第二十八章 銀の兆し
谷間に、静寂が戻っていた。
四つの呪具を外し終えて、ミカは台座に手を当てた。
状態はひどかった。エルフの里でも、ジンジュード北部でも経験したことのない暗さだ。紋様が完全に黒く塗り潰されて、光の気配がほとんどない。かろうじて残っている温もりを、手のひらで感じ取るのがやっとだった。
「できるかな」
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『できるよ』
深呼吸した。
目を閉じて、体の奥から光を引き上げようとした。
いつもの場所には、もう力が残っていなかった。二か所の封印補強と戦闘で、使い切っていた。
もっと深く。
意識を沈めた。今まで届いたことのない場所へ。
そこに、何かがあった。
温かくて、澄んでいて、広い。普段使っている聖魔術の光とは質が違う。もっと根本的な、原初のような光だ。
触れた瞬間、体の中で何かが開いた。
光が溢れてきた。
台座に流し込む。紋様が震えた。黒ずんだ表面が、銀白の光に押し流されていく。
どのくらい経ったか分からなかった。
気づいた時には、台座の紋様が輝いていた。今まで見た中で、一番強い光だった。
「……できた」
ふらついた。バナージュが肩を支えた。
「無理をするな」
「大丈夫です」
カリナが静かに言った。
「嬢ちゃん」
「なんですか」
「自分の手を見てみな」
ミカは手のひらを見た。
銀色に輝いていた。
淡く、でも確かに。月の光を内側に溜め込んだような、銀白の輝きだ。
慌てて髪を掴んだ。いつもの黒い髪が、指の間で銀色に光っていた。
「え、なんで」
「落ち着きな」カリナが穏やかに言った。「体に変なところはあるかい」
「ないです。むしろ澄んでる感じで」
「痛みは」
「全然」
「では問題ない」
バナージュが静かに言った。
「聖魔術師の力が、深みに触れた時に起きる現象だ。神話の書に記されておった。力を大きく使った時、外見に滲み出ることがある」
「こうなること、知ってたの?」
「可能性は考えておった。今日引き上げた力は、今までとは違っていた」
カリナが腕を組みながら言った。
「銀の兆しと呼ばれる現象じゃよ。わしも文献で一度だけ読んだことがある」
「戻りますか」
「すぐに戻るじゃろ。ただ」カリナがミカをまっすぐ見た。「今後、聖魔術を使う時はこうなると思っておきな」
「毎回?」
「深い力を使う時はな。普段の聖魔術では出ないかもしれん。でも今日みたいに力の底まで引き上げた時は、おそらく出る」
ミカはもう一度手のひらを見た。
輝きが少しずつ薄れていく。髪も、元の黒に戻っていく。
消えた。
また黒髪黒瞳のミカに戻っていた。
トフィーが鞄から顔を出した。
『……きれいだった』
「驚かないの?」
『驚いてるけど、きれいの方が先に来た』
「トフィーらしいね」
バナージュが前を向いたまま言った。
「よく似合っておった」
「似合うとかそういう話じゃないんだけど」
「事実を言っただけだ」
カリナがくすくすと笑った。
「黒髪黒瞳のままの時と、銀色の時と、両方あるのは面白いのう。普段は黒、力を使えば銀。そういう聖魔術師だったということじゃ」
「師匠は黒髪でしたよね」
「ルクスは聖魔術師ではなかったからのう。お前はお前じゃよ」カリナが静かに言った。「ルクスの弟子で、レイの子で、でも誰でもないミカじゃ」
ミカは少し胸が温かくなった。
「ミカ…」
「レイから貰った名前じゃろ。大事にしな」
捕縛された三人の男たちが、台座の光を見ていた。さっきまで黒く澱んでいた紋様が、今は銀白に輝いている。その変化を、誰も言葉にしなかった。
ミカは台座に向けてもう一度、小さく頷いた。
守れた。今日も。
「行こう」
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