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04.祝福と雷鳴

 大広間の入り口から、真正面に設けられた王族のための高座の間には、海の色より青々とした絨毯が敷かれていた。

 高座に用意された椅子は、皇帝と皇后が腰掛けるためのものだろう。

 絨毯の両側に用意されたテーブルには、ふたりの婚約を見届けるため集まった貴族たちが着席しており、その背後に儀仗兵たちが佇んでいた。


「アストリンデ王女のおなりです」


 老侍従が重々しい声でアストリンデの入室を告げるなり、貴族たちが立ち上がって扉のほうへ目を向けた。

 アストリンデが貴族たちの前に正式に姿を現したのは、これが初めてのこと。


 予想していたとおり、反応は様々だった。

 小国の王女に対する軽視、侮蔑。いかほどの器量かと値踏みするような視線に、純粋な好奇心。

 中には、我こそが皇太子妃の座に――と目論んでいた者もいるのだろう。

 妬みや嫉みも少なからず存在する、そんな突き刺さるような視線に一瞬怖じ気づく。


『なんだ、ただの小娘ではないか』

『あんな子供に、大国の皇太子妃など務まるはずがないわ』


 そんな声が聞こえてくるような気さえした。


 頭の中が真っ白に染まったような気がした。

 思わず俯きそうになったアストリンデだったが、その時、頭の中でヴェスカルドの声が響く。


『心配しなくても大丈夫だよ、リンディ。周りの人間が何を言ったって、君がとっても素敵なお姫さまだってこと、僕はちゃんと知っているから』


(ヴェス兄さま……)


 それは昨日、婚約式に臨む緊張から弱音を吐いたアストリンデに対して、ヴェスカルドがかけてくれた励ましの言葉だった。

 もし、貴族たちから悪く思われたらどうしよう。もし、失敗したらどうしよう。

 そんな不安を吐露するアストリンデに、ヴェスカルドは優しく微笑んでそう言ってくれたのだ。


 その時の彼の言葉と表情を思い出すなり、アストリンデは自分でも不思議なほど心が落ち着き、勇気が湧いてくるのがわかった。

 自分は、皇太子ヴェスカルドの婚約者として今ここに立っている。ならば今アストリンデがやるべきことは、周囲の視線を恐れることでもビクビクと縮こまることでもなく、ヴェスカルドの婚約者として恥ずかしくない姿を見せることだ。


 ――皆に認めてもらおうと思わなくてもいい。ただ、彼の横に立つ者として相応しい振る舞いを。


 すっと顎を引き、胸を張って。唇に微笑を浮かべたまま、迷いのない足取りで。

 身体の中心に、一本の芯を通して。

 作法の教師から教わったことを余さず思いだし、アストリンデは青い絨毯の上を滑るように歩き始めた。

 もはや、周囲の視線など気にもならなかった。


「皇帝陛下、皇后陛下、並びに皇太子ヴェスカルド殿下のおなりです」


 アストリンデが高座の前に辿り着くのを見計らったかのように、皇帝夫妻とヴェスカルドが姿を現した。

 貴族たちが揃って臣下の礼を取り、アストリンデもまた膝を折って皇帝一家を迎える。


「皆のもの、楽にせよ」


 椅子に腰掛けるなり、皇帝が人々に向かってそう言った。

 皆が元の姿勢に直る衣擦れが一斉に響き、アストリンデも顔を上げる。

 皇帝ダリウス。正に帝国の紅鏡(たいよう)と呼ぶに相応しい、燃えさかるような赤毛の持ち主だ。


 若き頃より武王と讃えられる彼は、その圧倒的な政治手腕によって自国の軍事力を高め、周辺諸国を圧倒してきた。

 四十歳を過ぎてなお磨き抜かれた逞しさは、静謐な夜闇と月光を思わせるヴェスカルドとは正反対の印象だ。


「我が親愛なる臣下たちよ」


 アストリンデが礼を解き、楽な姿勢に戻ったのを見届けてから、皇帝は厳かに口を開いた。


「大地を祝福する恵みの雨が降りそそぐこの佳き日に、皆に誇りと喜びをもって宣言する。こたび、我が息子ヴェスカルド皇太子とパルシア王国の麗しき花、アストリンデ王女が婚約を結ぶこととなった」


 椅子から立ち上がり、貴族たちを満遍なく見渡しながら、皇帝は続ける。


「――諸君らも知っての通り、我がゼファーは代々強き武の道を歩んできた。民の忠実さは国を守る盾、勇猛さは敵を退ける剣となり、幾多の試練も乗り越えてきた。しかし、強き時代は武のみでは築けぬ」


 決して、大きな声というわけではない。しかし凜としたその声は、不思議と雨音をかき消すかのような力強さに満ち、人々の耳を打った。


「パルシアは小さくとも、その地に眠る神秘の鉱石は我が帝国の力となり、新たなる時代を切り拓く鍵となろう。そして彼の国との堅き同盟、血によって結ばれた尊き絆こそが、帝国の永きにわたる繁栄をもたらすのだと。余はそう信じておる」


 皇帝の真摯な言葉に、この場に集まった貴族たちが心を打たれているのがわかる。アストリンデはこれまで何度かダリウス皇帝と言葉を交わしたことはあるが、ほんの挨拶程度であり、彼の人となりが見えるものではなかった。


 もちろん、大国の長を務めるにあたって、並大抵ではない実力や素質が必要であることを頭ではわかっていた。

 しかし、こうして実際に彼の言葉を聞いてみると、なるほど。確かにそこには人の上に立つに相応しい威厳と、皇帝としての圧倒的な器が感じられる。


「皆、祝杯を挙げよ。余はここに、皇太子ヴェスカルドとアストリンデ王女の婚約を祝し、両国の永遠の友好と繁栄に務めることを誓う。――ヴェスカルド、アストリンデ王女の側へ」


 父帝から促され、ヴェスカルドが高座を降りてアストリンデの側までやってくる。恭しく差し出された彼の手をアストリンデがそっと取るのを見届けてから、皇帝は侍従から受け取ったグラスを高く掲げた。

 貴族たちもそれに倣い、それぞれ自分の目の前に用意されたグラスを手に取る。


 先ほどまでアストリンデに鋭い視線を向けていた貴族も、今や希望と喜びに満ちた表情でグラスを掲げる。それほどに、皇帝の言葉には『力』があった。


(よかった……。ひとまず、お披露目は成功したみたい)


 和やかな雰囲気の中、アストリンデはそっと胸を撫で下ろす。


「強き鋼鉄の国ゼファーと、輝ける鉱石の国パルシアの栄光に。若き皇太子と王女の未来に――」


 予想外の事が起こったのは、皇帝が今正に「乾杯」と口にしようとしていた、その時だった。


 ――ガラガラ、ピシャーンッ!!


 それまでの祝福の雰囲気を帳消しにするかのような、地を割るほどの雷鳴が轟き、白く眩しい閃光が窓から差し込んだのだ。

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