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2話 ジレンマの果てに 後編

 よろめき進む車はやっと目的地に到着した。先ほどまでいた工場のような施設とは違って白く小綺麗なオフィスビルだった。やたらと大きな一面のガラス窓が上まで続いている。


 金山は車から降りるとバッグは置きっぱなしにして建物の入り口の方へと向かった。今度は扉の開閉が見られることはないので僕たちは普通に後部座席のドアを開いて外に出た。


 入り口のところには『九州車輌製造』の文字。どうやらここが本社である。一階のロビーには受付嬢が二人いた。金山は彼女らに「部長はいるか?」と確認をとった。部屋にいると言うので、彼は彼女らを軽くねぎらうと踵を返した。


 金山はエレベーターを使って七階まで上がった。昇っている間はとにかくどんよりとしていて息が詰まりそうだった。本当、狭い中の不幸は毒ガスだと思う。僕も紗良さんまで何故か気持ちが沈んでしまった。


 廊下は無人にして静かだった。金山は少しの迷いもなく真っ直ぐ進んでいく。突き当たりの扉に到着するとノックした。

「部長、金山です。」

応という声だけが返ってきて金山は部屋に入った。


 部長はガラス張りを背にした大部屋の中央奥、成金臭い茶色の革椅子にどっしりと腰掛けていた。大柄の体型で、頭がガチガチのオールバックになっていたのが目立っていた。趣味の悪い金指輪をはめた指で挟んだ茶色の細タバコからは薄紫の煙がゆらゆらと立っている。


 「お前、動輪がぶっ壊れたってのは嘘じゃねえんだよな?」

えらく野太くドスの効いた声である。紗良さんが耳を貸せと言うのでそうするとヒソヒソ声で

「この人ほんとにカタギなの?」

こっちが聞きたいよ。こんな成金ヤクザみたいな上司が出てくるとは思わなかった。

「ええ、三週間後に納品予定のものです。圧縮試験で耐えられませんでした。」

それを聞くと部長の顔はどんどん渋くなっていき、タバコをグシャリと灰皿に押し付けた。


 部長は鋭い眼光で金山を睨んでいた。

「壊れましたじゃ済まねえだろうよ、あ?納品に間に合わないなんて許されんぞ。なんとかなるんだろうな?」

「それがどうにも......」

「なんとかするんだよ!仕方ねえ、ここだけでどうにかするぞ。社長には伝えられんからな。」

部長に気圧された金山はどんどん弱々しくなっていった。このくだりも二回目なのはかなり不憫である。だけど、何とか変えなくちゃいけない。


 部長も部長で焦っていたようだ。落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしながら目を泳がせていた。

「しかし、どうやって?」

「そもそもあんな厳しい試験に通らなくったってすぐにどうかなるなんてことないだろ?黙ってりゃ済む話じゃねえのかよ。」


 ああ、そういうことか。実際はここで流されて不良動輪の件を揉み潰し、あの事故へっていう流れだ。つまり、選択の時はまさに今である。

「いや、それは......」

「なんか言うたか?」 

金山の顔がひきつる。手が震え、額に脂汗が滲んでいる。頑張ってくれ。この一瞬の恐怖と、幻にすがるほどの後悔と、どちらの方が苦しいかは比べる余地もないだろう。


 



 「ダメです!そんなのは。きっと後悔します。」

長い長い逡巡の果てに金山は必死の形相でようやく言葉を絞り出し叫んだ。全く要領の得ない言葉だったが、部長は面食らったようだった。

「あなたのような上で座っているだけの人には分からないでしょうがね、あの動輪が載せていくものは人々の生活なんです、命なんです!プレス機なんてものとは比べられないくらい重いんですよ。それが分かっていないからそんなことを言えるんでしょう。」

一息に吐き捨てた言葉たちは彼の心の奔流だった。


 あっけにとられていた部長は少々の間をおくとようやく平常をとりなおした。

「突然何言ってんだお前。どうかしたんじゃないのか?」

まるで相手にしていないような口ぶりであった。言葉で通じるような相手では無かったのだ。そもそも通じるようならこのような事態にはなっていなかったはずである。

「ともかくだ、この件は秘密にしておく。黙っておけばなんら問題はないんだ。お前のような一介の技術者がこれ以上余計な気を回すんじゃないぞ。」

その言葉を最後に金山は部屋から追い出されてしまった。


 金山はひどくうなだれていた。やっと絞り出した勇気をいとも簡単に握りつぶされてしまったのだから、仕方のないことだ。僕たちは廊下を引き返していく作業服の敗残兵の背中を追った。

「金山さん、これからどうするのかしらね。」

確かにそうだ。話じゃ解決しなかったのだ。他にあてなんてあるのだろうか。


 オフィスに来る時とは対照的な大人しい車は沈みかける西日を背に、住宅街を縫うように進んだ先にある二階建ての一軒家に向かった。金山の家である。


 「ただいま。」

「あら、おかえりなさい。ご飯もう出来てるわよ。」

出迎えたのは金山の奥さんと思われる女性だった。小柄でふっくらとした、優しげな雰囲気の人である。

「どうしたのあなた、顔が暗いわよ。」

恐るべき慧眼だ。彼女は問い詰めながら金山から鞄を預かった。

「会社でな、ちょっとあって......」

「ちょっとじゃそんな顔にはならないでしょう。いいから言ってちょうだいよ。」

少し葛藤する様子の金山だったが、観念して口を開いた。

「人間として正しく生きるのか、会社の一員として生きるのか、その選択の岐路に僕は今いるんだ。お前には全く見当のつかない話だろう?」

「いいえ、なんとなく分かるわ。そして貴方のことだから、もうとうに答えは出ているのでしょう?」


 ダイニングの食卓には素朴な家庭料理がいくらか並べられていた。二人暮らし相応の量である。僕ら二人は姿が見えないのをいいことにリビングのソファでくつろぎながらダイニングの金山夫婦を眺めていた。


 金山は食卓についたものの中々食事に手をつけなかった。

「君の言う通り答えはとっくに分かりきっているんだ。考えなしにそれを選べたらどんなに楽だろう。」

「あら、何か気にやむことでもあるの?」

「君は今の生活がもしも無くなったらって想像したらどうする?」

奥さんは少し考えて

「仕方ないならそれでも構わないわ。あなたが選ぶ道はきっと正しいでしょうから。」


 現実の金山はこの賢妻に一言も相談しなかったのだろうか。もしもそうしていれば結果は変わったかもしれないのに。彼女の答えを聞いた金山は「そうか」とだけ答えてあとは黙々と食事を済ませた。


 金山の自室は二階にあった。文学士の書斎のような風情の上品な部屋である。彼は背の高い本棚から分厚い電話帳を引き出してきた。椅子に座ってページをパラパラとめくると目的の番号が見つかったらしくそこを指でなぞりながら固定電話のボタンを押した。三コールの鳴った後で相手が出てきた。

「もしもし、こちら西日本新聞です。」


 金山はゆっくりと話しはじめた。

「私、九州車輌製造のものです。弊社について是非お話ししたいことがありまして。」

電話の相手は新聞社だった。

「というと、何でございましょうか?」

「それが......」

それから金山はしばらくの間話した。これまでに起こったことを、自分の懺悔を織り交ぜながら。


 


 翌朝の朝刊の一面を飾ったのは他でもない九州車輌製造だった。記事を持ってきたのはパジャマ姿の奥さんだった。

「言ってたのってこれだったのね。」

ああと言って金山は記事を受け取った。

「これで良かったんだ...... 良かったんだよきっと。」

『九州車輛製造 部品不良を揉み消しか』という見出しに目を通すなり彼の顔は安堵にほころんだ。


 すると突然記事から綿のような光がぽつぽつと湧きはじめた。光たちは金山の体を囲みながら寄り集まって、やがて一つの大きな光の球体になった。金山の体の輪郭は徐々に薄れていき、ついに光の中へと吸い込まれていってしまった。


 「金山さんが消えて世界が閉じかけているわ。私たちも早く戻りましょ!ポケットに青いスイッチが入っているはずよ。それを押して!」

紗良さんがまくし立てるので言われるがままに従った。ズボンのポケットの中には確かにスイッチらしき感触。今の今まで気づかなかった。ともかくそれを押すと、来た時と同じように意識が沈んでいった。


 目を開けると元いた小部屋のソファに寝ていた。ふと見上げると紗良さんの顔。

「あら目を覚ましたわね。お疲れ様。」

後頭部に柔らかい感触がするので顔を横に倒すと紗良さんの両膝が見えた。膝枕されてることに気づいた僕は慌てて体を起こした。

「す、すいません。二日間もこんな状態で。」

「別に気にしなくていいのよ。それにこっちでは一時間も経っていないわよ。」

時計を見ると確かに五十数分しか経っていなかった。

 

 不思議な心持ちでぼんやりしていると多山さんが扉を開けた。

「君たちお疲れ様。金山さんはもう帰っていったよ。とても満足そうだった。晃介くんも初仕事をよくやってくれたよ。」


 僕と紗良さんは多山さんのいる大部屋に戻った。確かに金山は帰っていた。幻で色々あっただけに少しあっけないな。ふと目に入ったゴミ箱にはグシャグシャになった新聞紙が捨てられていた。




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