第四十七章 それぞれの場所へ
ガンドランドの街が見えてきた頃、空はもう夕暮れに染まっていた。
幸運の尻尾亭の扉を開けると、ルーナが顔を上げた。カウンターを拭く手が止まる。
「あら、ミカちゃん。それに……随分と賑やかね」
「色々あって。ルーナさん、お願いがあるんだけど」
事情を話すと、ルーナは迷わず頷いた。
「エリカちゃんのことでしょ。任せて」
奥からココルが飛び出してきた。エリカを見つけた瞬間、目を輝かせる。
「エリカちゃん!」
「ここる!」
二人がぱっと駆け寄って、手を繋いだ。ミカは少し胸が緩んだ。
ゾラがルーナに静かに頭を下げた。
「世話になる」
「いいのよ。ゾラさんもゆっくりしていって」
ゾラは短く頷いた。
ミカはエリカの前にしゃがんだ。
「エリカ、少しの間ここにいてね」
エリカはミカの顔をじっと見た。
「ミカ、いく?」
「うん。でも必ず帰ってくるから。ここで待っててくれる?」
エリカは少し考えた。それからこくんと頷いた。
「まつ」
「ありがとう」
ミカはエリカをぎゅっと抱きしめた。エリカも小さな腕でミカの背中を抱き返してきた。
離れる時、エリカがミカの顔を覗き込んだ。
「はやくかえってきて」
「うん、絶対」
立ち上がって振り返ると、カリナがにこにこしていた。バナージュは視線を逸らしていた。パランは天井を見ていた。
「見てたでしょ」
「見てないでござる」
リューグが即座に答えた。
「行くよ」
ミカは扉に向かった。
街道に出ると、夜風が吹いてきた。
「ソロニスまで急ぐぞ」とカリナが言った。「バナージュ、頼めるかい」
「……今日何度言われると思っておる」
文句を言いながらも、バナージュは翼を広げた。
ミカは南の空を見上げた。ヴェロニカがいる方向だ。
バナージュの背に乗って夜を飛んだ。
星が流れるように後ろへ消えていく。眼下に広がる平野が、月明かりに白く浮かんでいた。ソロニスの大穀倉地帯だ。のどかな景色なのに、その向こうに嫌な気配が滲んでいる。
「見えた」
パランが前方を指した。
遠くに光が上がっていた。赤と金の炎だ。
アーティだ。
「間に合って」
ミカは呟いた。
地上に降りると、戦場の空気が肌を刺した。
教会の拠点を囲む広場に、黒い靄が充満している。その中心で、アーティの炎が揺れていた。押されている。さっきのリセイゴスとは比べ物にならない密度の靄だ。
「アーティ!」
炎の向こうからヴェロニカの声が返ってきた。
「ミカ……来てくれたのね」
いつもの涼やかな声だが、わずかに息が乱れている。ヴェロニカが珍しく息を乱している。それだけで、状況の深刻さが分かった。
靄の中から、それが現れた。
人の形をしていた。かつては。今はもう、人と呼べるものではなかった。体の輪郭が歪み、黒い靄を纏い、目だけが濁った黄金に光っている。
「あれ、相当深く魔人化してる」
カリナが低く言った。
「アーティのイモータルフレイムが押されるくらいに」
「ミカ」
ヴェロニカが静かに言った。その目がまっすぐにミカを見ている。底の見えない瞳が、今は一つのことだけを伝えていた。
頼む、と。
ヴェロニカが人に頼る顔を、ミカは初めて見た気がした。
ミカは一歩踏み出した。
銀鞭を握る。聖炎を呼ぶ。今度は迷わなかった。
髪が銀白に染まっていく。瞳が銀色に変わる。銀鞭に炎が灯った。
「任せてください」
魔人が向かってきた。
ミカは駆けた。アーティの炎をすり抜けて、真っ直ぐに。銀白の炎と赤金の炎が交差した瞬間、辺りが白く輝いた。
「ホーリーフレイムウィップ」
鞭が魔人を捉えた。
銀白の炎が黒い靄を包む。今度は一気に、深くまで。靄が悲鳴のように収縮して、剥がれて、消えていく。
魔人が膝をついた。
そのまま、倒れた。
靄が完全に消えた後、そこには一人の人間が横たわっていた。呼吸している。
広場が静かになった。
アーティがゆっくりとミカの隣に並んだ。赤い瞳が、銀白の炎をもう一度見つめた。
「また会ったね」
「うん、また」
ヴェロニカが近づいてきた。いつもの涼やかな表情に戻っている。でもミカは見てしまった。さっきの顔を。
「助かったわ」
「呼んでくれてよかったです」
ヴェロニカは少し間を置いてから、静かに言った。
「……ありがとう、ミカ」
飾りのない、真っ直ぐな言葉だった。
カリナがにこにこしていた。バナージュが空を見上げていた。パランが口笛を吹こうとして、リューグに肘で突かれていた。
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