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1話 幻を見せる部屋 前編

 空は快晴、真夏の太陽が遮るものなく照りつける申し分ない天気だが今ばかりはしんどいことこの上ない。ただでさえ必死に食いつないでいた貧相な生活、まさか火事で失ってしまうとは。


 命あるだけ幸いなのだろうが、住んでいた木造安アパートの燃えくずから身一つで放り出されてしまった僕は、住所不定になったがためにバイトも全て辞めざるを得ず、途方に暮れていた。


 新しいアパートを借りる金もなく、行くあてもないくせに、やたら迷いない足取りで河川敷を歩いている。川は陽の光まといにさらさらと流れ、反射光が目を刺す。所々で子供たちが遊んでいる以外はとても静かで、それがまた一層の不安を掻き立てる。


 暑さから逃れるように橋の下までたどり着いた。快い涼しさがたちまち体を包み、汗が冷えるのを感じる。あまりの心地よさに、ずっとここに居ようかしらという考えも浮かんだ。少し傾斜のついた、これまた冷たいコンクリートに腰を下ろして上を見上げると、道路と道路の隙間から車が忙しなく行き過ぎるのが見える。健全な生活に見下ろされるようで嫌悪を感じ前を見ると、橋の影が川の上へと伸びてゆき向こう岸まで続いていた。そう大きくない川なので川幅は20mもない。その向こう岸の橋下はこちらとは違い賑やかだった。雑多なものの山の中、みすぼらしい風貌の男が四、五人。ホームレスだった。普段からこのあたりは通っていたのだけれど、このホームレスたちにはあまり気をとめていなかった。けれど今、こうして橋の下に何をするわけでもなく腰掛けて、ボーっとして、全く自分も同じ状況である。自分の遠からぬ未来を見せられている気がしてゾっとした僕はそそくさと橋の下から出てしまった。


 また日照りの河川敷の、不快な暑さの中を腐ったように練り歩く中、よく分からない声が頭の中に響いてきた。

「晃介くん......晃介くん!ねえ、ちゃんと聞いてるの?」

「次、理科室だよね。一緒に行こうよ!」

「あのね晃介くん。私ね......ううん、なんでもない。また今度ね。」

ああ、誰だったっけ?イマイチ思い出せない。でも知ってる人のはず。

「君!大丈夫?随分顔色悪いようだけど。」

誰だったか......確かに僕の人生の一欠片。忘れようがないはずなのに。

「ねえ、君!大丈夫なの⁉︎目が虚だし、足もフラフラしちゃってるよ。」

どうしても思い出せない!もどかしい、あと少しの気がするのに。

「ねえってば!ホント、どうしちゃったのよあなた。」

ハッとすると目の前には長髪の女の人。僕の両肩を揺さぶっていた。

「あ、す、すいません。僕、自分でもよく分からないまま歩いてました。」

ほんとに何だったのだろうか。白昼夢というやつか。そんなものを見るようになるなんて、いよいよ僕は弱るところまで弱ってしまったらしい。

「君、ほんとにどうしちゃったの?こんなところフラフラで。」

知らない人だけど、もうどうにでもなれとこれまでの経緯を全部話した。不思議と緊張もほぐれてきた。この人もよくよく見れば黒長髪の美人だし、少し心が浮き立ってしまっている。

「へぇ〜、君大変だったね。若いのにね、あ、私も変わらないか!ハハハ。」

すごく明るい人だな。弱った身には少し胸焼けがしそうでもあるが、こういう人は嫌いじゃない。歳は僕よりも一つが二つ上だろうか。


 その後も彼女は怒涛のごとく話し続けた。彼女の名前は木暮紗良というらしい。年齢は......聞いたわけじゃない。そんなに僕は失礼な男じゃない。彼女が勝手にしゃべったのによると、24歳らしい。やはり僕の一つ上だった。彼女が話すので、こちらも話すしかなくなり僕は自分の名前が門屋晃介であること、23歳であることを彼女に教えた。

「晃介くんっていうんだ!いい名前だね!」

名前を呼ばれる響きなんていつ以来だっけ。いや、そんなに遠い昔じゃないはず。どうしてそう思うんだろう。それさえ分からない。なのに自信だけはある。確かに呼ばれたんだ...


 「行くとこないならウチの事務所来る?」

突然そう言われた。普通に考えて怪しすぎる話だ。突然道端で美女に誘われるなんて、そんなことあるわけないだろ。僕は美男でも金持ちでもない。美人局か何かだと考えるのが普通だ。だが、あいにく僕は他に行くあてがない。1人でどっか行ったって、良くてホームレスじゃないか。どのみち破滅しかないのなら、せめて目の前の華あるバッドエンドへ。

「そちらがいいのなら是非行かせてください。」


 連れて行かれた先は、僕が元々住んでいたアパートに負けず劣らずの年季が入ったコンクリートの雑居ビルだった。彼女の言う事務所はここの3階らしい。狭い入り口を入った先にはエレベーターがあったが、紗良さんは目もくれず慣れた様子で脇の階段の方へ行ったので僕もそれに続いた。すっかり日が傾き、西日の中を土ぼこりがキラキラ舞っている。夏の香りがする。夕焼けはたしかに綺麗だけど、自分の身の上を憂う感傷に襲われてしまう。どうしてこうなっちゃったんだろう、どうして僕ばかり。 


 いつの間にかたどり着いた赤黒く、渋い風情のドアを紗良さんはキイキイ言わせながら開けた。

「ただいま!」

彼女の後ろからやや緊張しながら中へ入った。十畳あるかないかの広さだ。予想よりも綺麗だった。よく掃除が行き渡っているようだ。それより目に留まったのは、見たことがない器具たちや、それらとは明らかにミスマッチなアンティークの調度品だった。はっきり言って奇怪である。

「遅い帰りだね紗良ちゃん。おや、その子は......」

「さっきそこで会ったのよ。行くとこないって言うから連れてきちゃった。」


 僕たちを迎えてくれたのは柔らかい雰囲気の老紳士だった。年齢は60を過ぎたあたりだろう。奥の皮張りの黒椅子に腰掛けているので背丈は分からない。枯れ草色のセーターを着て、金縁の丸メガネをかけている。見事な白髪は小綺麗に整えられ、こけた頬におなじく真っ白の髭をたくわえているその風貌は古い喫茶店にいそうな品の良さだ。

「おお、そうかいそうかい。私は多山伸行だ。青年の名前は?」

「あ、か、門屋晃介っす。よろしくお願いします。」

ちょっとオドオドしすぎたかな。そんな僕を見て多山さんは

「緊張することはないよ晃介くん。私たちも大層なもんじゃないからね。気になることでもあれば遠慮なく聞いてくれ。」

気になることはいろいろあった。おかしなところ、知らないところ。全部聞こうとは思うがとりあえず一番気になるのは

「ここって何してるとこなんすか?」


 聞かれた多山さんは何か少し迷っているようだった。非合法か後ろ暗いことでもあるのかしらと少し身構えてしまう。僕のその様子を察して多山さんはちょっと笑った。

「いやいや、別に犯罪めいたことじゃないよ。ただね、秘密ではあるから会ったばかりの君に話すのをいささか躊躇したんだよ。まあこうして出会ったのも何かの縁だ。君はそんなに危なくないようだから教えてあげよう。」

そう言って彼は僕を近くまで来させて彼と向かいの木の椅子を指さした。祖父と話すみたいだ。まあ僕にそんな経験はないのだけれど。僕が椅子に深く座ると彼はおもむろに話し始めた。

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