第十八章 黒い嵐
鞭の修行が三週間目に入った頃、ジルワンドから呼び出しがかかった。
応接室に入ると、いつもの顔ぶれに加えて、見知らぬ冒険者が二人いた。疲弊した顔をしていて、片方は腕に包帯を巻いている。
「何があったんですか」
ミカが聞くと、ジルワンドが険しい顔で答えた。
「ガンドランドの東、街道沿いの村が魔物に襲われました。規模が今までとは違う」
「どのくらい違うんですか」
「黒い靄を纏った魔物が、十数匹の群れで現れたそうです。しかも種類がばらばらで、ウルフ型、ボア型、リザード型が混在している」
ミカは眉をひそめた。
今まで遭遇した黒い靄の個体は、一匹か二匹だった。十数匹の群れとなると、話が全然違う。
バナージュが低く言った。
「呪具の数が増えておる。あるいは、より強力なものが置かれた」
カリナが腕を組んだ。
「村の被害は?」
「建物が何棟か壊されましたが、村人は全員避難できています。ただ魔物はまだその場に留まっていて、村に戻れない状態です」
「討伐に行きます」
ミカが言うと、ジルワンドが少し間を置いてから頷いた。
「お願いしたい。ただし、無理はしないように。黒い靄の個体には触れないように気をつけて」
「分かってます」
カリナが立ち上がった。
「わしも行くぞ。嬢ちゃん一人では心配じゃ」
「カリナまで」
「弟子の実戦を見届けるのも師匠の仕事じゃよ」
村まではバナージュに乗って飛んだ。
上空から見下ろすと、村の様子が分かった。家屋が数棟、壁や屋根が壊されている。村の広場を中心に、黒い靄を纏った魔物が集まっていた。
上から数えると、十四匹。
「多いね」
トフィーが鞄の中から念話を飛ばしてきた。
『あの靄、前より濃い気がする』
「濃い?」
『色が違う。前に見た時より、黒が深い』
バナージュが低く言った。
「ウサギの言う通りだ。呪具の強度が上がっておる。あるいは数が増えておる」
「降りよう」
バナージュが村の外れに降り立った。人型に戻る。カリナが地面に足をつけて、腰の鞭を確かめた。
ミカは銀白の鞭を取り出した。
手のひらに馴染む感触がある。三週間で、少しずつ自分のものになってきた。
「行きます」
村の入口から広場に向かって進む。魔物がこちらに気づいた。黒い靄が揺れて、赤く光る目がミカたちを見た。
「カリナ、右側をお願いできますか」
「任せな」
「バナージュは後方の個体を」
「分かった」
ミカは真っすぐ前の個体に向かった。
銀白の鞭を振る。
澄んだ音が空気を切って、先端が黒い靄に触れた瞬間、靄が弾けた。前に素手で触れた時とは全然違う。聖銀が靄を払って、魔物の動きが一瞬止まる。
そこに光拳の掌底を叩き込む。
魔物が倒れた。
「一匹」
右側からカリナの鞭の音が連続して聞こえた。乾いた音が三つ重なって、三匹分の靄が散る。
さすがだ、とミカは思いながら次の個体に向かった。
銀白の鞭を振り、靄を払い、光拳で仕留める。その繰り返しだ。
五匹目を仕留めた時、後ろから大きな爆発音がした。
バナージュが竜の姿に戻って、薄紫の光を放っていた。三匹がまとめて靄を払われて、崩れ落ちた。
順調だった。
あと六匹。
その時だった。
群れの中から、一際大きな個体が現れた。
ボア型だ。しかし普通のアイアンボアの倍はある。体全体を覆う黒い靄が、他の個体より明らかに濃い。目が赤く光って、地面を踏みしめた瞬間、石畳にひびが入った。
「あれは……」
カリナが声を上げた。
「呪具を直接取り込んでおる個体じゃ。頭に気をつけな、嬢ちゃん」
「分かりました」
大型個体がミカに向かって突進した。
速い。普通のアイアンボアより格段に速い。ミカは横に跳んで避けた。石畳を爪が削る音がした。
着地と同時に鞭を振る。先端が黒い靄に触れたが、今度は完全には払えなかった。靄が揺れただけで、個体は止まらない。
「靄が濃すぎる……」
もっと強い聖魔術を乗せないといけない。
ミカは魔力を深く引き上げた。クレアマシスに教わった感覚を辿る。体の奥の澄んだ感覚を、鞭全体に流し込む。
鞭が輝いた。
銀白の光が強くなった。今までより明らかに明るい。
もう一度振る。
今度は靄が大きく弾けた。大型個体がよろめいた。
「そこ!」
カリナの声が飛んできた。
ミカは光拳に切り替えた。よろめいた隙に懐に入って、七星光拳を叩き込む。七箇所、的確に。
大型個体が崩れ落ちた。
黒い靄が散って、その場に呪具が落ちた。小さな金属片だ。黒く変色していて、表面に見たことのない紋様が刻まれている。
「これが呪具か」
手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
別の方向から声がした。
トフィーの念話ではなく、バナージュの声だった。
「トフィー!!」
ミカは振り返った。
残っていた個体の一匹が、鞄ごとトフィーを咥えていた。鞄が牙に引っかかって、トフィーが宙に浮いている。
バナージュが竜の姿のまま、その個体に向かって飛んだ。薄紫の光が個体を包んで、黒い靄が一瞬で散った。魔物が崩れ落ちて、鞄がぼとりと地面に落ちた。
バナージュが鞄に駆け寄って、人型に戻りながらトフィーを取り出した。
トフィーは無事だった。金色の目をぱちぱちさせながら、バナージュを見上げていた。
沈黙があった。
それからトフィーが念話を飛ばした。
『……今、名前で呼んだよね』
バナージュの顔が、かすかに動いた。
「……呼んでおらん」
『呼んだよ。はっきり「トフィー」って』
「気のせいだ」
『気のせいじゃないよ。ミカちゃんも聞いてたよね』
ミカは笑いをこらえながら頷いた。
「聞こえました。はっきりと」
「……うるさい」
バナージュがトフィーを地面に下ろして、そっぽを向いた。耳が、かすかに赤い気がした。
カリナが笑い声を上げた。
「あははは! バナージュが照れておる!」
「笑うな」
「いやあ、これは笑わずにおれんわ! クリスタルマウンテンの守護者が、ウサギの名前を呼んで照れておる!」
「カリナ、もう一度言ったら山に帰るぞ」
「はいはい、ごめんごめん」
カリナが笑いを収めながら、目元を拭った。本当に笑い転げていた。
トフィーが静かに、バナージュを見上げた。
『ありがとう、バナージュ』
「……礼はいらん」
「ウサギって呼ばなくてよくなった?」
バナージュはしばらく黙った。
長い沈黙だった。
「……状況次第だ」
「状況次第って」
「うるさい」
ミカは笑いながら、地面の呪具に目を戻した。
「ジルワンドさんに持ち帰った方がいいですね」
「そうじゃな」カリナが隣に来て、呪具を眺めた。「この紋様、見たことがない。どこで作られたものじゃろうな」
「手がかりになりますか」
「なるといいがのう」
村の広場は静かになっていた。黒い靄は全部散って、残っているのは魔物の骸と、石畳の傷跡だけだ。
ミカは銀白の鞭を仕舞いながら、空を見上げた。
夏の空が青かった。
でもどこかに、まだ黒い靄が漂っているような気がした。
「急がないといけないね」
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『うん。でも今日は十分やったよ』
「そうだね」
バナージュが横を歩いていた。トフィーを抱えたまま、ぶっきらぼうに歩いている。
ミカはその様子を見て、また少し笑った。
「バナージュ」
「なんだ」
「トフィーのこと、大事に思ってるんだね」
「……そんなことは言っておらん」
「でも名前で呼んだ」
「状況次第だと言った」
「はいはい」
バナージュが鼻を鳴らした。
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『大事に思われてるって、知ってたけどね』
「知っておったなら黙っておれ」
『やだ』
カリナがまたくすくすと笑い始めた。
バナージュが深いため息をついた。山が揺れるような、大きなため息だった。
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