この椅子は前のF級の王から奪い取った戦利品の一つで、座る度に勝利の余韻を味わえる。


 脅威は無しと見て、暴力を解禁した。あっけなく殺されたか、奴隷にされて生き地獄を味わっているか、そのどちらかだと思っていたのに。


 この三年間、どんな些細なことでも必ず連絡が上がってきた。それが私の支配体制の基盤だった。情報の流れを完全に掌握することで、王国の隅々まで監視できる。


 足元では、かつて反抗的だった男が膝をついて足をマッサージしている。彼の指は震えていた。この光景こそが、F級で築き上げた絶対的な支配体制の象徴だった。


 壁には過去の戦利品が飾られている。反抗者たちから奪った武器、装飾品、そして彼らの最後の言葉を記した羊皮紙。どれも、この王国の歴史を物語る貴重な品々だった。


「お前、様子を見てきて」


 マッサージをしていた男に命じる。


「へっへ、たぶん別室でやってるんでしょ」


 この愚か者め。即座に肘鉄をくらわせた。鼻の軟骨が潰れる感触が肘に伝わる。鈍い音と共に男の鼻から血が流れる。


「愚鈍なバカのくせに小賢しい。考えようとするな。見た物を見たままに伝えろ」


 男が慌てて頭を下げ、血を拭いながら部屋を出ていく。その後ろ姿を見送りながら、苛立ちが募る。


 三年間、完璧に機能してきたシステムに綻びが生じている。それが何を意味するのか、考えたくもない。


 しばらくして戻ってきた男が報告する。


「誰もいませんでした」

「それで、中を見たの?」

「誰もいませんでしたので…」


 血の気が引いた。誰もいない? それはどういう意味だ。


「この無能がぁ! 消えろ!」


 怒りに任せ、机の上のものを全てなぎ倒した。高価な酒瓶が床に落ちて砕け散り、琥珀色の液体が絨毯に染み込んでいく。インクで書かれた重要書類も床に散らばり、三年かけて築いた情報網の記録が台無しになった。


 計画通りにいかないのは、イラつく、イラつく。


 計算に狂いはない。常にそうだった。今まで、一度たりとも読みを外したことがない。だからこそ、この絶対的な地位を築けたのだ。


 この三年間、常に全てが計算通りだった。予想外の事態など起こりえない。起こさせない。それが流儀だったのに。


 お楽しみ中であろうと、王である私への連絡は欠かすわけがない。そういう教育をしてきた。血と恐怖で叩き込んできた絶対のルール。


 まさか返り討ちにされたか?


 その可能性を考えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 第4部屋長。


 残忍なサディストで知恵も回る。私でさえ敵対するのは、少々面倒な相手だ。だからこそ、飴で支配していた。定期的に上質な酒や食料を与え、特権を認めることで忠誠を買っていた。


 あいつは賢い。無視を決め込むことが、私への敵対行為と理解している。


 どうやら、あいつを甘く見ていたようね。


 胸の奥で、久しく感じたことのない感情が蠢いた。不安だった。


 ティリオ、弱者の皮を被った強者。

 私の目をもってしても見抜けなかった。


 悔しい。この感情も久しぶりだった。F級の女王と呼ばれるようになってから、常に勝者だった。負けることを忘れていた。しかし今、心の奥底で何かが崩れ始めているのを感じる。


 いや、まだ諦めるのは早い。私にはまだ切り札がある。


 不確定要素は潰す。計算外の化け物は、さっさとE級へ昇格させて追い出すのだが、手下へGoサインを出し敵意を見せてしまった。懐柔はできない。


 ならば、殺す。


 深く息を吸い込んだ。動揺を隠し、いつもの冷酷な表情を取り戻す。感情に支配されるようでは、この地位は保てない。


 壁に掛けられた鏡で自分の顔を確認する。完璧な美少女の仮面が整っている。この顔こそが、最大の武器なのだ。


 三日が経過した。

 第4部屋長の死体が発見されたのは、翌朝のことだった。両目が潰され、鼓膜が破られ、鼻が削がれ、舌が切り取られ、指が全て折られている。五感を全て奪われた上での、陰惨極まりない殺され方だった。


 血だまりの中に横たわる無残な死体を見た時、心臓が止まりそうになった。これは単なる殺害ではない。見せしめだ。完全な威嚇行為だった。


 F級全体に緊張が走った。誰もが恐怖に震え、囁き合っている。「あの弱そうな少年が、第4部屋長を殺した」と。


 廊下を歩けば、闘士たちがひそひそと話している声が聞こえてくる。


「第4部屋長がやられたって…」

「五感を全部潰されてたらしいぜ」

「あのティリオってガキ、マジで化け物だったんだな」


 ティリオという名前が、畏怖と共に語られ始めた。


 これは危険な兆候だった。新たな強者への憧憬、既存の権力への疑問。そんな空気がF級に蔓延し始めている。


 私の絶対的な支配体制に、初めてひびが入った。この感覚は、三年ぶりだった。かつて前の王を倒した時以来の、権力の不安定さ。


 廊下で何人かの闘士とすれ違った時、彼らの視線に変化を感じた。これまでのような純粋な恐怖ではない。何か別の感情が混じっている。


 期待? それとも好奇心?


 どちらにしても、私にとって好ましくない変化だった。


 私の権威に傷がつく前に、芽を摘まなければならない。


 計算通りにいかなかった苛立ちもある。だが、それ以上に支配者として看過できない事態だった。王座を脅かす存在は、例外なく排除する。それが私の絶対的なルールだった。


「2~5の部屋長達全員に通達。ティリオを殺せ」


 腹心の部下に命令を下す。


「「はっ」」


 兵士が慌ただしく部屋を立ち去る。


 腹心を全員行かせた。個で脅威なら数で潰せばいい。


 これは鉄則だった。一対一では勝てない相手でも、圧倒的な数の暴力で屈服させる。それがF級における絶対的な真理だ。


 目で合図を送り、虎の子の部隊を投入した。

 この部隊は三年かけて育て上げた精鋭だった。彼らなら、どんな強者でも確実に仕留めてくれる。そう信じていた。


 2番部屋長のガルバン。元盗賊団の副頭目で、短剣術に長けている。狡猾で残忍、仲間を平気で裏切る男だが、私の前では従順な犬だった。


 3番部屋長のデルム。元傭兵で、正面戦闘なら部屋長の中でも屈指の実力者。無口で寡黙だが、命令には絶対服従する。


 5番部屋長のボルク。元闘技場チャンピオンで、観客を魅了する派手な戦闘スタイルを持つ。プライドは高いが、それゆえに私の実力を認めて忠誠を誓っている。


 そして、私の直属部隊。選りすぐりの精鋭たち。皆、過去に私が直接教育した者たちだった。


 これで乱戦になるだろう。


 椅子に深く座り直し、勝利を確信していた。どんなに腕に覚えがある強者でも、これでスキができる。計算通りだ。全ては手の内にある。


 幾ばくか時間が経過した。


 騒がしい戦闘音が響いてくるはずなのに、妙に静かだった。


 不安が胸の奥で膨らんでいく。まさか、あの化け物は部下達も一蹴してしまったのか?


 いや、それはありえない。あれだけの人数を投入したのだ。いくら強くても限界がある。


 だが、連絡がない。


 これまで築き上げてきた完璧なシステムが、音を立てて崩れていくような恐怖を感じる。三年間、一度も味わったことのない敗北感が、じわじわと心を蝕んでいく。


 机の上に置かれた小さな鐘を鳴らした。普段なら、この音で部下がすぐに現れるはずだった。


 だが、誰も来ない。


 再び鐘を鳴らす。今度は少し強く。それでも反応はない。


 ついに我慢しきれなくなった。自分の目で確かめる必要がある。


 立ち上がり、腰に下げた短剣の位置を確認する。万が一の時は、自分の手で決着をつける。それもまた、支配者としての責務だった。


 この短剣は、前の王から奪ったものだった。三年前の戦いで、最後に彼の心臓を貫いた思い出の品。刃には特殊な毒が塗られており、傷をつけるだけで相手を麻痺させることができる。


 扉を開け、廊下へ足を向けた。部下達が向かった方角へ、静かに歩を進める。


 廊下の空気が重い。いつもなら闘士たちの話し声や足音が聞こえるはずなのに、今夜は異様な静寂に包まれている。


 角を曲がった瞬間、血の匂いが鼻を突いた。


 案の定、ターゲットは周囲に囲まれていた。それにしても、男達の死体があちこちに転がっている。


 血だまりが床に広がり、石柱や壁には血痕が無数に刻まれている。まるで地獄絵図だった。


 だが、これはチャンス。


 深く息を吸い込み、心を無にする。十五年間、この瞬間のために磨き上げてきた技術の全てを解放する時だった。過去にD級闘士のガルドスを屠った時も、C級の殺し屋ゼロンの首を刈った時も、この同じ心境だった。獲物を前にした時の、氷のような冷静さ。


 足音を完全に消し、一歩一歩を慎重に進める。この技術でC級の闘士すら仕留めてきた。相手に気配を悟られたことは一度もない。


 石柱の影に身を隠し、戦闘の様子を観察する。ティリオの動きを見極め、最適な攻撃タイミングを計算する。


 懐から愛用の短剣を取り出す。刃渡り15センチ、柄には致死性の毒が仕込まれている特注品だ。この毒は神経を麻痺させ、三秒で心停止に至らしめる。重量バランスは完璧で、50メートル先の的の中心を正確に射抜ける。


 刃に薄く光る毒液を確認する。まだ効力は十分だ。この毒で今まで二十三人の強者を葬ってきた。二十四人目が加わる時が来た。


 心拍数を意識的に下げる。一分間に四十拍まで落とし、呼吸は深くゆっくりと。筋肉の緊張をほぐし、肩の力を抜く。暗殺者としての全ての技術を駆使して、完璧な一撃を放つ準備を整えた。


 ターゲットは戦闘に夢中で、完全に無防備だった。背中が大きく開いている。心臓の位置も、首筋の急所も、全て計算済みだ。


 これで終わりよ。


 自分のテリトリーで、得意の暗殺術。ここでならたとえB級の闘士ですら屠る自信がある。この距離、この角度、この技術。失敗する要素など一つもない。


 短剣を構えた。投擲の構えは完璧だった。右足を軽く後ろに引き、左肩を標的に向ける。腕の筋肉に力を込める。狙いは心臓の左側、肋骨の間を縫って確実に心臓を貫く軌道。


 必殺の一撃。


 短剣が手を離れた瞬間、確信していた。これで勝負は決まったと。


 何だ!? 何が起きているんだ!?


 混乱する。


 放った必殺の短剣が柱に何本も刺さった。


 死角からの不意の攻撃よ!


 なぜ、躱せるの? 人間技じゃない。


 目を見開いた。信じられない光景が目の前で繰り広げられていた。


 ティリオの動きが、見た時とまるで別人のように変わっていた。


 彼は雷のような速度で敵の間を縫って移動している。一人の闘士が重い戦斧を振り下ろすが、ティリオはまるで風のように身を翻し、同時に相手の喉に拳を叩き込んだ。


「ぐはっ!」


 次の瞬間、別の闘士がティリオの背後から長剣を振るう。しかし、ティリオは振り返ることもなく、後ろ蹴りで相手の胸骨を砕いた。男の体が宙に浮き、背後の壁に激突する。


 これは…何なの?


 三人の闘士が同時に襲いかかる。左から槍、右から剣、正面から棍棒。普通なら確実に死ぬ状況だった。しかし、ティリオは微動だにしない。


 右手で槍使いの首を掴み、そのまま石柱に叩きつける。頭蓋骨が砕ける嫌な音が響き、柱に血と脳漿が飛び散った。


 左手では剣士の腕を掴み、関節を逆方向に捻る。骨が折れる音と共に、男の絶叫が食堂に響く。


 そして残る棍棒使いには、膝蹴りを鳩尾に叩き込んだ。男の体が「く」の字に折れ曲がり、内臓が破裂したような音がした。


 全て、三秒足らずの出来事だった。


 部下共も呆然としている。


「なに、ぼーっと突っ立ってんだ。やれ!」


 叫んだが、自分の声が震えているのがわかった。

 その時、ティリオがゆっくりと振り返った。


 その表情を見た瞬間、背筋に氷のような冷たさが走った。

 そこには、記憶する弱々しい少年の面影は微塵もなかった。冷酷で、計算高く、そして圧倒的に強者の表情。まるで獲物を品定めする捕食者のような目つきだった。


「うん? ようやくか」


 ティリオが口を開いた。その声も、今までとは全く違っていた。低く、威圧的で、絶対的な自信に満ちている。


 ターゲットは不敵な笑みを浮かべて仁王立ちしている。足元には血だまりが広がり、周囲の石柱や壁には血痕が無数に刻まれている。まるで地獄の王が玉座に立っているかのような光景だった。

 その笑みが、心臓を氷のように凍らせた。


「あぁ、あぁ……」


 見誤った。

 相手の実力を測る。ここで生き抜くには必須のスキルなのに。

 各部屋長達を屠っている。

 この男には、多人数も関係なかった。


 これが自分にできるか? いや、できない。無理だ。


 一対一ならともかく、全員を相手に無双できるなんて絵物語の話だ。


 これほどの強さ。残虐性を秘めていたなんて。演技なんて生易しいものじゃない。

 まるで別人と呼んでもよい擬態だ。双子だったと言われた方がまだしっくりくる。


 こっちに来る。

 やられるだろう。


 化け物だ。食うか食われるかの世界で、食われる側に回った。


 三年間、絶対的な支配者として君臨してきたが、今度は恐怖に支配される側になった。この屈辱、この絶望感。どんな強者を倒した時の爽快感も、この絶望の前では色褪せて見える。


 出る杭は打つ。全員で仕留める気でいた。口惜しい。これほどのやり手なら、さっさと上へ通過させていたのに。


 いや、まだだ。私に好意を見せていた素振りがあった。


 一縷の望みを託す。


 最後の手段。

 これまで何度も危機を救ってくれた、女としての武器。三年前、C級のバルガンに追い詰められた時も、この手で命拾いした。男の欲望は予想以上に単純で、美しい女の微笑み一つで理性を失う。


 どんな強者でも、どんな冷酷な殺し屋でも、女の色香には勝てない。それが今まで学んだ教訓だった。


 これまでの経験では、失敗したことは一度もない。男という生き物の弱点を完全に把握している。この美貌と技術の前に、屈しなかった男など存在しない。この手を使って、今の地位まで上り詰めてきたのだ。


 心臓が激しく鼓動している。しかし、それは期待からだった。この手法で失敗したことは、ほとんどない。男の本能を利用する技術において、右に出る者はいない。今回も、きっと上手くいく。


「こ、こんにちは。さすが魔狼を素手で倒したお方だ。尊敬するっす」


 甘い声を出して、誘惑する。普段の冷酷な口調を封印し、可愛らしい少女のような話し方に変える。上目遣いで見つめ、少し首を傾げて見せる。胸元を軽く開き、色っぽい仕草を心がけた。


 美貌と女性らしさを武器にすれば、大抵の男は陥落する。それが、ここまで生き延びてきた理由の一つでもあった。


 口元に自信の笑みが浮かぶ。どんな化け物でも、所詮は男。この切り札が通用しないはずがない。


 最後の賭けに、私の全てを懸けた。

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