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銀鞭の魔術師 〜最強魔術士かく戦えり〜  作者: ide


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第十七章 鞭の修行

ガンドランドに戻ったのは、夏も盛りの頃だった。

城門をくぐった瞬間、街の熱気が押し寄せてきた。石畳が陽光を受けて白く輝いて、行き交う人々の声が四方から聞こえてくる。二ヶ月ぶりのガンドランドは、相変わらず騒がしかった。

幸運の尻尾亭の扉を開けると、料理の匂いが出迎えた。

カウンターのルーナが顔を上げて、目を細めた。

「おかえり。待ってたわよ」

「ただいま戻りました」

二階からどたどたと足音がして、ミカは身構えた。

案の定、ココルが飛んできた。

「ミカちゃん!!」

「わっ」

勢いよく抱きつかれて、ミカは一歩後ろに下がった。ふわふわの尻尾が顔に当たる。

「会いたかった! 長すぎだよ二ヶ月!」

「ごめんごめん」

「お土産は?」

「ちゃんと買ってきた」

「やった!」

ルーナが苦笑しながら言った。

「ミカちゃんが帰ってくるって、朝からずっとそわそわしてたのよ」

「ルーナさんまで言わなくていい!」

ミカは笑いながら、鞄からエルフの里で買った蜂蜜菓子を取り出した。ここでしか作られない、花の蜜を固めた飴だ。ココルが目を輝かせた。

バナージュが扉をくぐって入ってきた。ルーナが会釈した。ココルがバナージュを見上げて、ぺこりと頭を下げた。二ヶ月で随分慣れたらしい。

「おかえりなさいませ、バナージュさん」

「うむ」

バナージュの返事は短いが、それがこの人なりの挨拶だとルーナもココルも分かっている。

翌日、ジルワンドに報告に行った。

クレアマシスでの修行の内容、魔法無効化の祝福の発現、エルフ直轄領周辺でも呪具の形跡があること。一通り話すと、ジルワンドは静かに聞いてから、深く頷いた。

「魔法無効化の祝福が完全に発現しているとは、クレアマシス殿も驚かれたでしょう」

「すごく珍しそうにしてました」

「当然ですよ。神話に由来する祝福が現代に発現するなど、滅多にない話です」

「それと、カリナに鞭を教わることになりました」

ジルワンドが少し目を丸くした。

「鞭、ですか」

「聖銀で鞭を作って、聖魔術を乗せようと思って。カリナのデモンストレーションを見て閃いたんです」

ジルワンドはしばらく考えてから、静かに言った。

「……なるほど。光拳の間合いと鞭の間合いを組み合わせる、ということですね」

「そうです」

「面白い発想だ」ジルワンドが苦笑した。「ルクスの弟子が、カリナの弟子にもなるとは。銀嶺の覇者の二人に師事するとは、なかなかどうして」

「そんなにすごいことですか」

「十分すぎるほどすごいことですよ」

鞭の修行は、その日の午後から始まった。

カリナがガンドランドの郊外の空き地に連れていった。草が膝丈ほど伸びた、人気のない場所だ。

カリナが鞭を取り出して、ミカに渡した。

「まず持ってみな」

ミカは鞭を受け取った。思ったより重さがある。革が編み込まれた、しなやかな作りだ。

「振ってみな」

言われた通りに振ると、鞭がだらんと垂れて、地面を叩いた。情けない音がした。

「そうじゃない」

「どうするんですか」

「見ておれ」

カリナが同じ鞭を持って、一度振った。

あの乾いた音がした。夜の草地で見た、あの音だ。

ミカは少し首を傾げた。

「カリナって、鞭をいつから使ってるんですか」

「この世界に来た時からじゃよ」

「この世界に来た時から……? 最初から使えたってこと?」

「そうじゃ」カリナがあっさりと答えた。「わしは太陽神アポロスの祝福を受けておってな。不老と、あらゆる武器を使いこなせる武器マスターの祝福じゃ」

ミカは少し驚いた。

「武器マスター、というのは」

「鞭も剣も槍も弓も、この世界に転移してきた瞬間から全部使えた。生まれつきの才能ではなく、祝福として与えられたものじゃ」

「……すごい祝福ですね」

「まあのう」カリナが苦笑した。「ただ、使えると使いこなすは違う。祝福で基礎は与えられても、極めるには時間がかかる。わしが鞭を一番好きになったのは、長く使い続けた結果じゃよ」

「なんで鞭が一番好きなんですか」

カリナが少し遠くを見た。

「間合いが面白いからじゃな。剣は体が届く場所、弓は遠くしか届かない。でも鞭は近くも遠くも、状況に応じて変えられる。それがわしの性に合っておった」

ミカはその言葉を、胸の中で繰り返した。

間合いが面白い。それはミカが閃いた時に感じたことと、同じだった。

「私も同じことを思って、鞭を選びました」

カリナがミカを見た。それからにやりとした。

「じゃから弟子にしたんじゃよ」

「最初から分かってたんですか」

「あの夜、お前が鞭を見た時の目が変わったからのう。ああ、この子は気づいたと思った」

ミカは少し照れくさくなった。

「では改めて」カリナが鞭を構えた。「鞭は力で振るものじゃない。しなりを使うんじゃ。先端に力を伝えるイメージで」

「しなりを使う」

「そう。体全体を使って、波を作る感じじゃな。石を水面に投げた時の波紋と同じじゃよ。手元から先端に向かって、波が伝わっていく」

ミカはもう一度振った。

今度は少しだけ、音が変わった。完全ではないが、さっきよりは鞭が伸びた気がした。

「少し良くなった」

「でも先端がまだ死んでおる。もっと手首を返して」

「こうですか」

「そこから、もう少し」

また振る。また音が変わる。

この感じ、どこかで。

「師匠に気弾を教わった時と、少し似てる」

カリナが片眉を上げた。

「ほう、そう感じるかい」

「気を指先まで伝える感覚と、鞭の先端に力を伝える感覚が、なんとなく似てる気がして」

「良い感覚じゃな」カリナがにやりとした。「その感覚を忘れるなよ。それがお前の鞭の入口じゃ」

トフィーが念話を飛ばしてきた。

『やっぱりミカちゃん、飲み込み早いね』

「まだ全然だよ。ちゃんとした音も出せてないし」

「出せるようになるのに、どのくらいかかりますか」

「人による」カリナが答えた。「ただお前は光拳で体の使い方を学んどるから、早いとは思っておる。それに」

カリナが少し間を置いた。

「わしは最初から使えた。でもお前は自分で掴んでいく。その分、お前の鞭はお前だけのものになる」

ミカはその言葉の意味を、少し考えた。

祝福で与えられた技と、努力で掴んだ技。どちらが上というわけではない。でもカリナが言いたいことは分かった気がした。

「カリナが長く使い続けて、自分のものにしたように、私も自分のものにします」

「よろしい」

カリナが短く頷いた。

「では今日はそれを百回じゃ」

「百回」

「嫌かい」

「やります」

ミカは鞭を構えた。一回、二回、三回。

音が少しずつ変わっていく。まだ全然足りないが、変わっていることは分かる。

四十回を過ぎた頃から、手のひらが熱くなってきた。

七十回を過ぎた頃から、腕が重くなってきた。

百回目を振った時、ミカは息を吐いた。

手のひらを見ると、赤くなっていた。皮が剥けかけている。

「百回、終わりました」

「よし」カリナが短く言った。「明日も同じじゃ」

「同じ百回ですか」

「いや、百五十回じゃ」

ミカは苦笑した。

師匠の修行と、やはり同じだ。できたら次。終わりがない。

「分かりました」

トフィーが念話を飛ばしてきた。

『頑張れ。でも無理しすぎないで』

「大丈夫。師匠の修行の方がもっとキツかったから」

バナージュが木陰から言った。

「ルクスの修行は常軌を逸しておったからな。あれに比べれば大抵のことは楽に感じるだろう」

「バナージュ、師匠の修行を知ってるの?」

「麓から見ておったことがある。夜明け前から日暮れまで、休みなく動いておった」

「……そうだったんだ」

ミカは手のひらを握った。

赤くなった手のひらが、懐かしい感触を呼び起こした。子供の頃、毎日こうだった。痛くて、重くて、でも諦めなかった。

「明日も来ます、カリナ」

「知っとる」カリナが振り返らずに言った。「お前が諦めるとは思っておらんよ」

それから二週間、毎日空き地に通った。

最初の三日は手の皮が剥けた。四日目から、剥けた場所に新しい皮ができ始めた。一週間後には、たまにちゃんとした音が出るようになった。

修行の合間に、カリナがいろんな武器を使うのをミカは眺めた。

剣を使う時は流れるように。槍を使う時は嵐のように。そして鞭を使う時は、まるで踊るように。全部が全く違う動きなのに、カリナの体からは全てが自然に出てくる。

「カリナって、全部の武器が本当に同じくらい使えるんですね」

「祝福じゃからな。でも一番馴染んでおるのはやはり鞭じゃよ。一番長く付き合っておる」

「何年使ってるんですか」

「……数えたことがないのう」カリナが遠くを見た。「五十年は超えておると思うが」

「五十年…」

「不老じゃから、時間の感覚が人間とは違う。ルクスもそのくらいの年じゃったが、あれは自然に老いておったからな。わしとは少し違う」

ミカはカリナの見た目を改めて眺めた。二十代にしか見えない。でもその目の奥に、数十年の時間が積み重なっている。

「カリナって、師匠と同じくらいの年なんですね」

「そうじゃな。ルクスも随分と生きた人じゃったよ」カリナが静かに言った。「銀嶺の覇者の頃は、ルクスが一番頼りになった。光拳の威力もさることながら、あの人は判断が速くてな。要所要所でわしらを引っ張ってくれた」

「師匠が」

「嬢ちゃんには厳しい師匠に見えたかもしれんが、仲間への目配りは誰より細かかった」

ミカは布団の中で背中を叩いてくれた、あの大きな手のひらを思い出した。

「知ってます。厳しかったけど、優しい人でした」

カリナが微笑んだ。

「よろしい。ではそろそろ聖銀の話をするかのう」

二週間目の終わり、ミカは魔法鞄から聖銀を取り出した。

手のひらに乗せると、じんわりと温かくなった。いつも通りの感触だ。

「今使っとるこの鞭の感触を体で覚えてから、聖銀に触れてみな」カリナが言った。「重さ、長さ、しなりの感触、全部じゃ」

ミカは目を閉じた。

二週間で体に馴染んだ感触を、丁寧に思い浮かべる。重さも、長さも、しなりの感覚も。

鞭の形を思い浮かべる。今持っている鞭と同じ長さ、でも少し軽くて、丈夫で。聖魔術の光を乗せられるような、そういう鞭。

手のひらの温かさが、変わった。

形が変わる感触があった。金属が流れるような、でも液体ではない、不思議な感触。

目を開けると、手のひらの上に鞭があった。

銀白色に輝く、しなやかな鞭だ。革の鞭と同じ長さで、でも明らかに違う輝きを持っている。光の当たり方によって、虹色に輝く。

「……できた」

カリナが覗き込んだ。

「ほう」

カリナが鞭の先端を指でそっと触れた。

「軽い。でも強度がある。これが聖銀か」

「振ってみていいですか」

「どうぞ」

ミカは銀白の鞭を握った。

いつもの鞭より少し軽い。でも手に馴染む感触はある。

一度、振った。

音が違った。

革の鞭の乾いた音ではなく、澄んだ金属音のような、鋭い音がした。鞭が空気を切った軌跡が、一瞬だけ銀色に光った。

「……きれい」

トフィーが鞄から顔を出した。

『わあ』

バナージュが目を細めた。

「聖銀が馴染んでおる。お前の魔力と一体化しとる」

「今度は聖魔術を乗せてみます」

ミカは目を閉じた。

体の奥の、あの澄んだ感覚を探す。魔力を引き上げて、銀白の鞭に流し込む。

光魔術で練習した感覚と、聖魔術の欠片の感覚を重ねる。

鞭が輝いた。

銀白の光が鞭全体を包んで、先端まで伝わった。光の線が空気の中に残って、ゆっくりと消えた。

まだ弱い。でも確かに、光は乗った。

「カリナ」

「うむ」

「これで邪竜の魔力に届きますか」

カリナが銀白の鞭を眺めた。その目が、真剣だった。

「届く。まだ弱いが、方向性は正しい」カリナが頷いた。「あとは磨くだけじゃ」

「磨きます」

「知っとる」

カリナがまた、振り返らずに言った。

トフィーが念話を飛ばしてきた。

『銀鞭の魔術師、誕生だね』

ミカは銀白の鞭を握った。

まだ始まったばかりだ。でも、手の中にある感触が、確かだった。

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