第五十章 決戦の準備
ヴェロニカから報告が届いたのは、エリカの畑にカブの葉が大きく育ち始めた頃だった。
幸運の尻尾亭の一室に、全員が集まった。ルーナが気を利かせてお茶と焼き菓子を置いていってくれた。エリカとココルは隣の部屋で遊んでいる。時々笑い声が聞こえてきた。
ヴェロニカが地図を広げた。
「ジンジュードの首都ジュードリアから北に半日。山に囲まれた場所に教会本部がある。表向きは巡礼地として知られているけれど、実態は狂信者一派の本拠地よ」
「警備は?」
ミカが聞くと、ヴェロニカは地図の一点を指した。
「三重の結界と、百人以上の兵。それと」指がゆっくり動いた。「呪具の製造施設が地下にある。おそらくここが、大陸中に呪具を流していた元凶ね」
「百人か」
カリナが腕を組んだ。
「正面から押すのは難しいのう」
「ええ。だから二手に分ける」ヴェロニカは続けた。「アーティとバナージュが外から結界を崩す。その間にミカとカリナ、私で内部に潜入して首魁を仕留める」
「首魁は誰じゃ?」
「大神官ザルフ。七十を超えた老人だけど、侮れない。長年にわたって禁術を研究してきた者よ」
バナージュが低く唸った。
「結界の質はわれが確認する。崩せないものではないだろうが……時間がかかるかもしれん」
「どのくらい?」
「半刻もあれば十分だ」
「なら、その間に私たちが内部へ」ヴェロニカは全員を見回した。「異論は?」
しばらく沈黙があった。
「一つだけ」
ミカが口を開いた。
「エリカのことは、絶対に守ってほしい。ここを離れる前に、リューグさんたちに頼む」
「もちろんよ」
ヴェロニカは迷わず頷いた。
その時、隣の部屋からエリカの声が聞こえた。
「ミカー!カブおおきくなったよー!」
全員の空気が、一瞬だけ緩んだ。
カリナが笑った。バナージュが視線を逸らした。ヴェロニカも口元をわずかに緩めた。
ミカは立ち上がって、扉を少し開けた。
「後で見に行くね!」
「はやくきて!」
ミカは扉を閉めて、みんなの方を向いた。
「終わらせよう」
誰も何も言わなかった。でも全員が頷いた。
出発の前の夜、ミカは裏庭に出た。
エリカの畑が、月明かりに静かに浮かんでいる。カブの葉が風に揺れていた。隣にはニンジンの小さな芽。端の方には、エリカがどこから拾ってきたのか分からない石が並べてあった。区画の印らしい。
しゃがんで、土に触れた。
温かかった。
「ミカ」
後ろからヴェロニカの声がした。
「眠れないの?」
「少し」
ヴェロニカが隣にしゃがんだ。珍しく、何も纏っていない静かな顔をしていた。
「ヴェロニカさんは?」
「私も少し」
二人でしばらく畑を見ていた。
「エリカが最初に私を呼んだ時」ヴェロニカが静かに言った。「断ろうと思ったのよ」
「そうなんですか」
「ええ。でも結局来てしまった」
「なんで?」
ヴェロニカは少し間を置いた。
「わからないわ。ただ……断れなかった」
ミカは笑った。
「エリカってそういう子ですよね」
「そうね」ヴェロニカはエリカの畑を見つめた。「不思議な子。あの子といると、何か大事なものを思い出す気がする」
それ以上は言わなかった。でもミカには十分だった。
翌朝、幸運の尻尾亭の前に全員が集まった。
夜明けの空が白み始めている。エリカはゾラに抱っこされて、眠そうな目をこすっていた。
ミカはリューグの前に立った。
「エリカのこと、お願いします」
「お任せくだされ」リューグは真剣な顔で頷いた。「拙者の命に代えても」
「そこまでしなくていいですけど」
「いやしかし」
「リューグさん」
「……承知でござる」
アリーシャが無言でミカの隣に並んだ。
「戻ってくるまで、必ず守る」
「ありがとう」
パランがミカの肩を叩いた。
「行ってこい。俺たちはここにいる」
ミカは頷いた。
それからエリカの前にしゃがんだ。
エリカはミカの顔をじっと見た。何かを感じ取っているのか、いつもより少し静かだった。
「ミカ、いく?」
「うん」
「とおい?」
「少し遠いけど、必ず帰ってくるから」
エリカは少し考えた。それからゾラの腕の中から身を乗り出して、ミカの頬に手を当てた。小さくて、土の温もりが残っている手だった。
「まってる」
「うん」
「ぜったいかえってきて」
「ぜったい帰る」
エリカはそれで満足したように、こくんと頷いた。
ミカは立ち上がった。
ヴェロニカがエリカに近づいた。しゃがんで、エリカと目を合わせる。
「エリカ」
「ヴェロニカさま」
「畑、枯らさないでね」
エリカはぱあっと笑った。
「かれないよ!ちゃんとみずやるもん」
「そう」
ヴェロニカは立ち上がった。その横顔が、朝の光の中で柔らかかった。
カリナが空を見上げた。
「さて、行くかの」
バナージュが翼を広げた。アーティの赤と金の髪が風になびく。トフィーがミカの肩に飛び乗った。
『行こう、ミカ』
「うん」
ミカは最後にもう一度振り返った。
エリカが小さな手を精一杯伸ばして、手を振っていた。ゾラが隣で静かに立っている。リューグとアリーシャとパランが並んでいる。ルーナとココルが扉の前で見送っている。
全部、守りたいものだ。
だから行く。
ミカは前を向いた。
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