第五十二章 三重の結界
夜明け前の森は、息を潜めたように静かだった。
焚火を消して、六人が動き出した。足音を殺して木々の間を進む。アリーシャがいないのに、全員が自然と無言になっていた。それだけで、場の空気が違う。
山の入り口が見えてきた。
石造りの門柱が二本、街道の脇に立っている。巡礼地の入り口を示す標識があるが、その向こうに兵士が二人、槍を持って立っていた。
ヴェロニカが手で全員を止めた。
「感知の結界はここから始まっている。踏み込んだ瞬間に感知される」
「バナージュ」
「分かっておる」
バナージュが低く唸った。薄紫の瞳が結界を見つめる。しばらく無言だった。
「外側の感知系は……単純な構造じゃな。ほどくのに時間はかからん」
「どのくらい?」
「すぐじゃ」
バナージュの爪が空中をゆっくりと動いた。目には見えないが、何かが変わっていくのをミカは感じた。空気の質が、少しずつ変わっていく。
やがてバナージュが息をついた。
「外側は消した。次じゃ」
「速い」
「当然じゃ」
中層の防御系は少し時間がかかった。バナージュとアーティが並んで、無言で結界に触れていく。アーティのイモータルフレイムが指先に小さく灯り、結界の隙間を探るように動いた。
ミカはその様子を見ながら、銀鞭を握り直した。トフィーが肩の上で静かにしている。
十分ほど経って、アーティが振り返った。
「中層、崩れた」
「残りは内側の封じの結界だけか」ヴェロニカが静かに言った。「それはどうする?」
「内側は外から崩すのが難しい」バナージュが唸った。「構造が複雑じゃ。完全に崩すには中から触れる必要がある」
「つまり」
「お前たちが中に入ってから崩す。われとアーティが外から補助する」
ミカはヴェロニカと目を合わせた。
「封じの結界が残ったまま中に入る、ということですね」
「そうじゃ。聖魔術は使えなくなるかもしれん。だが」バナージュはミカをまっすぐ見た。「中の構造点を一つ壊せば崩れる。ミカ、お前の銀鞭なら届くはずじゃ」
「分かった」
ミカは頷いた。
「構造点はどこにある?」
「おそらく建物の中心、一番深いところじゃ。首魁がいる場所と近いはずだ」
ヴェロニカが静かに笑った。いつもの底の見えない笑みだったが、今は少し違う色があった。
「好都合ね。首魁を仕留めながら結界も崩せる」
「一石二鳥だね」
カリナがにこにこしながら鞭を構えた。
「では行くかの」
門柱の脇を抜けた。山道が始まる。石畳が続いて、両側に松明が立っている。まだ夜明け前で、空が白み始めたばかりだ。
「警備が来る」
ヴェロニカが低く言った。
足音が聞こえてきた。松明を持った兵士が二人、山道を降りてくる。交代の時間らしい。
カリナの鞭が鳴った。
一瞬だった。二人が音もなく倒れた。
「進むよ」
カリナが涼しい顔で言った。
山道を登っていくにつれて、建物が見えてきた。石造りの大きな建物だ。教会というより要塞に近い。窓が少なく、壁が厚い。あちこちに見張りの影がある。
「東側に通用口がある」ヴェロニカが言った。「ソーンの情報網が掴んでいた。鍵は」
「任せて」
ミカは銀鞭を細く伸ばした。鍵穴に差し込んで、形を変える。かちりと音がした。
「相変わらず便利じゃのう」
カリナが感心したように言った。
扉が開いた。
内部は薄暗く、石の廊下が続いていた。松明の灯りが壁を照らしている。どこかで人の声がする。
ミカは聖魔術を呼ぼうとした。
来ない。
やはり封じられている。でも銀鞭の重みは変わらない。手の中に確かにある。
「聖魔術、封じられてる」
「承知の上よ」ヴェロニカが囁いた。「構造点まで辿り着けば解除できる。それまでは各自の力で動く」
三人が頷いた。
廊下の奥へ、静かに進み始めた。




