第四十章 黄昏のレイウォール
リセイゴスの首都レイウォールが見えてきたのは、夕暮れ時だった。
海に面した街だ。上空から見ると、その美しさが一目で分かった。港を中心に街が扇形に広がっていて、白い建物が夕日を受けて橙色に染まっている。大小様々な船が港に停泊していて、マストが林のように立ち並んでいた。
「おおきい」エリカが呟いた。
「大きいね。海も見える?」
「みえる」エリカが目を輝かせた。「うみ、おおきい」
「後で近くで見ようね」
「うん」
バナージュが街の外れに降りた。アーティが炎の翼をたたんで並んで降りる。
街の外れの、人気のない倉庫街だった。
石造りの倉庫が並んで、潮の匂いが濃い。夕暮れの光が路地に長い影を作っている。
人影があった。
倉庫の陰に、黒いマントを纏った人物が立っていた。
ヴェロニカだった。
隣にはいつものアーティではないが、ソーン家の従者らしい、地味な服装の男が二人いた。ヴェロニカが連れてきた者達だ。
ヴェロニカがミカ達を見た。
一行を順番に見て、最後にエリカで止まった。
エリカがヴェロニカを見た。
赤みがかった栗色の髪、深紅のマント。じっと見た。
「きれいなおねえちゃん」
ヴェロニカが少し止まった。
「……ありがとう」
「エリカちゃんです」ミカが言った。「ヴェロニカさんのことは話してあります」
「そうですか」ヴェロニカがエリカをもう一度見た。「元気そうで良かった」
「うん、げんき」エリカが頷いた。「おねえちゃんは?」
「私も元気です」
「よかった」
ヴェロニカが少し目を細めた。その目が、柔らかかった。
カリナが近づいた。
「無事だったかい、ヴェロニカさん」
「おかげさまで」ヴェロニカが頷いた。「ソロニスの捕縛した指導者から、追加の情報が取れました。ガルド将軍の尋問と合わせると、かなり全体像が見えてきました」
「それは良かったのう。詳しい話は中でしよう」
ヴェロニカが倉庫の扉を開けた。
中は広かった。普段は荷物を保管する場所らしいが、今は空だ。ヴェロニカが事前に手配していたらしく、ランタンが幾つか灯されていた。
全員が中に入った。
リューグがヴェロニカを見て、軽く頭を下げた。
「リューグと申すでござる。迅雷の二つ名で知られておるでござるよ」
「ソーン家のヴェロニカです」ヴェロニカがリューグを見た。「迅雷のリューグ、名前は存じています。ソーン家の記録にあります」
「ほう、それは光栄でござるな」
アリーシャがヴェロニカの隣に来て、静かに頭を下げた。
「アリーシャです」
「疾風の忍び」ヴェロニカが言った。「あなたの記録もあります」
アリーシャが少し目を丸くした。普段ほとんど表情が変わらない人だが、それは驚いた顔だった。
「ソーン家の記録は広いですね」
「百年以上集めてきた記録ですから」
ゾラがヴェロニカの前に立った。
「ゾラだ」
ヴェロニカがゾラを見た。
「ゾラ殿。ルクスの元同僚と聞いています」
「そうだ。ソーン家の当主に会うのは初めてだ」
「お初にお目にかかります」ヴェロニカが静かに言った。「エリカの保護、ありがとうございました」
「当然のことをした」
「それでも」ヴェロニカが少し間を置いた。「ありがとうございます」
ゾラが短く頷いた。
エリカがヴェロニカのマントの裾を、そっと引いた。
ヴェロニカが視線を下げた。
「なに?」
「おねえちゃん、つめたい?」
「冷たい?」
「なんか、つめたそう」エリカが言った。「でも、あったかいかも」
ヴェロニカが少し黙った。
アーティが静かに微笑んだ。
「エリカちゃんは正しいですよ」アーティが言った。「ヴェロニカ様は冷たそうに見えて、温かい方です」
「アーティ」
「事実です」
ヴェロニカが小さく息をついた。エリカがまだマントの裾を握っていた。
ヴェロニカがゆっくりしゃがんだ。
エリカと目が合った。
「温かいかどうかは、もう少し一緒にいれば分かりますよ」
エリカが頷いた。
「うん。いっしょにいる」
ヴェロニカが少し止まった。
それからゆっくりと、エリカの頭に手を置いた。
癖毛をそっと、一度だけなでた。
立ち上がって、咳払いをした。
「では作戦会議を始めましょう」
カリナがその様子を見て、静かに笑った。ミカも笑った。
アーティの目が、温かかった。
ヴェロニカが地図を広げた。
レイウォール王宮の見取り図だった。詳細な図だ。ソーン家の情報網で手に入れたものらしい。
「王宮の東棟、三階に国王が幽閉されています」ヴェロニカが指で示した。「警備は貴族派の兵士が三十人ほど。交代制で、深夜が手薄になります」
「深夜に動くということですね」
「そうです。地下水路がここから入れます」ヴェロニカが別の箇所を指した。「港の端、この石壁の下に入口があります。水路を進むと王宮の地下に繋がっています」
リューグが地図を覗き込んだ。
「国王を解放したとして、その後は?」
「国王が動ければ、王宮内の正規の兵士が従います。貴族派の兵士は少数ですから、数で押せる」
「貴族派が抵抗したら」
「そこは実力で対処するしかありません」ヴェロニカが静かに言った。「ただし国王の身の安全が最優先です。解放する前に騒ぎになれば、国王が盾に使われる可能性があります」
バナージュが言った。
「静かに動く必要があるということだ」
「そうです」
アリーシャが口を開いた。
「水路の偵察は私が向いています」
「お願いできますか」
「行ってきます」アリーシャが立ち上がった。「一時間で戻ります」
音もなく扉から出ていった。
ゾラが地図を見ながら言った。
「教会の一派はどこにいる」
「王宮内に三人、街の中に五人が確認されています」ヴェロニカが答えた。「国王解放と同時に、街の中の者を抑える必要があります」
「手が足りるか」
「ギリギリですが、足ります」ヴェロニカが一行を見回した。「皆さんがいれば」
カリナが頷いた。
「役割を決めよう。水路から王宮に入るのはミカ、アリーシャ、ヴェロニカ。国王の解放が目的じゃ」
「バナージュとアーティは外から王宮を押さえる」バナージュが言った。「われたちが外にいれば、貴族派は外に出られない」
「リューグとゾラは街の中の教会の者を抑える」カリナが続けた。「わしはどちらにでも動ける場所に待機する」
「エリカちゃんは」ミカが言った。
全員が少し止まった。
エリカが床に座って、倉庫の石の床を指でなぞっていた。石の感触を確かめている。
「ここで待っていてもらうしかないのう」カリナが言った。「ヴェロニカさんの従者に頼むか」
エリカが顔を上げた。
「いかないの?」
「エリカちゃんは危ないから、ここで待っていてね」
エリカが少し考えた。
「わかった」エリカが頷いた。「まってる」
「いい子だね」
「うん」エリカが頷いた。それからゾラを見た。「おじちゃんも、いく?」
「行く」
「かえってくる?」
「帰ってくる」
エリカがゾラをじっと見た。
「ほんと?」
「本当だ」
エリカが頷いた。
「わかった。まってる」
ゾラが短く頷いた。その顔が、少し険しくなっていた。エリカに心配をかけたくない、という顔だ。
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『みんな、帰ってこないといけないね』
「うん。絶対帰ってくる」
一時間後、アリーシャが戻ってきた。
「水路、確認しました。通れます。ただ途中に一か所、警備がいます。二人です」
「抑えられますか」
「声を出させなければ問題ありません」
「では深夜に動きます」ヴェロニカが言った。「それまで休んでおいてください」
各自が思い思いの場所に座った。
エリカがミカの隣に来て、もたれかかった。
「おねえちゃん」
「なに?」
「こわい?」
ミカは少し考えた。
「少し」
「そっか」エリカが言った。「でも、だいじょうぶ」
「どうして?」
「みんな、いるから」エリカが周囲を見た。カリナ、バナージュ、トフィー、リューグ、アリーシャ、ゾラ、ヴェロニカ、アーティ。「いっぱい、いる」
ミカはエリカを見た。
六歳の子が言う言葉とは思えなかった。でも確かにそうだった。
「そうだね。いっぱいいるね」
エリカがにっこりした。
声のない、顔全体の笑いだ。
ランタンの灯りが、倉庫の中を温かく照らしていた。
外から潮の匂いが漂ってきた。
深夜まで、あと少しだ。
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