第二十章 出発の準備
出発の三日前、ミカはガンドランドの鍛冶屋通りを歩いていた。
隣にはカリナがいる。
「装備を整えるならゴルドじいさんの店が一番じゃよ。鑑定だけでなく、装備の調達も任せられる」
「前に素材を売りに行った店ですね」
「そうじゃ。あのじいさんはドワーフの中でも腕利きでな、素材の目利きだけでなく、装備の良し悪しも分かる」
鍛冶屋通りは今日も活気に満ちていた。金槌の音と火の粉の匂いが漂って、ドワーフの職人たちが忙しそうに動き回っている。
ゴルド鑑定所の扉を開けると、老いたドワーフが作業台で何かを磨いていた。
顔を上げて、ミカを見て、それからカリナを見た。
「おや、カリナ嬢か。久しぶりじゃないか」
「久しぶりじゃのう、ゴルド。相変わらず元気そうじゃ」
「あんたも相変わらず若いね。羨ましい限りだ」カリナが笑うと、ゴルドはミカに向き直った。「この嬢ちゃん、前にホワイトゴールドディアを持ってきた子だな」
「覚えてくれてたんですね」
「忘れるわけがない。あれ以来、話の種になっとるよ」
ミカは少し照れくさくなった。
「今日は装備を整えたくて来ました。革鎧と身の保護具、それと動きやすい服が欲しいんですけど」
「どんな戦い方をするんだい」
「近接と中距離を組み合わせます。動きやすさを優先したいです」
ゴルドが顎髭を撫でながら頷いた。
「なるほどのう。では重い鎧は向かんな。軽くて丈夫な革鎧がいい。動きを殺さない作りのものがある」
ゴルドが奥から幾つか持ってきた。
革鎧は胸当てと背当てが一体になった作りで、脇腹に調整紐がついている。肩と前腕に革のガードが付いていて、動かしても引っかかりがない。
「軽い」
「ワイバーンの革を使っとる。普通の革より強度が三倍はある。それでいて柔らかい」
ミカは腕を動かした。光拳の型をゆっくりなぞってみる。邪魔にならない。鞭を振るイメージをしても、肩回りに余裕がある。
「これにします」
「手甲も合わせるといい。鞭を使うなら手の保護が大事じゃ」
カリナが頷いた。
「そうじゃな。修行で手が鍛えられてきたとはいえ、戦場では違う」
手甲も同じワイバーンの革製だった。指先が出ていて、細かい動作の邪魔をしない。手のひら側は滑り止めの加工がされていて、鞭を握る時にしっくりくる。
「いいですね、これも」
「靴はどうじゃい。今履いてるのは普通の旅靴だろう」
ミカは自分の足元を見た。確かに、特に何もない普通のブーツだ。
「底を強化した山歩き用がある。それでいて軽い。長距離を歩いても疲れにくい作りじゃ」
試しに履いてみると、足への馴染みが全然違った。クッションがしっかりしていて、それでいて底が薄く感じるほど軽い。
「これも」
服はカリナが選んでくれた。
「動きやすさ最優先じゃよ」カリナが棚を眺めながら言った。「でも見た目も大事じゃ。冒険者は見た目で舐められることがあるからのう」
選ばれたのは、濃紺の動きやすい上着と、細身のズボンだった。上着は前合わせで、動いても裾が邪魔にならない丈だ。袖口に細い革のラインが入っていて、装飾にもなっている。
「……なんかちゃんとした冒険者みたいだね」
「当たり前じゃ。ちゃんとした冒険者じゃからのう」
ミカは一式を身に着けて、店の隅の鏡で確かめた。
今まで着ていた庵の生活で使っていた服とは全然違う。軽くて、動きやすくて、それでいてきちんとして見える。
トフィーが鞄から顔を出した。
『似合ってるよ』
「そう?」
『うん。ミカちゃんらしい』
「ミカちゃんらしい、ってどんな感じだよ」
『強そうで、でも嫌味がない感じ』
「褒めてるのかな、それ」
『褒めてるよ』
ゴルドが代金を弾いた。革鎧一式と手甲、靴、服。全部合わせてもホワイトゴールドディアの売却金には全く届かない。財布が全然軽くならなかった。
「お釣りはいらないですよ」
「そういうわけにはいかんよ」
ゴルドはきっちりお釣りを返してくれた。ドワーフの職人気質らしかった。
「ありがとうございました」
「達者でな、嬢ちゃん。また素材を持ってきてくれ」
店を出ると、カリナが目を細めた。
「良い装備が揃ったのう」
「カリナのおかげです」
「わしは選んだだけじゃよ」
二人で鍛冶屋通りを歩きながら、ミカは薬屋に立ち寄った。治癒薬と解毒薬、それと傷薬を補充する。クレアマシスに貰った本に書いてあった配合の薬も、この店で手に入ることが分かった。
帰り道、ミカはふと立ち止まった。
「カリナ」
「なんじゃい」
「出発したら、しばらく帰れないかもしれないですよね」
「そうじゃな。どうした」
「ルーナさんとコ コルに、ちゃんとお別れを言いたくて」
カリナが微笑んだ。
「当然じゃよ。大事なことじゃ」
その夜、幸運の尻尾亭の食堂に全員が集まった。
ルーナが腕を振るった料理が並んだ。羊の煮込み、焼いた野菜、新鮮なパン。ガンドランドに来て初めて食べた、あの匂いだ。
ミカは久しぶりに、思い切り食べた。
ジルワンドも来ていた。珍しく席について、カリナと昔話をしている。バナージュは隅の席に座って、黙って食べている。しかしその皿が、いつの間にか空になっていた。
「バナージュ、おかわりいる?」
「……もらう」
ルーナが嬉しそうに皿を受け取った。
ミカはその様子を眺めながら、ふとこの景色を覚えておきたいと思った。賑やかで、温かくて、みんながここにいる。
ココルが隣に座って、尻尾をくるくる動かしながら聞いた。
「どのくらいで帰ってくる?」
「分からない。でも必ず帰ってくる」
「また絶対って言って」
「絶対」
ミカが即答すると、ココルが尻尾をぶんぶん振った。
「お土産、エルフの里のやつまた買ってきて」
「覚えておく」
「あと、怪我しないで」
「気をつける」
「あとあと、寂しくなったらトフィーに念話して」
「……それはちょっと距離の問題があるかも」
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『近くにいれば届くよ。遠いと難しいけど』
「そういうものなんだね」
ルーナが食後のお茶を持ってきた。ミカの隣に座って、静かに言った。
「気をつけてね。大事なことをしに行くんでしょう」
「はい」
「ミカちゃんがここに来た時、一人で旅をしてきた子がいるって思ったの。でも今は違う」ルーナが周囲を見回した。「こんなに賑やかになった」
ミカも見回した。
カリナとジルワンドが笑っている。バナージュが二皿目を食べている。トフィーがコ コルに撫でられている。
「……私、恵まれてますね」
「そうよ」ルーナが微笑んだ。「だから必ず帰っておいで」
出発の朝は、夜明け前から起きた。
新しい革鎧を着て、手甲をつけて、銀白の鞭を腰に差す。魔法鞄を肩にかけて、師匠の形見の短剣を確かめる。
鏡を見ると、昨日ゴルドの店で見た自分と同じ姿だった。でも今日は、どこか違って見えた。
行く場所が決まっているから、かもしれない。
幸運の尻尾亭を出ると、まだ薄暗い石畳にカリナが立っていた。バナージュも来ていた。
「行くぞ、嬢ちゃん」
「はい」
城門を出て、草原でバナージュが竜の姿に戻った。ミカとカリナが背中に乗る。
翼が羽ばたいた。
ガンドランドが小さくなっていく。幸運の尻尾亭の看板が、朝の光の中に見えた気がした。
クリスタルマウンテンが見えてきたのは、昼前だった。
白銀の頂が、青い空に輝いている。何度見ても、この山は美しかった。
バナージュが麓に降り立って、人型に戻った。
庵は変わらずそこにあった。結界のおかげで、出発前と全く同じ姿を保っている。
師匠の墓に手を合わせた。
「また来ました。今度は邪竜の封印を確かめに行きます」
風が吹いた。
カリナが隣で静かに手を合わせた。何も言わなかった。でもその顔が、師匠への挨拶をしていた。
山道を登り始めた時、バナージュが立ち止まった。
「ミカ」
「なに?」
バナージュが懐から何かを取り出した。
ずっしりとした袋だった。バナージュがミカに差し出す。
受け取ると、重かった。袋の口を開けると、金色の硬貨が詰まっていた。
普通の金貨とは違う。色が深くて、表面に見たことのない紋様が刻まれている。
「これは……」
「古代金貨じゃ」
「古代金貨?」
「暇だったから、クリスタルマウンテンの奥にあるSSランクダンジョンのボスを屠ってきた時のドロップ品じゃ」
ミカは少し固まった。
「……SSランクダンジョンのボスを、暇つぶしで?」
「リッチじゃった。生意気なことをぬかしたので仕留めた」
「生意気なこと、って何を言ったの」
「クリスタルマウンテンの守護者と知らずに、配下になれと言ってきた」
カリナが噴き出した。
「あははは! リッチが守護者に配下になれとは、命知らずじゃのう!」
「うむ。だから屠った」
「それで古代金貨が手に入ったと」
「他にも魔法鞄が手に入った。すでに渡したが」
ミカはそういえばと思い出した。最初にバナージュから渡された、あのくたびれた革袋のことだ。あれもダンジョンのドロップ品だったのか。
「……どうして今頃渡してくれるんですか」
「今まで使う機会がなかった。これから先、金が必要になる場面があるだろう」
「でも古代金貨って、どこで使えるんですか」
「大きな街の両替商に持っていけば、通常の金貨に換えられる。かなりの価値があるはずじゃ」
カリナが覗き込んだ。
「わしも現物は初めて見るのう。古代金貨は遺跡やダンジョンでしか手に入らない代物じゃ。一枚でも相当な価値があるのに、何枚ある?」
ミカが袋を数えると、四十枚ほど入っていた。
「四十枚」
カリナが目を丸くした。
「四十枚……ゴルドじいさんが卒倒するのう」
「受け取っていいの?」トフィーに聞いてから、バナージュに向き直った。「こんなに」
「守護者が宝を持っていても仕方がない」バナージュがぶっきらぼうに言った。「使う者が使えばいい」
「……ありがとう、バナージュ」
「礼はいらん」
「言わせてよ」
バナージュが鼻を鳴らした。でも顔を背けた。
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『照れてる』
「うるさいウサギ」
『今日はウサギで呼んだね』
「状況次第だと何度言えば」
「分かった分かった」カリナが笑いながら山道を歩き始めた。「さあ、行くぞ。封印の確認じゃ」
ミカは古代金貨の袋を魔法鞄に仕舞った。
銀白の鞭を確かめて、クリスタルマウンテンの山道を見上げた。
白銀の頂が、雲の上に輝いていた。
「行こう」
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