第二十四章 二日間の考察
エルフの里に戻ると、クレアマシスが専用の研究室に案内してくれた。
棚に本が並んで、机の上に魔術道具が整然と並んでいる。クレアマシスが封じた呪具を机の中央に置いて、すぐに作業を始めた。
「食事と寝る場所は用意します。二日間、ゆっくりしていてください」
「ありがとうございます」
「ミカさんは無理をしないように。封印の補強で相当力を使ったはずです」
「分かりました」
クレアマシスが研究に入ると、部屋が静かになった。ミカたちは里の客室に案内された。
一日目の夜、ミカとカリナは客室の縁側に並んで座っていた。
エルフの里の夜は静かだった。虫の声も少なくて、木々がかすかに揺れる音だけが聞こえる。空に星が多い。ガンドランドの夜とは全然違う。
カリナが夜空を見上げながら言った。
「封印の補強、うまくやったのう」
「でも完全じゃなかったです」
「初めてやったにしては十分すぎるじゃろう。クレアマシスも驚いておった」
「あの人が驚くのって珍しいですね」
「珍しい。表情に出にくい人じゃからな。でもあの目は驚いておった」カリナが笑った。「嬢ちゃんはいつもそういうことをする」
「そういうこと、って」
「周りの予想を少し超えてくる」
ミカは夜空を見た。
「残り三か所、どう動きますか」
「そのことを話しておきたかった」カリナが膝の上で手を組んだ。「一か所ずつ回るとして、次はどこが良いと思う?」
「バナージュが言ってた方角だと、ジンジュード北部の山岳地帯と、ギエルとジンジュードの国境付近と、ソロニス南部ですよね」
「そうじゃ」
「ソロニスは遠い。ジンジュードは二か所近い」
「ならジンジュードから動くのが効率がいい。それにジンジュードにはわしの知り合いがいる。現地で動きやすい」
「カリナはジンジュードに住んでたんでしたっけ」
「今も拠点はそこじゃよ。たまにしか帰らんが」カリナが苦笑した。「ルクスが死んだ後、嬢ちゃんのことが気になってガンドランドに来てしまったからのう。すっかり長居になった」
ミカは少し驚いた。
「私のために来てたんですか」
「レイの子がどうしているか、気になるのは当然じゃろ」カリナが軽く言った。「まあ来てみたら、えらいことになっておったが」
「えらいこと」
「邪竜の封印が崩れかけておる話じゃよ」カリナがミカを横目で見た。「嬢ちゃんがいなければ、もっと気づくのが遅れておったかもしれんな」
ミカは少し考えた。
「でも私が動いたのは、トフィーが来てくれたから。バナージュに会えたのも、クレアマシスに習えたのも、全部繋がってる気がして」
「繋がっておるよ」カリナが静かに言った。「ユミルファ様が動かしておるのかもしれんし、ただの偶然かもしれん。でもどちらにしても、繋がっておることは確かじゃ」
しばらく二人で黙って、夜空を眺めた。
「カリナって、転移してきた時、怖くなかったんですか」
「怖かったよ」カリナがあっさり答えた。「何も分からない世界に一人でいきなり放り込まれて、言葉も分からん、知り合いもおらん。怖かった」
「でも今は全然そう見えない」
「百年以上経てば慣れる」カリナが笑った。「レイもそうじゃったよ。最初はひどく怯えておったが、少しずつ慣れていった。強い子じゃった」
「母はどんな人でしたか」ミカは聞いた。以前にも聞いたが、もう一度聞きたかった。
「真っすぐな人じゃった。怖くても前に進む人じゃった」カリナがミカを見た。「嬢ちゃんに似ておる」
ミカは黙った。
似ている、と言われるたびに、会ったことのない人が少し近くなる気がした。
「ありがとうございます」
「礼はいらんよ」
二日目の昼前、バナージュが地図を広げて一人で考えていた。
ミカが隣に座った。
「何を考えてるの」
「残り三か所の位置だ」バナージュが地図を指した。「ジンジュード北部の山岳地帯はここ。国境付近はここ。ソロニス南部はここ」
「遠いね、ソロニス」
「一番遠い。しかし一番弱まっているかもしれない。距離があるほど手が届きにくいからな」
「どの順番で回る?」
「ジンジュードの二か所を先に片付けて、最後にソロニスだ。ソロニスは遠い分、時間がかかる。先に近いところを固めた方がいい」
「ジンジュードに入る時、問題ないですか。よその国だし」
「カリナが現地に伝手を持っておる。それに冒険者の立場があれば、ある程度動ける」
「そうか」ミカは地図を眺めた。「ジンジュードって、どんな国ですか」
「軍事国家じゃ。兵士が多くて、街が整然としておる。エルフの里やガンドランドとは全然雰囲気が違う」バナージュが静かに言った。「カリナが長く住んでおるのが少し意外だったが、あの人は何処にいても馴染むからな」
「バナージュってジンジュードに行ったことある?」
「ない。守護者はクリスタルマウンテンを離れないのが本来の姿だからな」バナージュが少し間を置いた。「今回が初めての遠出だ」
「そうだったんだ」ミカは少し驚いた。「不安とかある?」
バナージュが鼻を鳴らした。
「クリスタルドラゴンに不安という感情はない」
「でも初めての場所でしょ」
「……うるさい」
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『少しはあるんじゃない?』
「ウサギは黙っておれ」
『トフィーって呼んでくれたら黙る』
「……黙らなくていい」
ミカは笑いをこらえながら地図に目を戻した。
二日目の夕方、クレアマシスが研究室から出てきた。
その顔が、珍しく険しかった。
全員が集まった。
クレアマシスが封じた呪具を机の上に置いた。
「分かったことをお伝えします」
「なんですか」
「この呪具、ガンドランドで見つかったものと製造元が同じです。紋様の構造が完全に一致しています」クレアマシスが静かに続けた。「そして製造に使われた技術は、古代の禁術に基づいています。現代でこれを作れる者は極めて限られる」
「教会ですか」
クレアマシスがミカを見た。
「教会の中に、古代禁術を研究している一派があります。私も噂として聞いていましたが、これを見て確信しました」
「やはり教会か」カリナが低く言った。
「ただし教会全体ではないと思います。これは組織の中の一部が独自に動いているものと見ます。表の教会はおそらく知らない」
「知らない、か」バナージュが腕を組んだ。「それは厄介だな。組織の表を叩いても意味がない」
「どうすれば芋づる式に辿り着けますか」
「呪具の配置者を捕らえることです」クレアマシスが答えた。「現場で配置した人間が必ずいます。その人間を捕らえて話を聞ければ、組織の上に繋がれる」
「次のジンジュードで、配置者ごと捕まえる」
カリナが静かに言った。その目が、いつもの飄々とした感じとは少し違った。
「それが一番早い」
ミカは頷いた。
呪具を回収するだけでなく、配置した人間を捕らえる。一段階、難しくなった。でもやることは変わらない。
「明日、出発します」
クレアマシスがミカを見た。
「気をつけてください。配置者がいるということは、監視者もいる可能性があります。呪具に近づいた時に気づかれるかもしれない」
「罠の可能性もあるということですね」
「否定できません」
バナージュが立ち上がった。
「罠であろうと関係ない。われがいる」
その言葉が、妙に頼もしかった。
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『頼もしいね、バナージュ』
「当然だ」
『素直に受け取るんだね』
「褒め言葉は受け取る」
カリナがくすくすと笑った。
ミカも笑った。
クレアマシスが珍しく、口元を少しだけ緩めた。
翌朝、エルフの里の入口にクレアマシスが見送りに来た。
「また来ます」ミカが言った。
「待っています」クレアマシスが答えた。「次に来る時は、良い報告を持ってきてください」
「必ず」
バナージュが竜の姿に戻った。ミカとカリナが背中に乗る。
「クレアマシス」
ミカが上から呼びかけると、クレアマシスが顔を上げた。
「ありがとうございました。二回目も」
クレアマシスが静かに頷いた。
その顔が、初めて会った時より少し柔らかかった。
翼が羽ばたいた。
エルフの里が小さくなっていく。緑の森が広がって、その奥に里が溶け込んでいく。
ジンジュードへ。
空が青かった。
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