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雰囲気系掌編小説集~『猫と俺』『意味と示唆』『太陽賛詩』~

それぞれに繋がりのない掌編小説をみっつ集めました。共通点があるとすれば、「考えるな、感じろ」系の雰囲気モノということくらいだと思います。

『猫と俺』


 取り壊される予定である古いマンションの駐輪場に俺はいた。そこは俺が幼い頃からあったゆかりあるマンションだったので、なくなる前に近くで見ておこうと思いここまで来たのだ。なんとなく昔を懐かしんでいると、少し離れたところに猫がいることに気づいた。その猫は寝ている恰好でこちらを凝視していた。俺はしばらく猫と目を合わせた。猫は、俺が視線を逸らしたり、そっぽを向いたりしてもずっと俺の顔を見ていた。一向に動く気配がないので、俺はその場でしゃがみ込み猫と再びアイコンタクトを試みる。猫は同じ高さになってやれば警戒心を解いてくれるということをどこかで聞いた覚えがあるからだ。そして俺はしゃがみながら猫としばしの間見つめあっていた。

 すると、突然電話がかかってきた。友人からである。電話に出て話をしていると、猫は体を起き上がらせ、草むらのなかへ去っていった。重い腰を上げるというより、この場所に関心がなくなったから移動するというように見受けられた。それは、俺が静かな人間でないと知ったからかもしれない。もしかするとあの猫は人通りのないこの場所で静かに過ごしていたのに、突然俺がやってきて、迷惑していたのかもしれない。しかし、俺は思いのほか静かにじっとしていたので猫もとりあえずはいいだろうと俺の存在を認めてくれたのかもしれない。ところが、俺が電話で話し始めると、静かだった空間が台無しとなり、やむを得ずこの場を去ったのかもしれない。そうだとしたらあの猫には申し訳ないことをした。俺としても、あのまま静かに猫と目を合わせていたい思いもあったので残念である。

 もし、このまま電話がかかってこなければ、俺は猫と心地よい夕風を感じ続けていただろう。


『意味と示唆』


 8月のある日、俺はとある地方都市を訪れていた。人口は30万弱ほどで、この地域では2番目に大きな街だ。駅周辺はそれなりに栄えており、百貨店やオフィスビル、行政施設などが立ち並んでいる。東京や大阪などの大都市と比較すると何段も劣るが、この街だけで生活に必要な物は全て手に入る。産声を上げてから骨をうずめるまで一切外に出なくとも事足りる完結性がこの街にはあった。実際、ここには一度も外の街で暮らしたことがない人間はざらにいる。人の移動が容易となった現代においても、変わらない世界はあるのだ。

 そして俺は今、真夏の炎天下にもかかわらず背広を一切着崩すことなく身に纏い、顔を般若のようにしかめながら街を歩いている。外見では分かりにくいが、服の下は滝行をしているかのように汗がとめどなく流れ出しており、心なしか革靴が水たまりになっているような気がする。何故こんなにも季節感を無視した格好をしているのか、それは今日が成人式だからにほかならない。俺の地元では成人式は冬ではなく夏に行われる。理由はあるのだろうが、俺はそれを知らないし、特に知りたいとも思わない。そんなことを知ったところで俺の人生が上向きになることはない。しかし、世界は様々な示唆で満ちていることもまた事実だった。

 俺が汗で重みを増した背広を纏いながら、気晴らしに歴代総理大臣の名前を心の中で唱えていると、目の前から乳母車を引いている老婆が近づいてきていることに気がついた。歳は90を超えていそうな風貌だが、足腰はしっかりとしている印象がある。老婆が引いている乳母車には赤ん坊は乗っておらず空っぽで、老婆は他に荷物を持っていない。一体どのような理由で誰も乗っていない乳母車を何の荷物も持たずに引いているのか、俺には見当もつかなかった。散歩をするにしても乳母車は不要だろう。俺が老婆の目的とその正体について思索を深めているうちにいつの間にか老婆は俺のはるか後ろをゆっくりとした足取りで歩いていた。それを見て俺は急に自分が馬鹿らしく思えてきた。

 見ず知らずの老婆について考えるためにこんなにも時間を費やしてしまったことに激しく後悔した。無職の俺にとって時間は腐るほどあり、いくらでも使うことはできるはずだが、こればかりは流石に勿体ないと感じてしまった。無駄遣いをしたという感覚を覚えたのは数年ぶりだ。と同時に、高校を卒業してからの約2年間にわたる無職期間をも無駄だったと思えてきた。俺は何をやっていたのだろう、就職もしていなければ学校にも行っていないのに遠く離れた東京で一人暮らしのプー太郎生活。当然働いていないので生活費は全額親からの仕送りだ。全くもって意味不明であり、とんだ親不孝者だ。

 しかし、あの誰も乗っていない乳母車を引いていた謎の老婆のお陰で、俺は今まで一切振り返ることのなかった自分の人生について内省することができた。老婆は知ってか知らずか見ず知らずの青年にやり直すきっかけを与えてくれたのだ。俺は老婆に感謝した。世界はいつだって、示唆に満ちているのだ。


『太陽賛詩』


 僕は早朝のまだ暗闇に覆われた町を歩いていた。空を見上げると沢山の星が輝いている。この町でここまで星が綺麗に見えるとは思わなかった。これはいい誤算だ、寝ずに外に出た甲斐があったものだ。僕はしばらくの間、黒に染められた静謐な世界に身体を浸した。心が安らいでいくのが感じられる。昼間の喧騒を忘れさせてくれる神秘性がそこにあった。

 しかし、同時に怖さもあった。目の前に拡がる暗がりの道と上を覆う夜空が、僕をどこか暗い場所へ誘っているように感じられるのだ。遠くに灯る町の明かりと空に瞬く星の輝きではそれを拒むことはできない。退けるにはそれはあまりに弱々しい。僕はやっぱり独りが寂しいのだ。

 だが、孤独だった僕に微かな温かみがもたらされる。東の空を見上げると、一日の始まりが見え始めた。まだほんの僅かな光だが、確かに世界を取り戻す力を秘めていた。僕は失いかけていた希望を再び胸に宿すことができた。これから先、よりよく生きていけますように。そして、世界がいつまでも幸福に満たされますように。僕は願った。明日はもう、待っている。

お読みいただきありがとうございました。これらの作品は過去に何気なく書いた掌編の物語です。一作品ずつ投稿するには短すぎると思ったので「雰囲気系」ということで括って投稿しました。今後も過去の掌編小説をカテゴライズしてまとめて投稿しようと思います。よろしければご覧ください。

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