食役令嬢のバッドモーニング
《2章》
悪役令嬢の朝は早い。
休日にもかかわらず、6時に目覚まし時計をセット。5時50分に起床。
新人研修で叩き込まれた5分前行動である。アンジェリカの身体でも、魂に刻まれたギアスゆえ異世界転生した程度じゃ拭い去ることなど不可能。悲しいね。
5分前行動? 10分前じゃない? 算数ぅ~……義務教育の敗北?
否。アレは9時集合と言われ、8時55分に到着した講習会――
『5分前行動の徹底とは即ち、5分前に5分前行動が完了していること。白名井さんは本当にダラダラと学生気分ね。新兵は拙速を尊ぶ。あなた、マナー違反です!』
だったら初めから10分前行動を指標に掲げればいいじゃん!
どうせ今度は、その稚拙な振る舞いうんぬんかんでしょ!
巧遅拙速の悪い所取り。孫子に書いてあれば、勝ち戦も必ず負けちゃうよ。
許すまじ、カリスママナー講師。アンガーマネジメント? んなもんで怒りが抑えられたら、真の憤怒と言わんのだ。カァーッ!
低血圧を吹き飛ばすイメトレを済ませ、あたしは部屋の小窓を開け放った。
日差しを浴びながら、う~んと全身を伸ばしていく。
正面の建物。その屋根、赤いトサカが凛々しい奴らと目が合った、気がする。
「ごきげよう、ニワトリさん」
こけこっこー。
「日曜でも、朝の囀りに礼儀を尽くす。早起きのマナーですわ」
んなわけあるかっ! あぁもう、寝言妄言の類であってくれ。
突発性謎マナー症候群には困りもの。一応、貴族専用病院でメディカルチェックを受けたけど異常なしと判定。大いに異変あり。異世界医学の敗北ですよ。
あたしはベッドに座り込んで、徐に部屋を見渡していく。
公爵家令嬢の自室と比べれば、こじんまりとした印象。飾り気が乏しく、必要最低限の家具が並べられていた。学生寮よりビジネスホテルって感じ。貴族のお子様は狭いと不満を漏らしそうでも、あたしは結構満足気。アンジェリカルーム、逆に広くて居心地が悪かった逆に。
コンコン、とノックの音。
メイドのミヤゲがやって来た。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ミヤゲ。早いじゃない」
「主が起きてるのに、使用人が寝ていたらクビになってしまいますから」
「気を使わず結構。休日出勤させるほど、わたくしはブラックマインドでなくってよ」
驚愕したミヤゲは顔を引きつらせてしまう。
この世のものとは思えない化物を見た表情やめて。
「し、失礼しました! まかさ! お嬢様からそんな言葉が飛び出るとは想定外で予想外でした!」
まかさ、ちょっと好き。
わたくし、生粋の悪役令嬢。昔はブイブイ言わせてたもんなあ。白名井真奈の記憶を取り戻すや、文字通り別人のような性格になった。
近くで悪行の数々を目撃していたメイドにとって、この変化も戦々恐々らしい。
「最近のお嬢様……まるで人が変わったようですね。人当たりが良くなったというか、優しくなったというか」
そうだよ(そうだよ)。
ジーニアス魔法学園は全寮制。各寮にハウスキーパーやガーデナーが配属されている。
しかし、ほとんどの生徒が貴族なので、付き人の同行を一名まで認められていた。
メイドのミヤゲは、あたしの私生活の世話焼きとして派遣されたのだが。
「お嬢様は率先して身支度を自分でなさっていますよね。最上位の家柄のお方がそんなんだから、他の貴族子女が委縮してるとメイド界隈で専らの噂になってますから!」
どうも、そんなんだから令嬢です。
「癇癪とワガママが減って、いいことじゃない。忍耐は淑女の嗜みでしてよ」
「全く不慣れな家事に手をつけられ、結局その片付けで仕事が増えるんですってば」
それは知らんってば。
こちとら、普通に一人暮らしのノリでやってるだけ。別に、他の子へ強要していないぞ。
家電はないけど、魔法具で類似製品たくさんあるしね……む、他の転生者の気配?
「掃除、洗濯、炊事……どうしてそこまで公爵家のご令嬢なのにやられるんですか? 私の仕事を取らないでください。クビの件、現実味を帯びてきました」
不満そうなミヤゲ。
「あなたは曇った空を見上げて、気持ちが晴れるかしら?」
「いえ、それは」
「見上げて表情を曇らせる不届き者など、上に立つ資質はありませんの。憧憬の念抱かれてこそ、理想の公爵家令嬢。それがジェントレスを背負う者の務めッ!」
「――っ! ご、ご立派になられてっ!」
あたしに後光でも差していたのか、ミヤゲの目が眩んでいた。
「とは言え、わたくしは家事全般が素人。自分の面倒を全て見られるほどの生活力はまだないと言わざるを得ないのが現状。ミヤゲのサポートは必要よ。これからも奮ってちょうだい」
「付き人冥利に尽きた、勿体ないお言葉! 不肖ミヤゲ! これからも全力でお嬢様のお世話をさせていただきます!」
感涙し、もはや浄化寸前のメイドであった。影がちょっと消えてない?
とりあえず、アンジェリカは光魔法なんて使えないことだけは主張したい。
それは主人公の唯一性じゃん。