第十六章 銀鞭の閃き
帰り道は、行きより風が温かかった。
二ヶ月の間に、季節が動いていた。エルフの里を出た時、森の木々が青々と茂っていて、空気が夏の匂いをしていた。
バナージュの背中から見下ろす大地が、緑に満ちている。
「バナージュ、ガンドランドまでまっすぐ帰る?」
「お前が決めろ」
「じゃあ少し寄り道してもいい?」
「どこだ」
「クリスタルマウンテン。庵の様子を見たい」
バナージュが少し黙った。
「遠回りになるが、まあいい」
「ありがとう」
「礼はいらん」
トフィーが鞄から顔を出した。
『私も庵、久しぶりに見たいな』
「一緒に行こう」
風が強くなってきた。高度が上がったらしい。ミカは目を細めながら、流れる雲を眺めた。
クリスタルマウンテンが見えてきたのは、昼過ぎだった。
白銀の頂が、夏の青空に映えている。麓の針葉樹林が風に揺れて、緑の波が山肌を伝っていた。
バナージュが草地に降り立った。
人型に戻って、山を見上げる。
「変わらんな」
「バナージュにとっては故郷みたいな場所だもんね」
「故郷という言葉が合うかは分からんが、まあそんなようなものだ」
山道を登っていくと、庵が見えてきた。
バナージュが張った結界のおかげか、二ヶ月経っても傷んでいなかった。丸太の壁も、軒下の薬草も、師匠が手入れした畑も。夏草が少し伸びていたが、それ以外は出発前と変わらない。
ミカは師匠の墓の前に立った。
「ただいま。エルフの里に行って、魔術を教わってきた。少しだけ使えるようになったよ」
風が吹いた。山の上から来る、冷たくて澄んだ風だ。
「もう少し、いろんなところに行くことになりそう。でも時々帰ってくるから」
トフィーが隣に来て、静かに座った。バナージュは少し離れた場所で、空を見上げていた。
しばらくそこにいてから、ミカは立ち上がった。
「行こう」
山を下りてマモーラの村に差し掛かった時、見覚えのある人影が村の入口に立っていた。
赤みがかった茶髪に、小柄な体。腰に複数の武器を差している。
カリナだった。
「おや」
カリナがミカを見て、顔をほころばせた。
「嬢ちゃん、ちょうど良かった。こっちもクリスタルマウンテンに用があって来たところじゃよ」
「カリナ、なんでここに」
「邪竜の件を調べておったら、ギエルの北方にも呪具が置かれた形跡があってのう。確認しに来たんじゃ」
バナージュが腕を組んだ。
「ギエルの北方にも、か」
「うむ。ガンドランド、ジンジュード、ソロニス、そしてギエル北方。少なくとも四か所に広がっておる」
ミカは眉をひそめた。
「どんどん増えてる」
「そうじゃな。急がねばならんかもしれん」カリナがミカを見た。「クレアマシスの修行はどうじゃった」
「二ヶ月で基礎は一通り。魔法無効化の祝福も発現してるって分かった」
カリナの目が丸くなった。
「完全に発現しておるのか。それは……大したものじゃな」
「チートすぎて、自分でも驚いた」
「聖魔術師じゃから当然じゃよ」カリナがにっと笑った。「では少しここに寄っていくかい。せっかくじゃ、一緒にガンドランドに戻ろう」
マモーラの村でひと晩泊まることになった。
ガルトのじいさんが久しぶりのミカを見て目を細め、カリナを見て眉を上げた。カリナはじいさんに昔馴染みのように話しかけて、五分後にはじいさんが笑っていた。
「相変わらずじゃのう、カリナ嬢は」
「じいさんこそ、相変わらず元気そうじゃ」
「カリナはここに来たことあるの?」
「昔、パーティの頃に何度かな。もう随分前の話じゃが」
夕飯をご馳走になって、外に出ると、夏の夜空に星が満ちていた。
カリナが村の外れの草地に腰を下ろした。ミカも隣に座った。バナージュは少し離れて立っている。トフィーはミカの膝の上だ。
「嬢ちゃん、聖銀はどうするか決めたかい」
ミカは少し考えた。
「まだ決まってない。どんな形にするか、全然思いつかなくて」
「聖魔術師が望む形に変えられる金属じゃ。何でもいい」
「剣とか、槍とか?」
「そういうものが多いじゃろうな。でも嬢ちゃんは光拳の使い手じゃ。剣や槍とは相性が良くないかもしれん」
ミカは聖銀のことを考えた。魔法鞄の中にある、あの不思議な温かさを持つ金属。望む形に変えられるなら、なんでもいいはずなのに、ぴんとこない。
「何かしっくりくる形が見つかればいいんだけど」
「まあ焦ることはないじゃよ。使う者が決めないと、聖銀も本領を発揮できんからな」
それから少し沈黙があった。
虫の声が聞こえる。風が草をなびかせている。
ふとカリナが立ち上がった。
「少し体を動かすかのう。鈍ってかなわん」
カリナが腰に差していた武器を一つ取り出した。
鞭だった。
細く、しなやかで、革でできている。長さは三メートルほどか。カリナの手の中で、それが自然に収まっていた。
ミカは何気なく眺めていた。
カリナが振り返った。草地の端に立って、何もない空間に向かって、鞭を一度だけ振った。
乾いた音が、夜の空気を切った。
それだけだった。
ただそれだけなのに、ミカは息をのんだ。
鞭がしなって、空気を裂いた軌跡が、一瞬だけ光の線のように見えた。速さと、しなやかさと、どこまでも伸びる間合いと。
カリナがまた振った。今度は連続で、三度。
音が重なった。鞭の先端が弧を描いて、空気を叩いて、引き戻される。流れるような動きだった。
ミカは立ち上がっていた。
気づいたら、立っていた。
頭の中で、何かが繋がった。
光拳の間合いは、体が届く距離だ。弓は遠くに届くが、近距離では使えない。剣は中距離だ。でも鞭は、全部の間合いをカバーできる。
しかも。
聖銀で作った鞭に、聖魔術の光を乗せたら。
「カリナ」
声が、自分でも驚くほどまっすぐ出た。
カリナが振り返った。
「どうしたい、嬢ちゃん」
「鞭を、教えてもらえますか」
カリナが少し目を細めた。
「ほう」
「聖銀で鞭を作って、聖魔術を乗せたら、邪竜の魔力にも届くと思って。光拳の間合いと組み合わせれば、もっと戦える気がする」
カリナはしばらくミカを見ていた。
それからゆっくりと、鞭をしまった。
「なるほどのう」
「ダメですか」
「ダメなわけがなかろう」カリナがにやりと笑った。「良い閃きじゃ。聖銀の鞭に聖魔術を乗せる、か。面白い発想じゃよ」
「教えてもらえますか」
「弟子入りか」
「お願いします」
ミカが頭を下げると、カリナが少し笑った。
「クレアマシスの次はカリナか、嬢ちゃんは師匠運があるのう」
トフィーが念話を飛ばしてきた。
『あたしのおかげだよ』
「幸運を運ぶ神獣だから?」
『そう』
バナージュが鼻を鳴らした。
「ウサギが得意げにしておる」
『事実でしょ』
カリナが夜空を見上げた。
「鞭の修行は厳しいぞ。光拳より体を使う。最初は手の皮が剥けて、思う通りに動かなくて、嫌になる日もある」
「覚悟しています」
「そう言える間は覚悟が足りていないもんじゃがな」
ミカは苦笑した。
クレアマシスと同じことを言う。やはり長く生きてきた者は、同じことを知っているらしい。
「それでもお願いします」
カリナがミカを見た。
明るい目で、しかし真剣な目で。
「よろしい。受けようじゃないか」
カリナが右手を差し出した。ミカはその手を握った。小さくて強い、あの手だ。
「銀鞭の魔術師を目指すかい、嬢ちゃん」
その言葉が、夏の夜空に溶けていった。
ミカは握った手に力を込めた。
「目指します」
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