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07.落とし子

 しかしその直後、爽やかな気分を吹き飛ばす出来事が起こった。


「まあ、外の空気を吸おうと思ったのですけれど……。お邪魔でしたかしら?」


 バルコニーで談笑しているアストリンデとテネブロスの元にやってきたのは、ふたりの若い女性だった。


 いずれも帝国における、有力貴族の夫人たちである。

 片手にシャンパングラスを持った彼女たちは、白粉越しでもわかるほどに頬を紅潮させており、ほろ酔い気分といった様子だった。


「あなたがたは……ソルフェア侯爵夫人に、マリエリ辺境伯夫人だったかな。どうぞお構いなく。そろそろ中へ戻ろうと思っていたところだ」


 アストリンデの背をそっと押し、テネブロスがバルコニーから広間へ促そうとする。

 夫人たちは示し合わせたように目線を交わし、扇子の向こうで意味深に笑った。


「それはよかったですわ。まだ年若いおふたりがご一緒にいらしたら、どんな口さがない噂が立つかもわかりませんもの」

「そうそう。ただでさえ、先ほどの出来事で皆が神経質になっているところですのに……」


 アストリンデは注意深く、夫人たちの様子を窺う。

 本人たちは隠しているつもりなのかもしれないが、その言葉には、幼いアストリンデでもわかるほど明らかな棘が含まれていた。


「――どういう意味でしょうか?」


 今正に広間へ戻ろうとしていたアストリンデは、ドレスの裾を翻して夫人たちに問いかける。


「義姉上、聞かなくていい」


 焦ったようなテネブロスの制止も、お喋り好きな夫人たちの耳には入らなかったようだ。


「先ほどの老婆の一件ですわ。神は、ヴェスカルド殿下をゼファー帝国のお世継ぎとして、お認めにならないと」

「あのような戯れ言を真に受けるとおっしゃるのですか?」


 怒っているわけではなく、アストリンデは純粋に驚いていた。

 帝国貴族の一員ともあろう者が、晴れやかな宴に突然乱入した狂人の発言を信じるなんて。


「もちろん、単なる戯れ言だとわたくしも信じたいですわ。ですが、ねえ。あの地を割らんばかりの雷鳴をお聞きになりまして?」

「ええ、本当に不吉でしたわ……」


 雷鳴。雷が一体なんだというのだろう。

 そういえば先ほど雷が鳴った際、招待客の中からも「不吉だ」と声が上がっていた覚えがある。


「雨も晴れも、単なる自然の気まぐれでしょう?」

「……王女さまはまだ、ご存じないのですね」


 さも『物知らずな小娘に教えてやる』とでも言いたげな態度で、夫人たちはもったいぶって扇子をゆらめかせる。


「この国では、皇帝は太陽神の化身。ですから重要な催しが儀式の際に雨が降るのは、大変不吉なこととされているのですわ」

「ヴェスカルド殿下がお生まれの折りは、大変な豪雨でしたわね。各地で死者も大勢出て、大変だったと記憶にございますもの……」

「それに比べて、テネブロス殿下ご誕生の際は、雲一つない晴天だったと。さすが、真に皇帝陛下と皇后陛下の間にお生まれになった御子だと、皆噂して――」

「やめろ!」


 ――パリン!

 グラスの割れる音と鋭い声が、小鳥のような夫人たちのさえずりを強制的に遮った。


「貴女たちは、なんの権利があってそのような讒言を口にする? この国の皇太子を貶めるということは、すなわち帝国の紅鏡(太陽)である皇帝陛下に弓引くということ」


 テネブロスの手の中でグラスが割れ、彼の手のひらを傷つけている。

 側にいた女官たちは、彼の手から滴る血を見て卒倒せんばかりの顔色をしていた。


 出血量を見る限り、手には相当の痛みがあったはず。しかし彼はそんなことは意にも介さず、夫人たちを冷ややかな瞳で睨めつけた。


「ヴェスカルド兄上は、我が父である皇帝陛下が皇太子としてお認めになった正統なる世継ぎ。ソルフェア侯爵家とマリエリ辺境伯家は、その決定に真っ向から異論を唱えると?」

「そ、そんな……わたくしどもは、そういうつもりでは」


「ただ、この国の未来を憂えての発言でございました。どうぞご寛恕くださいませ」


 テネブロスの表情に、夫人たちもすっかり酔いが冷めたようだ。静かにうつむき、ひたすらに彼の怒りが収まるのを待っている。


「軽率な発言は、帝国への翻意ありと見なされることもある。努々、気をつけられよ。――さあ、義姉上。広間へ戻りましょう」

「あ……、はい。テネブロスさま……」


 半ば強引に手を引かれ、アストリンデは慌てて彼の後を付いていく。その後ろに女官たちが付き従い、早足でふたりを追った。


 広間では、酔いの回った招待客たちが上機嫌で談笑しており、戻ってきたふたりに目を留める者はいない。


「アストリンデ。どうか、先ほどの夫人たちの発言は気にしないでほしい」


 柱の陰で足を止めたテネブロスが、真剣な表情でアストリンデを見下ろす。


「貴族たちの中には、あのような不敬な言葉を口にする者が多いのも事実だが……。僕は兄上こそ皇太子に相応しいと思っているんだ。――たとえ、兄上が、父上と愛妾との間に生まれた子だとしても」

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