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第十一話「監視網の構築」

 このコロッセオの各部屋には、俺が仕込んだ盗聴器とカメラがある。


 総数にして三百を超える小型デバイス。設置には半年を要した。医療巡回の名目で施設内を徘徊し、天井裏、壁の隙間、床下──あらゆる死角に機器を配置した。


 この監視システムの構築は、俺の復讐計画における最重要プロジェクトの一つだった。敵を知り己を知れば百戦危うからず──孫子の兵法の基本中の基本だ。情報なくして戦略なし。完璧な支配には、完璧な情報網が必要不可欠だった。


 各デバイスは、俺が独自に開発したものだ。青晶核の微細な結晶を核として、音声と映像を同時に記録・送信する。大きさは指の爪ほどで、色も石材や木材に溶け込むよう調整してある。この国の技術レベルでは、発見することは不可能だろう。


 医者という立場で堂々と出入りする一方、裏ではこうして全情報を掌握している。表の顔と裏の顔。医師ゼイドと研究者ゼイドラク。二つの人格を使い分けることで、誰にも怪しまれることなく、完璧な監視網を構築することができた。


 この国の技術レベルでは、誰一人として気づけまい。やりたい放題だ。


 地下研究施設。


 俺の秘密基地の一つだ。コロッセオの地下深く、表向きは古い貯蔵庫として登録されている空間を、俺が密かに改造したものだった。


 中央には巨大なモニターが並び、コロッセオ全体の映像が常時流れている。音声解析装置、生体反応モニター、そして操作端末。すべてが俺の設計による最新鋭の機器だ。


 壁一面を覆うモニターには、各部屋の状況がリアルタイムで表示されている。F級の宿舎、食堂、訓練場、さらにはE級やD級の施設まで。まさに神の目を持ったような、全知の視点を得ていた。


 この制御室から、俺は全てを見ている。全てを聞いている。そして、必要に応じて介入することができる。まさに影の支配者として、この施設の真の王として君臨していた。


「──今日もティリオは、食事を取り上げられたようです」


 エリシアの報告が、制御卓のスピーカーから流れてきた。


 彼女は別室のモニタールームにいる。二十四時間体制でティリオを監視する役目だ。シルヴァン族特有の集中力と観察眼を活かし、被検体二百四十三号の一挙手一投足を記録している。


 モニターに映るティリオの姿を見ながら、俺は冷静に状況を分析した。やつれた顔、落ち込んだ肩、震える手。明らかに限界に近づいている。


 闘技場だけが戦場ではない。奴隷たちは、日々の生活そのものが戦いだ。食事、寝床、地位。弱肉強食の構造がすでに組み込まれている。


 そして、その構造を作り上げたのも、俺だった。この施設の闘士たちが互いに争い、弱い者をいじめ、強い者に媚びる──そうした環境を意図的に作り出していた。分割統治の原理。支配者の基本戦術だ。


「ゼイド様、このままではティリオが危険です。何か手段を講じるべきでは?」


 沈痛な声音が、エリシアの心配を物語っている。モニター越しに見える彼女の表情にも、明らかな不安の色が浮かんでいた。


 相変わらず、過保護だな。


 エリシアは、被検体二百四十三号に個人的な感情を抱いている。昔、あの子の家族に助けられたことがある、と言っていたか。シルヴァン族の血を引く彼女にとって、アヴェンハート家は命の恩人なのだろう。


 善人に対してはとことん甘い。完全に保護者の目だ。


 だが、それでは実験にならない。被検体は極限状態に置かれてこそ、真の能力を発揮する。温室育ちの花では、戦場で役に立たない。


 まぁ、しばらくは生かしておくに越したことはない。使える限りは、な。


 完全被検体とはいえ、データ取得が終わった後は量産化できる。証拠を残すより、処分するほうが合理的だ。被検体二百四十三号の脳に埋め込んだ青晶核、精神共鳴装置の構造は、俺以外には解析不可能だが、万が一ということもある。


 ただ、そう口にすれば、エリシアは確実に悲しむだろう。あの女は感情的すぎる。研究に支障をきたす可能性もある。当面は、希望を持たせておいた方が良いだろう。


「エリシア、よく聞け。F級の食事など、粗悪な化学物質と汚染水の塊だ。むしろ、食べないほうがマシだ」


 実際に成分分析をしてみたが、ひどいものだった。保存料まみれの腐りかけた肉、農薬塗れの野菜、工業用水レベルの汚染された水。栄養価も最低限で、むしろ毒物と言っても過言ではない。


 俺が意図的に質を下げさせているのだが、エリシアには言う必要はない。


「とはいえ、空腹が続けば動けなくなります」


 エリシアの声に心配が込められている。


「落ち着け。人間、水さえ飲んでいれば簡単には死なない」


 人体実験のデータでは、健康な成人男性なら三週間は生存可能だ。ティリオの場合、元々が栄養過多の状態だったから、むしろ好都合とも言える。


「ゼイド様、それでも……」


 エリシアがなおも食い下がろうとする。


「むしろ都合がいい。あいつは元々、炭水化物の取りすぎだった。ぶくぶく太って、戦う以前の問題だった」


 ティリオ──被検体二百四十三号は、裕福な商家の息子だ。診察時にはBMIが30を超えていた。精神共鳴装置との親和性は高いが、あの脂肪量では効率が悪すぎる。


 戦士として使うなら、まず体を絞る必要がある。意図的な飢餓状態は、その目的にも合致していた。


「一週間の絶食で、ようやく身体が締まってきた。モニターを見ろ」


 画面に映るティリオの姿は、確かに変化していた。頬の肉が落ち、二重顎が解消されている。腹部の脂肪も明らかに減少し、あばら骨の輪郭がうっすらと見えるほどだった。


 数値的にも理想的だ。体重は来た時から15キロ減少。体脂肪率も20%から12%まで低下している。これなら、精神共鳴装置の制御効率も大幅に向上するはずだ。


 だが、このまま放置すれば筋肉まで分解されてしまう。それでは本末転倒だ。


「では、次は栄養補給を……?」


 エリシアが提案する。


「そうだ。ここで"プロテイン"を投入する」


 俺は隣の棚から、特殊な薬剤の入った小瓶を取り出した。透明な液体が入っているが、これこそが俺の秘密兵器の一つだった。


 お祖父様が開発したプロテイン製剤は、通常の倍以上の効率でタンパク質を吸収させることができる。短期間での肉体改造には最適な薬剤だ。


 この薬剤の存在は、俺とエリシアしか知らない。原料となる特殊な薬草は、シルヴァン族の知識なしには入手不可能だからだ。エリシアの協力があってこそ、この奇跡の薬を作ることができる。


 筋肉の成長を促進し、同時に脂肪の分解も加速させる。さらに、神経系の発達も促進するため、精神共鳴装置との適合性も向上する。まさに一石三鳥の効果を持つ、究極の強化薬だった。


 その夜、エリシアは俺の指示を受けて行動を開始した。


 深夜一時。F級宿舎の給水設備に潜入し、該当する配管にプロテイン製剤を注入する。透明な液体が配管内に流れ込んでいく。無味無臭で、水と見分けがつかない。


 エリシアの動きは、まるで影のように静かだった。シルヴァン族の身体能力と、長年の訓練で身につけた潜入技術。監視の目をかいくぐり、完璧に任務を遂行する。


 この給水システムは、俺が設計段階から関わっていた。表向きは「衛生改善」を名目としていたが、実際は薬剤投入のためのシステムだった。特定の部屋、特定の個人に、狙い撃ちで薬剤を投与できる仕組みになっている。


 三日後、効果が現れ始めた。


 モニター越しに観察する被検体二百四十三号の体に、明らかな変化が見られた。肩幅が広くなり、腕の筋肉が盛り上がっている。まるで何ヶ月もトレーニングを積んだかのような変貌ぶりだった。


 数値的にも驚異的だった。筋肉量が20%増加し、基礎代謝も30%向上している。これだけの変化を自然に起こそうとすれば、最低でも半年はかかるだろう。


 一週間が経過する頃には、胸筋が厚くなり、腹筋の輪郭がはっきりと浮かび上がっている。理想的な戦闘員の体型に近づいていた。


 しかし、ティリオ本人は変化に気づいていないようだった。鏡を見る余裕もないほど、精神的に追い詰められているのだろう。むしろ好都合だ。変化に気づかれれば、疑問を持たれる可能性もある。


 そして、十日が過ぎたころ、俺がデータ解析に集中していると、突然アラームが鳴り響いた。


「緊急報告です。今夜、ティリオが襲撃されます!」


 エリシアが蒼白な顔でラボに飛び込んできた。いつも冷静な彼女がここまで取り乱すとは……本気で案じているらしい。


 ──ようやく"様子見"の期間が終わったか。予想通りの展開だ。


 俺は内心で満足していた。計画は順調に進んでいる。


「詳細を」


 俺は冷静に対応した。


「魔狼を倒したことで、しばらくは監視対象だったようですが……最近の振る舞いから、"脅威ではない"と判断されたようです。同室の連中が、今夜、リンチを企てています」


 愚か者どもが。観察に値しない本能の群れだ。


 彼らは単純な力関係でしか物事を判断できない。被検体二百四十三号が大人しくしているのを見て、「弱い」と判断したのだろう。まったく、短絡的な思考だ。


 もちろん、被検体用の部屋には盗聴器とカメラを完備してある。内部の様子は──すべて把握済みだ。


 操作パネルを操り、該当する部屋の映像を呼び出した。


「F級部屋・談話スペース。十一月十五日、午後九時三十分の映像を再生だ」


 モニターに映し出されたのは、F級の同室闘士たち。薄暗い部屋の中で、男たちが輪になって座っている。全員の顔が不気味な笑みを浮かべていた。


 部屋長、ヴァルク、エリック、ブルース──いつものメンバーが揃っている。彼らの表情には、獲物を前にした捕食者のような残忍さが宿っていた。


「魔狼を倒したって聞いて身構えたが……ただのビビリだったな」


 部屋長の声が、制御室に響く。


「召し上げしても、ちっとも抵抗しねぇ」


 ヴァルクが下卑た笑いを浮かべている。


「今夜、やるぞ。上からも"好きにしていい"ってさ」


 部屋長の声が、特に低く響いた。


「まずは俺が"味見"してやる。あのツラ、ボコボコにしてやりたくてうずうずしてたんだ」


 エリックが興奮したように身を乗り出す。


「部屋長、殺しちまってもいいんですかい?」

「構わん。どうせゴミクズだ。死んだら壁に手形でも押させてやろう」


 ヴァルクが下卑た笑い声を上げる。


「俺も参加させてもらいやす。あの坊ちゃん面、一度ぶん殴ってみたかったんで」


 ──よし。まずはこの男を見せしめに使ってやろう。


 被検体二百四十三号の"格"を一気に底上げするための、最高の餌だ。


 部屋長とヴァルクは、F級内での小さなヒエラルキーの頂点に立っている。彼らを倒すことで、被検体二百四十三号の地位は一気に向上するだろう。その後の実験環境も改善される。一石二鳥だ。


 俺は操作端末に向かい、精神共鳴装置の出力調整を始めた。いつもの遠隔制御ではない。今夜は、彼の潜在能力を完全に解放する。


 今夜使用するのは、「戦闘モード」と呼ぶべき設定だった。被検体の身体能力を限界まで引き上げ、同時に痛覚や恐怖心を遮断する。まさに完璧な戦闘兵器に変貌させるのだ。


「ゼイド様……本当に大丈夫なのですか?」


 エリシアの声に不安が滲んでいた。


「案ずるな。すべて計算済みだ」


 俺は薄く笑みを浮かべた。


 今夜、真の実験が始まる。


 部屋長たちは、自分たちが実験動物であることを知らないまま死んでいくことになるだろう。そして被検体二百四十三号は、血と暴力の洗礼を受けて、真の戦士として覚醒する。


 制御卓のモニターには、各種データが踊っている。被検体の生体反応、精神共鳴装置の出力状況、部屋の監視映像。すべてが俺の掌の上にある。


 完璧な駒が、ついに盤上で動き出す。


 俺の復讐劇の、本格的な幕開けだ。


 部屋長たちの嘲笑も、ヴァルクの下卑た笑いも、今夜で終わりになる。彼らは知らない。自分たちが相手にしようとしているのが、単なる弱い青年ではなく、俺が十年をかけて作り上げた完璧な殺戮兵器だということを。


 今夜の戦いは、被検体二百四十三号にとって真の目覚めの時となる。そして俺にとっては、長年の研究成果を実証する記念すべき夜となるだろう。


 祖父様、見ていてください。ついに、あなたの理論が現実のものとなります。完璧な精神共鳴装置によって制御された、究極の兵器が誕生するのです。


 モニターの向こうで、被検体二百四十三号がゆっくりと眠りから覚めようとしていた。だが、目覚めた時、そこにいるのはもはや弱々しい商家の息子ではない。


 俺が作り上げた、完璧な殺戮マシンだ。

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