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2話 ジレンマの果てに 前編

 僕が働き始めて早くも一週間が経とうという頃合いである。多山さんの厚意に甘えて事務所のビルに住まわせてもらっているから不満は何一つない。


 しかしながら、なにせ暇なのだ。一週間の間に客は一人も来なかった。事務作業という事務作業もないものだから、僕は雑用じみたことを紗良さんと一緒にやっている。今だってこんなに朝早くからヘンテコな機械たちを磨いているのだ。


 多山さんが事務所のドアをガチャリと開けて入ってきた。

「おはようございます。」

と二人で挨拶すると彼も微笑みながら同じように返してくれた。


 


 多山さんの右手には新聞があった。この一週間で彼が新聞を読んでいる姿なんて一度も見たことがなかったから違和感があった。彼は一番奥の自分の机まで行くと、その上に丸まった新聞紙を広げた。


 記事は奇妙にも三年前のものだった。一面には鉄道事故の写真と概要がでかでかと載せられていた。三年前といえば自分は二十歳だったがよく覚えている。

「この記事がどうかしたんですか?」

「今日の依頼と関係があってね。そういえば君にとっては初仕事だね、晃介くん。」


 今日の昼前にその客は来るらしい。今までの一週間があまりにも静かだったから、客なんて来ないし何ならここが事務所ってのも全部嘘っぱちだったのではないかしらとも思えてしまっていた。それが今日来るなんて突然言われたものだから、にわかに緊張してきてしまう。


 来客は午前11時を少し過ぎた頃にあった。扉の向こうから入ってきたのは細身の中年男だった。服装は安物ばかりで揃えられており、頭には黒茶のハンチングを被っていた。あごも無精髭が鬱蒼としていたので身なりには無頓着のようである。何より気になったのは全身から醸し出す無気力さであった。


 男は多山さんと軽い挨拶を交わすと、そのまま連れられて多山さんと向かいの椅子に座った。そこで彼は初めてベレー帽を脱ぎ、中から白髪混じりの短髪が現れた。僕は紗良さんが淹れてくれた二杯のコーヒーを多山さんと男の前に給仕した。


 男の名前は金山敬といった。先程多山さんに渡していた名刺がちらりと見えたが、どうやら技術者をやっているらしい。名刺の左上のあたりに『九州車輌製造』と太文字で印刷してあった。無口ではあったが受け答えは割としっかりしている印象。多山さんは前に僕にしたように一通りの説明を済ませると、今度は金山に尋ねた。

「では、貴方の後悔を教えていただきましょう。」


 金山は暗く、苦々しい顔をしていた。聞かれてから数十秒ほどの間をおいて、彼は話しはじめた。

「私は先ほど申し上げたとおり技術者をしております。さらに詳しく言えば鉄道車両の製造会社に勤務しているのです。中でも私は細かな部品の製造に携わっておりました。」


 「今は違うのですか?」

多山さんが割って入った。

「ええ、三年前に異動があり、それからは別の部署で働いております。そしてそれが今回伺った所以なのでございます。」

そう言って金山は黒のショルダーバッグから新聞を取り出して机の上に広げた。今朝多山さんが持っていたのと同じ記事だ。

「先だって送らせていただいたと思いますが、それと同じものです。この事故について皆さん覚えていらっしゃるでしょうか?」

多山さんと僕は肯定した。紗良さんはなぜか覚えていなかったようだが。


 金山は当の鉄道事故について説明を始めた。

「この事故は読んでのとおり福岡の西の方で起きました。問題だったのが、事故の原因が車両にあったということでした。そして、その車両の部品を製造したのが他でもない私の勤める会社だったのです。」


 僕と紗良さんは脇のほうに立っていたが、二人して今朝多山さんが用意した方の新聞の両端をそれぞれ持って記事に見入っていた。紗良さんはやはり知らないようだった。


 細かいところを読んでみると確かに九州車輌製造と書かれている。

「調査の結果、原因は動輪だったそうです。走行中に一つの動輪が外れてしまい脱線したのだとか。」

「そしてそこの部品の製造を担当していたのがあなただったというわけですな。」

「ええ、そうなんです。今日この日までずっと責任を感じて過ごしてきました。私は技術者としてしてはならぬことをしてしまったのですから。」


 そこからが本題というか、金山本人の過ちについてだった。

「そもそも件の動輪については、テスト段階ですでに耐久性に不安があることが察せられていたのでした。私も部門の長でしたからそれが分からないはずもない。つまり私は見て見ぬふりをしたのです。」

「どうしてです?」

聞いたのは隣の紗良さんだった。疑問が口をついて出てしまったようだ。金山は紗良さんの方へとちらり目線を流した。

「若い子には分からない大人の汚い部分なんだけどね。会社が目をつぶれと言ってきたのさ。部品を作り直してたらお金も時間もかかってしまうからね。私はそれに従ってしまった。技術者ってのは案外立場が弱いんだよ。最悪仕事を失うなんてことにもなりかねないから、会社の上の方の人には逆らえない。」


 紗良さんは黙って聞いていたが、納得してなさそうな顔をしていた。僕も納得いかない。命の重さを想像出来ないようだからそんなことができてしまうんだ。他人事でもついモヤモヤとしてしまう。


 金山はなおも続けた。

「でもそんなのは言い訳でしかなかったのです。やりようはあったはずなのに逃げてしまった私は、救いようのない卑怯者です。家族のためといいつつ結局は全て自分のための保身に他ならなかったのですよ。結果として大勢の人を死なせてしまった事実だけが残りました。」


 金山の細身の体は一層小さくすぼまっていた。確かに罪は償いきれないほど大きいかもしれないけれど、この人ばかりが罪悪感に押し潰されそうになっているのを見ると、ほんの少しだけ不憫になってきた。金山の顔は話をしているうちにみるみる青白くなっていた。


 依頼は部品の耐久性不安をもみつぶした選択を変えたいというものだった。依頼自体に特に気になるところは無かったが、僕には一つ疑問があった。金山との対話が一段落した多山さんに尋ねてみた。

「あの、ちょっと気になることがあるんすけど。」

「どうしたんだい。」

「金山さんが選択を変えたら、事故は起きなくなるんですか?」

「おそらく起きないだろうね。」

「でもそれって、人の生き死にが変わっているってことじゃないですか。多山さん、この前僕に言ったじゃないですか。『大局的な運命は変えられない』って。」


 聞かれた多山さんは少し意外そうな顔をしていた。

「いいところに気づいたね。あの決まりの解釈をハッキリさせておこう。確かに僕は人の死は変えられないと言った。それはつまり死そのものを変えることはできないと言う意味さ。例えば自然死したおばあちゃんがもし生きていたらとかは無理っていうこと。ただし、そうじゃない場合は別さ。殺人犯が殺すのをやめたら相手が生きてるのは当たり前だろう?今回もそれと同じで金山さんが選択を変えたら事故にも影響があるはずだよ。」


 多山さんは説明しながらも作業を行なっていたので程なくして準備が完了した。重い話なだけに僕のときよりも大がかりなようだ。準備がおおむね完了したのを見た紗良さんが僕の肩を叩いた。

「今回は晃介くんも働く側だからね、こっちにおいで。」


 連れられていったのは奥の小部屋だった。輪をかけてたくさんの機械が並んでいたが、紗良さんが持ち出してきたのはVRゴーグルのようなものだった。

「これを着けるの。そうしたらお客さんが見ている幻の世界を私たちも見ることができちゃう、スゴいでしょ?」

もう驚きはしないが、これまた現実離れした機械だ。

「基本的には向こうの世界の監視と手助けよ。まあ今回は手助けの方はいらないと思うから、気楽に行きましょ。」

そう言って紗良さんは僕の肩をポンポン叩いた。

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