第十二話「3.7秒の虐殺」
地下研究施設の制御室。
ゼイドは複数のモニターに囲まれ、精神共鳴装置の最終調整を行っていた。今夜は特別な夜だ。被検体二百四十三号の真の力を試す、記念すべき実戦テストの夜。
「僭越ながら……ティリオは日中も活動しております。睡眠不足のままでは……」
エリシアの心配に、苦笑した。隣のモニタールームから聞こえてくる彼女の声には、明らかな懸念が込められている。
「まったく。お前は甘すぎる」
操作パネルを調整しながら答えた。
「お祖父様の教えを思い出せ。"睡眠とは、脳を休ませるためのもの"だ。今の被検体二百四十三号は、我々の信号で動く操り人形だ。脳は休息している。あとは筋肉を動かすだけ」
実際、精神共鳴装置が稼働している間、被検体の意識は深い眠りの中にある。まるで夢を見ているかのような状態で、現実で起こっていることは記憶に残らない。
これは意図的な設計だった。戦闘中の記憶が残れば、被検体が精神的な負担を負う可能性がある。それよりも、何も覚えていない方が制御しやすい。
「つまり……ティリオの意識は眠っているが、身体だけは私たちの制御下にあるということですね」
エリシアが確認する。
「その通りだ。精神共鳴装置が運動野に直接信号を送る。本人は深い眠りの中にいながら、肉体は完璧に機能する」
モニターには、被検体二百四十三号の脳波パターンが表示されている。深い睡眠状態を示すデルタ波が支配的だが、運動制御に関わる部分だけが活発に活動している。まさに理想的な状態だった。
エリシアの表情に安堵が広がった。彼女なりに科学的に納得できたようだ。
☆★
数時間後、俺は再びモニター前に立った。時刻は午後十一時を回っている。部屋の照明は落とされ、大部分の闘士たちが眠りについていた。
「──始まったか」
メインモニターに映し出されたのは、F級宿舎の一室。薄暗い部屋の中で、数人の男たちが被検体二百四十三号を囲んでいた。
部屋長が中央に立ち、その周りにヴァルク、エリック、ブルースが控えている。さらに、ボルカ、ネズ、ガーロといった取り巻きたちも加わり、総勢十数人の包囲網が形成されていた。
怯えたように縮こまる被検体二百四十三号に、ヴァルクが嘲笑を浮かべながら蹴りを放つ。
「へっ、魔狼殺しがこの程度かよ」
元傭兵らしく、その蹴りは正確だった。普通なら避けられない速度と軌道。相手の急所を狙った、殺傷能力の高い攻撃だった。
操作パネルに指を走らせる。メインディスプレイには、リアルタイムで算出される攻撃予測ラインが表示されている。青晶核から送られてくる視覚情報を解析し、最適な回避ルートを計算する。
「攻撃パターンA-7。回避成功率98.7%。カウンター機会あり」
音声合成システムが、冷静にデータを読み上げる。その瞬間、被検体二百四十三号の身体が滑るようにかわした。
「なっ……てめぇ、避けた……!?」
ヴァルクの顔に驚愕が走った。確実に当たると思っていた攻撃が、まるで予知でもされていたかのように回避されたのだ。
だが、ヴァルクも元傭兵だ。すぐに体勢を立て直す。
「運が良かっただけだ……今度は避けられねぇぞ!」
ヴァルクが本気になった。左手でフェイントをかけながら、右拳を鳩尾に向けて放つ。これは彼の得意技の一つで、多くの敵を仕留めてきた必殺の一撃だった。
だが──
モニター上で攻撃パターン解析が完了する。「Pattern-C: Counter Attack」の文字が点滅し、最適解が算出される。
被検体二百四十三号が滑るように回避し、同時に右膝をヴァルクの鳩尾に正確に打ち込んだ。
その動きは、まるで踊りのように美しかった。無駄な力は一切使わず、最小限の動作で最大の効果を生み出す。まさに完璧な戦闘技術だった。
「ぐはあっ……!!」
ヴァルクの目が見開かれ、口から唾液と胃液が噴き出す。膝が崩れ、大柄な体が前のめりに倒れ込んだ。
その瞬間、被検体二百四十三号が素早く動いた。倒れかけのヴァルクの後頭部を両手で掴み、床の石に向かって勢いよく叩きつける。
一度、二度、三度──容赦なく頭部を石床に打ち付ける。
鈍い音が部屋に響き、血だまりが床に広がった。ヴァルクの体から完全に力が抜け、ぴくりとも動かなくなった。
「……え?」
「ヴァルクが……殺された?」
同室の連中が呆けたように口を開けた。つい数分前まで威勢よく笑っていた仲間が、一瞬で屍と化したのだ。
操作パネルを調整し、次の段階に移った。敵の数は多いが、一人一人は大したことない。数の優位を無効化するには、心理的な動揺を誘うのが効果的だ。
「逆らうとは、生意気なッ……容赦しねぇ!」
部屋長が激昂した。数人が同時に襲いかかる。エリック、ブルース、そして新たに駆けつけたボルカたち。総勢八人が一斉に攻撃を仕掛けてきた。
遅い。魔狼に比べれば、スローモーションだ。
俺の指が操作パネルを滑る。メインディスプレイに複数の攻撃者の動作予測が表示される。赤い線で示された攻撃軌道、青い線で示された回避ルート、緑の線で示されたカウンター攻撃。
まるでチェスの局面分析のように、すべての手が数手先まで読まれていた。
操作卓のマイクスイッチを押した。
「ボディがお留守だぜぇ!」
低く呟くと、被検体二百四十三号の口から俺の言葉が流れ出る。
「飯の恨み、返させてもらうぞ」
ボルカの右フックを僅かに身を引いて回避。同時に左手で相手の右脇腹──肝臓への正確な打撃。
その攻撃は、まさに急所を狙った必殺の一撃だった。肝臓への打撃は、体重の重い相手ほど効果的。ボルカの巨体が、逆に仇となった。
「ぐはっ!」
ボルカが苦悶の表情で崩れ落ちる。
被検体二百四十三号が倒れたボルカの首筋に手刀を振り下ろした。鈍い音と共に、頸椎が砕ける。
俺は操作を続ける。次の標的はネズだ。
ネズのストレートを右にかわしながら、右肘を相手の鳩尾に打ち込む。
「足元ががら空きだ」
淡々と指摘する。
実際、ネズの構えには致命的な欠陥があった。上半身の攻撃に意識を集中しすぎて、下半身が無防備になっている。俺はその弱点を瞬時に見抜き、適切な攻撃を指示した。
さらにガーロの足払いを跳躍で回避し、着地と同時に右足で相手の膝関節を的確に踏み抜く。
関節技は、力の差を無効化する効果的な攻撃法だ。どんなに筋力があっても、関節の構造的弱点は変わらない。
そして床に落ちていた金属のフォークを拾い上げ、躊躇なく、ガーロの左目に突き刺した。
「ぎゃああああっ!」
三人の攻撃を同時に処理し、全員を倒すまでの時間──3.7秒。
プロテイン投与による肉体強化と、精神共鳴装置の精密制御。二つの技術が完璧に融合した結果だ。
モニターに表示される戦闘データも、すべて理想値を示している。攻撃精度99.2%、回避成功率98.8%、エネルギー効率95.1%。まさに完璧な戦闘マシンだった。
「はぁ……つ、強ぇ……」
「こんなに強かったか……? 情報と全然違う……」
残った闘士たちが震え声で呟く。恐怖の中で、一歩も動けなくなる群れ。
俺はマイクに向かって冷たく笑った。
「さて──これで、誰が最強か理解したかな」
被検体二百四十三号の口から、俺の声が響く。
「……新入りがなめるんじゃねぇ。これで終わりと思うな」
部屋長が凄みを聞かせて脅す。まだ諦めていないらしい。
「これだけやられて、大した自信だな」
操作パネルを調整しながら答えた。
「あぁ、まだだ。いくら腕が立とうが、お前は一人ってことさ!」
そう言うやいなや、数十人に四方を囲まれた。新手だ。部屋の外からぞくぞくと集まってきた。
どうやら、騒ぎを聞きつけて増援が駆けつけたようだ。F級の闘士たちが、続々と部屋に詰めかけている。
「それで、それがなんだというんだ」
冷静に状況を分析する。敵の数は約五十人。武器を持った者もいる。だが、烏合の衆に変わりはない。
「へっ、わからないか? 俺には他にも仲間がいる。そいつらが昼夜問わず襲ってくるぞ」
部屋長は、嗜虐の笑みを浮かべていた。
「そうか。楽しみだ」
操作パネルに手を置く。今度は、真の殲滅戦だ。
「なんだ、その余裕面は?」
部屋長が苛立ちを見せる。
「あいにく生死がかかわるとは思えないからな」
事実、これだけの人数でも、俺にとっては脅威ではない。精神共鳴装置の計算能力があれば、百人程度までなら同時に対処可能だ。
「けっ! 綺麗な顔を真っ赤な血で染めてやるぜ」
その瞬間、俺は動いた。
操作パネルを激しく叩き、被検体二百四十三号を加速させる。腰を低くして一気に詰め寄り、部屋長の右目をくり抜いた。
「ぎゃあああああ!」
部屋内に悲鳴が響く。
「や、やりやがった。躊躇なくえぐってきやがった」
周囲の闘士たちが動揺する。
「昼夜問わず襲撃? ゼレク=カルの悪党が生ぬるいことで。お前たちに次があると思ったのか?」
右にステップして、貫手で部屋長の喉を突き、そのまま足で胸を踏みつける。肋骨にひびが入る音が響く。
「ぐああっ! ま、待てよ……話を……聞けって……俺が……悪かった……」
部屋長がかすれ声で懇願する。
「新入りに何度謝罪を求められた? 耳を貸したか?」
マイクに向かって冷たく問いかける。
「そ、それは……き、聞かなかった……」
部屋長が苦しそうに答える。
「そうだな。では、なぜ俺が聞く必要がある?」
さらに強く踏みつける。
「ぐああっ! すまない! 助けてくれ! お前を幹部にしてやる!」
部屋長が必死に哀願する。しかし俺は容赦しない。
「い、いや、違う! 情報だ! 上層部の情報を教える! 何でもするから!」
部屋長が必死に命乞いする。
「情報ねぇ、何でもするか……だが、断る」
即座に拒絶した。部屋長の顔が絶望に染まる。
「俺にとっての最大の利益は、お前の苦痛だからな」
「そ、そんな」
「このティリオ容赦せぬ」
部屋長への攻撃を続ける。
「ぎゃあああああ!!」
部屋長の絶叫が響く中、周囲にいた増援たちがざわめき始めた。
「お、おい……これはやばいぞ……」
「逃げよう、逃げないと俺たちも……」
一人、また一人と、入口に向かって後退し始める。
俺は逃がすつもりはない。見せしめには、全員を始末する必要がある。
「おや? どこへ行くんだ?」
冷たい声が響いた瞬間、最も出口に近かった男の首筋に、被検体二百四十三号の手刀が突き刺さった。
「に、逃げろ! こいつ化け物だ!」
パニックに陥った増援たちが一斉に出口へ殺到した。だが──
「遅い」
わずか十数秒で、数十人いた増援のほとんどが屍と化していた。
血だまりが床に広がり、部屋は阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。
その惨状の中で、ただ一人、隅で震えながらも生き残っている男がいた。ネズだ。
「ひっ……ひぃぃぃ……」
ネズの体が小刻みに震えている。失禁している様子も見える。
俺は彼を生かしておくことにした。証人が必要だからだ。
「お前だけ残したのには理由がある」
冷たい声で告げる。
「橋渡し役だ。F級訓練所をまとめている奴への連絡係として使ってやる」
ネズの顔が青ざめた。要するに、このF級の裏ボスへ会わせろという意味である。
「わ、わかりました……何でもします……」
その時、ネズが突然被検体二百四十三号の足元に這いずり寄った。
「あ、兄貴! 兄貴と呼ばせてください!」
土下座しながら必死に叫ぶ。
「俺を舎弟にしてください! 何でもします。靴も舐めます。頼みます!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、被検体二百四十三号の足にすがりついた。
完全な力の逆転。
昨日まで新入りをいじめていた連中が全滅し、元情報屋のネズが今度は命乞いをしている。
操作卓から身を引き、深く椅子にもたれかかった。
実に見事な成果だった。被検体二百四十三号の地位は一夜にして変わった。
これで次の実験段階へ進める。F級での基盤を確立した今、より大きな舞台での活躍が期待できる。
俺は満足げに微笑んだ。お祖父様の技術を継承し、さらに発展させている手応えを確実に感じていた。
この勝利は、単なる戦闘の勝利ではない。科学技術の勝利であり、知性の勝利なのだ。愚鈍な力に頼る連中を、高度な技術で圧倒する。これこそが、俺の目指す理想の世界だった。
明日から、被検体二百四十三号の新たな伝説が始まる。そして俺の復讐計画も、次の段階へ進むことになる。
すべては順調だった。完璧すぎるほどに。