135. 虐殺
アーク陣営がこれだけ優位に戦いを進められたのにも理由がある。
カミュラを始めとする指の情報とラトゥの操るネズミから得られる情報があったおかげである。
つまり、情報戦においてアーク陣営は非常に優位に立っていたのだ。
ロット軍がどういう動きをしているのか、アーク陣営は正確に把握していた。
まるで敵が突然現れたようにロット軍が感じていたのも、情報が筒抜けになっていたのが原因だ。
こうしてロット軍はまともに戦うこともなく、壊滅状態に陥ったのだった。
「さすがアーク様ですね」
カミュラはもう何度目かわからない称賛をアークに向けた。
ロット侯爵を領地から誘い出し、敵が撤退できない完璧なタイミングで帰還する。
さらに帰還中にグリューン侯爵の竜の群れを打ち破り、その情報を使ってロット軍を錯乱させる。
アーク軍はほとんど無傷でロット侯爵を追い払うことに成功した。
それも、
「すべてアーク様の読み通りというわけですか……」
カミュラはアークに対して盲信ともいえる信頼を抱いていた。
だが彼女は、今回はアークが動かなくとも作戦を実行するつもりでいた。
もともとロット軍は脆い組織だ。
内部崩壊に関しては、最初から狙っていた。
いつかロット侯爵が攻め入ってくることは容易に想像がついた。
アークがバベルの塔でロット侯爵令息に喧嘩を売ったことはカミュラの耳にも入っていた。
おそらく今回のことを見越して、アークはロット侯爵令息に喧嘩を売ったのであろう。
ロット侯爵にとって攻め入るだけのきっかけを作ったのもアーク。
「アーク様の手のひらの上で踊っていただけと知ったら、彼らはどんな表情をするのでしょう?」
カミュラはにやりと笑みを浮かべた。
だが、カミュラも喜んでばかりではいられない。
ロット侯爵を最小限の兵力で倒すことは、アーク陣営にとって必要不可欠なミッションであった。
「ここからが本番です」
ロット軍を破った。
この情報はまもなくして国中に知られ渡るだろう。
そうすれば、本格的な戦いが待ち受けている。
王派との戦いだ。
戦争だ。
「第一軍が進軍を開始した……ですか」
干支の一人、ラトゥから届けられた情報。
ラトゥは干支の中で最弱である。
だが、もしも最も敵に回したくない相手を聞かれれば、カミュラはラトゥだと答える。
ラトゥは大量のネズミを使役している。
ネズミとはあらゆるところに潜伏できる。
情報戦においてラトゥは最強である。
諜報部隊”指”であるカミュラであっても、決して手に入れられない情報をラトゥは持っている。
情報の価値を理解しているカミュラだからこそ、ラトゥを敵に回したくないと思っていた。
と、それはさておき。
第一軍の進軍。
タイミングが少々気になるものであったが、それは予想通りであった。
「いよいよ始まるのですね」
ロット侯爵が討たれたことで、王派は不利な状況に立たされた。
というのも、ヴェニス公爵とガルム伯爵で敵陣営の公爵を挟み撃ちすることできるからだ。
もしもその公爵までもが討たれれば、形成は完全にアークたちに傾く。
それを阻止するために、王国軍が動くのは当然の成り行きである。
アークを倒すために、最強の軍とも言われている第一軍が動いた。
王派VS第一王子・第二王女連合派、闇の手VSアーク陣営、保守派VS急進派。
様々な思惑が絡まりあい、国は真っ二つに割れ、戦争が始まる。
この流れは誰にも止められない。
そして、カミュラのもとにもう一つの知らせが届いていた。
――グリューン侯爵が動く、と。
グリューン侯爵。
竜の軍勢を率いることができる少女。
ロット侯爵とは比べ物にならないほど手強い相手だ。
アークが討伐した竜の数は全体のほんの一部に過ぎない。
ロット侯爵に見せつけた竜は消耗品であり、ロット侯爵は当て馬にされたのだ。
そして、
「第一軍と竜の群れ。同時に攻めてくるとなると……さすがに厳しい戦いになりそうですね」
ここから本当の戦い、戦争が始まる。
◇ ◇ ◇
「くそっ、くそっ、くそっ!」
ロット侯爵がわめき散らかす。
本来なら、今頃彼はアーク軍を壊滅させていたはず――。
それが兵士の質が低いばかりに負けた、つまり兵士たちが悪いとロット侯爵は考えていた。
「くそっ、アークめ。あいつさえいなければ……!」
無能な兵士たちにも、調子こいているアークにも怒りを覚えていた。
ロット侯爵の周りには100人にも満たない兵士しか残されていなかった。
これではアーク軍はおろか、盗賊にすら負ける可能性があった。
アーク軍の追手から逃げてきれたかも分からない中、盗賊にも警戒しなければならず、加えて疲労が蓄積されている状態だ。
戦意もなく、士気も低く、体力も底をついている。
唯一、行軍の負担が少ないロット侯爵やその子息は元気に喚くことができているが、そんな彼らでも疲労を感じてないわけではない。
さらに逃げる途中で食料を手放してしまっているため、飢えが広がっていた。
そんな極限状態で、彼らの思考力は低下し、凶暴性が強まっていた。
「ふんっ、ようやく休めそうだな」
ロット侯爵たちはとある村を発見し、ズカズカと入っていった。
そして村に入り、村人達が注視する中、一人の青年がロット侯爵に声をかけてきた。
「あ、あの……どのようなご要件で……」
「ふんっ。みすぼらしい村だな。おい、そこの兵士よ。目障りなこいつを殺せ」
と、ロット侯爵が周囲を凍りつかせるような発言をした。
「はっ! はっ?」
呼ばれた兵士は、一瞬自分の耳を疑った。
この村はロット侯爵領にある村だ。
非人道的な命令に、兵士は思考が固まる。
たとえばこの軍隊が上官の命令はどんな命令でも絶対遵守という厳しい規律を設けており、かつ、それが完璧に機能していたなら兵士は迷いなく村人を殺せたことだろう。
だがしかし、この軍にそこまでの規律はなかった。
さらに兵士も規律を守るほど躾けられていなかった。
兵士は反応に遅れた。
それがロット侯爵の癇に障る。
「もういい」
ロット侯爵はそういうと同時に兵士を斬りつけた。
「が……っ!?」
致命傷を負う兵士。
唖然とした様子で見ている他の兵士や村人たち。
誰もが言葉を発せない中、
「村長はどいつだ?」
と、ロット侯爵は静かに尋ねた。
「わ、私ですが……」
初老の男性がおずおずと前に進み出る。
「ここに村人全員を集めろ」
「そ、それは……」
「口答えするな、老いぼれめが! 私のいうことが聞けないのか?
その耳は飾りか? ならばさっさと切り落としてやろう」
「も、申し訳ございませんっ!」
村長は慌てて村人を招集した。
小さな村であるため、招集するのに時間はかからなかった。
村人たちはみな不安そうな顔をしている。
「よし集まったな。さあ息子よ。私にバベルの塔での成果を見せてみよ」
「父上? それはどういう……?」
「燃やせ。燃やし尽くせ。皆殺しだ」
「え?」
「聞こえないのか? こいつらを纏めて燃やせと言っているんだ。
得意だろう? 火魔法は」
ロット侯爵令息は息を呑み、父の目を見る。
ロット侯爵の目は本気だった。
本気で村人たちを皆殺しにしようとしていた。
「し、しかし父上。わざわざ皆殺しまでしなくて良いのでは……?」
「今回の戦。敗因はな、我が領の無能な民共のせいだ。ならばその罪を償うために死罪が当然であろう?」
ロット侯爵は自分が悪いとは微塵も思っていない。
無能な部下、無能な兵士、無能な領民。
全部、自分以外の無能さが招いた結果だと考えていた。
無能なら生きていても仕方がない。
それならばいっそ殺してしまったほうが世のため、ロット侯爵のためというもの。
そうロット侯爵は考えていた。
「お前らの食料は私がありがたく頂こう。光栄に思え。無能でも少しは私の役に立てるのだからな」
村人達が引き継いった顔でロット侯爵を見る。
「おい我が息子。どうした? なぜやらぬ?」
侯爵令息は震えていた。
その手で村人達を皆殺しにするのは、さすがに抵抗があった。
「ふんっ。腰抜けめ。ならばよかろう。私が直々に葬り去ってやろう」
ロット侯爵は優れた魔法の使い手である。
侯爵であれば、当然、それなりの魔力量を有している。
さらに幼い頃から英才教育を受けてきたため、魔法使いとしてもかなり優秀な部類に入る。
村人をまとめて燃やすことなど造作もない。
ロット侯爵が詠唱を唱え始める。
村人たちはどうして良いのかわからず、右往左往する。
逃げようにも周囲を兵士たちが囲っているのだ。
「爾、炎の導きにより――」
ロット侯爵が最後の一節を唱えようとした、そのときだ。
「ん? ちょっと腹がへって寄ったんだけど……なんか取り込み中だった?」
この場には似つかわしくない呑気な声が村に響いた。
ロット侯爵は目を見開く。
なぜならそこには、
「お、お前は……アーク・ノーヤダーマ!?」
アーク・ノーヤダーマがひょこっと現れたのだった。