第五十三章 本部の奥へ
廊下は思ったより複雑だった。
曲がり角が多く、階段が何度も現れる。ヴェロニカが先頭に立って迷いなく進んでいく。ソーンの情報網が掴んでいた間取りを、完全に頭に入れているらしい。
「右に曲がると大広間がある。迂回する」
「兵士は?」
「この時間は少ない。ただ奥に近づくほど増える」
廊下の角を曲がった瞬間、兵士と鉢合わせした。
三人。
声を上げる間もなかった。カリナの鞭が走り、ヴェロニカが素早く動いた。ミカは銀鞭を振った。聖魔術は使えないが、鞭の重みと速さは変わらない。三人が音もなく床に伏した。
「さすがじゃ」カリナが小声で言った。
先へ進む。
石の廊下が続く。松明の間隔が広くなって、影が濃くなっていく。空気が変わってきた。古い石の匂いに混じって、何か嫌な気配が滲んでいる。
「呪具の匂いがする」
ミカが言うと、ヴェロニカが頷いた。
「地下に製造施設がある。ここから近い」
「封じの結界の構造点も近いはずじゃな」
カリナが呟いた。
階段を下りた。地下に続く石段で、踏むたびに冷えた空気が上がってくる。松明の灯りが揺れて、壁の影が大きく動いた。
階段を下りきった先に、重い扉があった。
そして扉の前に、十人以上の兵士が並んでいた。
「来ると思っていたよ」
奥から声がした。
老人だった。白い法衣をまとい、杖をついて立っている。穏やかな顔をしていた。怒っているわけでも、慌てているわけでもない。ただ静かに、こちらを見ていた。
大神官ザルフ。
「聖魔術師か。若いな」
「大神官ザルフ」ヴェロニカが静かに言った。「終わりにしましょう」
「終わり?」ザルフは小さく笑った。「私たちは始めようとしているのだよ。邪竜の力で、この大陸を作り直す。腐った王権も、無能な貴族も、全て洗い流して」
「領民を呪具で魔人化させることが、作り直すことですか」
ミカは静かに言った。
ザルフの目がミカを見た。
「必要な犠牲だ」
「違う」
ミカは銀鞭を構えた。
「行くよ」
三人が同時に動いた。
カリナの鞭が前列の兵士を薙ぎ払う。ヴェロニカが素早く側面に回り込む。ミカは真っ直ぐ前へ。銀鞭を振るたびに、光が走る。聖魔術はない。でも体が覚えている。ルクスに叩き込まれた体の動き、カリナに叩き込まれた鞭の使い方。
兵士が次々と倒れていく。
しかし数が多い。三人を囲むように新手が来る。ザルフは動かずに見ている。
「ミカ」
カリナが叫んだ。
「奥じゃ。構造点はあの扉の向こうにある。われとアーティの補助が届いておる、今なら崩せる!」
「分かった!」
ヴェロニカがミカの前に出た。
「私が開ける。行って」
「ヴェロニカさん!」
「私の隣にいてと言ったのは私よ」ヴェロニカは振り返らずに言った。「あなたが構造点を崩して、結界を解除して、それからまた私の隣に戻ってきなさい」
ミカは一瞬だけ迷った。
でもヴェロニカの背中は揺るぎなかった。アーティの炎がどこかで燃えているのを感じる。カリナが鞭で道を作っている。
「必ず戻ります」
走った。
重い扉に銀鞭を叩きつけた。鍵が弾け飛ぶ。扉が開く。
部屋の中央に、黒く輝く柱があった。
呪具が積み重なって作られた柱だ。その周囲に結界の光が幾重にも巻きついている。これが構造点だ。
ミカは銀鞭を握った。
聖炎を呼ぼうとした。来ない。まだ封じられている。でも。
トフィーの念話が届いた。
『バナージュとアーティが外から押してる。あと少し、ミカ』
あと少し。
ミカは目を閉じた。
聖炎じゃなくていい。銀鞭でいい。ルクスに教わった全ての力を込めて、この一撃に。
目を開けた。
銀鞭を大きく振りかぶった。
「はあっ!」
鞭が柱に叩きつけられた瞬間、黒い光が弾けた。結界の光がひび割れていく。亀裂が走って、広がって。
崩れた。
同時に、封じの結界が解けるのを感じた。
聖炎が来た。
髪が銀白に染まる。瞳が銀色に変わる。銀鞭に炎が灯った。
「ミカ!」
ヴェロニカの声が扉の向こうから聞こえた。
駆け戻った。
部屋に飛び込むと、ヴェロニカとカリナが兵士たちを押さえていた。その奥で、ザルフが黒い呪具を手にしていた。
「やはり聖魔術師か」ザルフは静かに言った。「ならば」
呪具が砕けた。
黒い靄が膨れ上がる。ザルフの体が歪み始める。
「させない」
ミカは駆けた。
靄が完全に広がる前に、銀白の炎を纏った鞭を振った。
「ホーリーフレイムウィップ」
炎がザルフを包んだ。黒い靄が内側から崩れていく。ザルフが膝をついた。呻き声が上がる。靄が剥がれて、剥がれて。
消えた。
ザルフが床に倒れた。
白い法衣をまとった老人が、静かに横たわっている。呼吸している。生きている。
部屋が静かになった。
ミカはゆっくりと息をついた。銀白の炎が静まっていく。髪と瞳が、黒に戻っていく。
「終わった」
カリナが小さく言った。
ヴェロニカがミカの隣に並んだ。
「お疲れ様」
「ヴェロニカさんこそ」
二人でザルフを見下ろした。
その時、上から光が差し込んだ。
外だ。バナージュとアーティが結界を完全に崩したらしい。石の天井の隙間から、夜明けの光が細く差し込んでいた。
朝が来ていた。
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