11.救いの手
両親がはっと息を呑む音が聞こえた。
アストリンデもまた、神経を研ぎ澄ましてヴェスカルドの言葉の続きを待つ。
「元より我が父は貴国に、アストリンデ王女と私との縁談を打診するつもりでおりました。王女がまだ幼いこともあり、数年先と思っておりましたが――ザハル・カルナが動いた以上、悠長に構えているわけにもいきません」
深いため息。
やがてヴェスカルドは、重々しい声で続ける。
「縁談が成立すれば、我が父は貴国を庇護する心づもりでいます。ただ……」
「条件があるのだろう。遠慮なく言ってくれ」
言いよどむヴェスカルドを、父が促す。
逡巡する気配の後、ヴェスカルドは少し言いづらそうに告げた。
「我が国に対するティティア鉱石の輸出を増量することを承諾いただきたいのです」
室内に、わずかな沈黙が落ちた。
ティティア鉱石。
あらゆる動力の源となる、この大陸で唯一無二の貴重な資源。小国パルシアを経済的に支える、まさに要だ。
それがどれほどの価値を持つものか、父はよく知っているはずだ。
「……承知している」
だが、父の返事は迷いがなかった。
「我が国には、世継ぎとなる王子がおらぬ。ゆえにいずれは長女のジルヴェナが女王として、この国を背負って立つことになるだろう。アストリンデの縁談は、我が国を守るために結ぶと決めていた。対価を伴うことなど、織り込み済みだ」
前の人生でも、アストリンデはゼファー帝国に庇護を求める代わりに、大量のティティア鉱石を輸出する契約を結び、ヴェスカルドの婚約者となった。
あの時はまだ精神的に幼く、父に捨てられたような気持ちになったものだが――。
「大国の庇護と引き換えにティティアを差し出すこと自体に、異論はない。だが、それだけならば、アストリンデをザハル・カルナに託そうと、ゼファーに託そうと同じことだ。いや――むしろザハル・カルナのほうが好条件とも言える」
魔法大国と軍事大国という違いはあれど、ザハル・カルナもまた、ゼファーに勝るとも劣らぬ大国だ。
その上、あちら側からの希望ともなれば、パルシアにとって有利な条件で縁談を進められることは間違いない。
「ですが――陛下は、迷っておられる。アストリンデ王女を、政の道具としてかの国に差し出していいものか」
「貴殿もご存じのことだろう。ザハル・カルナでは女性の地位が低く、夫が妻を殴ることなど日常茶飯事だと聞く」
「……はい。存じております」
「王ではなくひとりの親として、そのような国に娘を嫁がせたくはない」
静かな、けれど確固たる意思を秘めた言葉に、アストリンデの胸が熱くなった。
前の人生では勝手に、捨てられた気持ちになっていた。
姉のように優秀ではないから、自分は要らない子だったのだと考えたことさえあった。
だけど父はこんなにも、自分のことを考えてくれていたのだ。
浅はかだった自分を恥じる気持ちと、父への感謝で胸がいっぱいになる。
そんなアストリンデの耳に、ヴェスカルドの声が響く。
「我が国もまた、決して理想郷ではありません。異国に嫁ぐ以上、相応の不自由も伴うでしょう。ですが少なくとも、アストリンデ王女を害することはありません」
「ヴェスカルド殿……」
「危険から逃すためとはいえ、これは王女の意を無視した婚姻です。ゆえに私は――王女が我が国に嫁がれるのであれば、必ずその御身をお守りいたします」
飾り気のない、少し不器用にも思える言葉。皇子としてというより、ひとりの人間としての言葉だった。
だからこそ、それが政を抜きにした彼の本心だとわかる。
(昔から変わらず、優しい人)
まだアストリンデは、彼にとっては出会ったばかりの他人でしかない。
それでも、不幸な結婚をさせまいと手を差し伸べてくれる。
その真心が、父にも伝わったのだろう。
彼は深く長いため息をつくと、静かに口を開いた。
「……魔法使いたちは減り、防御壁は崩れつつある。この国もザハル・カルナも、いつまで魔法に縋れるかわからない。魔法は――恐らく近い将来、消えゆくだろう」
近親婚で魔法使いの血統を維持してきたとはいえ、ザハル・カルナの王族はその血の濃さゆえに短命だと聞く。
父の推測は恐らく、間違ってはいない。
「だが、ゼファー帝国は違う。剣と規律で国を支えてきた、未来ある国だ」
天蓋布の向こうで、父がヴェスカルドに手を差し出すのが見えた。
「貴殿になら、安心して娘を任せられる。どうか、アストリンデを――あの子を、守ってやってくれ」
「もちろんです」
父とヴェスカルドの手が、固く握り合う。
こうして、アストリンデとヴェスカルドの縁談は正式に動き出した。
――運命を、大きく変えながら。




