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フローラの話1


 突然捨て置かれた私は、猛スピードで去って行く荷馬車をただ見送る事しか出来なかった。

、状況が理解できないまま、しばらく茫然としていた。全てにおいて訳が分からなかった。それどころか、さっきまでどうしていただとか、それ以前、自分がどうやって生きていたのかという一切の記憶がないのだ。そもそも、自分が誰なのかさえ分からない。ただ、分かる事と言えば自分は女性であるという事。胸まである長い髪は珍しい毛色の緋色だ。やや黄色よりの赤毛。


 それから、視界に入る自分の腕やら体やらを見ると、相当上等なドレスを着ているようだ。手首まである袖丈で、スカートには細かい刺繍が入ったサテン生地が使われている。その上からふわりとしたシフォン生地があしらわれている。大胆に空いている胸元には大振りの宝石がついたネックレスが見える。履いている靴は真っ白なピンヒールでそこにも豪華な装飾が施されている。


 ますます訳の分からない状態に陥った私は気分が悪くなってしまって、その場にうずくまってしまった。

 ふと、遠くから人の足音と会話をする声が聞こえてくる。

 助けが来たのだと安堵した私はすぐに立ち上がった。しかし、次の瞬間、恐ろしい会話が耳に入ってくる。


「おい、この辺りだ。奴らが荷馬車に乗せていた赤毛の娘がいるはずだ。よく探せ。かなりの美人だから、あれは相当高く売れるぞ」


 野太い男達の声量はかなり大きい。会話がはっきりと聞こえてくる。 

 私の事を探しているんだ。そう瞬時に理解した私は、早くこの場から去らなければ危険だと判断した。

 後ろに行けば男達の声が聞こえてくる林道、前に行けば不気味な深い森。もし捕まればこの先は地獄だろう。屈辱と苦痛を受け続けながら辛い人生を送る事になる。

 私は迷う事なく森の中へと入っていく。高いヒールの靴を履いている私は何度も転びそうになりながらも必死に走った。見つかる前に早く森へ入らなければならない。この恰好では遠くからでも目立ってしまう。


 背丈と同じ高さの草木を必死にかき分けながら前へ前へと進んでいく。

 後方から男達の声が微かに聞こえてくる。

 上手く撒けただろうか。立ち止まって男達の会話に耳をそばだててみる。


「おい、いたか?そっちはどうだ?ひょっとしたら森に逃げたのかもしれない。入るぞ。良い金になるからな。絶対に逃がすなよ」


 散り散りになって探しているのだろう。遠くにいる仲間達と大声で会話をしているようだ。相変わらず声ははっきりと聞こえる。


 そんな会話が聞こえて一気に肝が冷えていく。早く、もっと遠くへ逃げなければ。

 無我夢中で前に向かって歩を進めた。

 そのまま足を止める事はなく、霧中で前進し続けた。生い茂る木々で上空から差し込む光はどんどんまばらになっていく。スカ―トの装飾は落ちている枝や固い草の茎に引っかかって所々破けて穴が空いていた。

 霧中で歩き続けた。次第に繰り出す足は重く、鈍くなっていく。

 気が付けば後方からの男達の気配はすっかり消えているように感じた。無事に逃げきれたのかもしれない。しかし、どれだけ歩いても男達が追ってくる恐怖をぬぐう事が出来なかった。

 

 やがて辺りにオレンジ色の光が射し始めた。日が傾き始めている。

 徐々に気温が下がっていく。同時に体が冷えていくのが分かった。これからどうしよう、このまま暗い森の中を歩き続けるのは危険だ。それに、体力ももう限界だった。休める場所を探そう。辺りに目を凝らすと、幸運にも草陰に洞穴を見つける事ができた。

 安全を確かめて中に入ると昼間の暖かさがまだ残っていて体を温める事ができた。


 きっともうあの男達は追ってはこないだろう。諦めたに違いない。それにここは草木に隠れて分かりずらい場所にある。

 きっともう大丈夫。大丈夫。そう何度もつぶやいて、自分自身を落ち着かせた。

 洞穴の奥に移動して三角座りで腰を下ろすと、視界に入った足は傷だらけでボロボロになっていた。


 明日はどうしよう。男達がまだ森の中にいるのかもしれない。いつまで当てもなく森の中を彷徨いつづけるのだろうか。そうして数日後には何も分からないまま、ただ死んでいくのかもしれない。

 不安で押しつぶされそうになって目を伏せると、自分の格好が視界に入って来る。高価なアクセサリーを身に着け、豪華なドレスを着ている。何もない森の奥で相当場違いな恰好をしている自分が少し可笑しかった。そうして一人で笑ったら少しだけ冷静さを取り戻す事が出来た。

 明日起きたら飲める水を探そう。水さえあればまだ生きられる。それから食料を探そう。


 生きていく気力が少しだけ戻った。ひとまず今日はもう寝て、ゆっくり体を休めよう。 

 残った体力を振り絞って、近くにある葉やら草やらを適当に集めて地面に引き詰めるとその中に知っている草を見つけた。


「あぁ。この葉は傷に効く薬草だ。……?。私はどうしてそんな事を知っているんだろう…」


 ぼんやりとした映像が記憶の奥底から脳裏に浮かび上がってくる。

 誰かが分厚くて大きな本を広げていて、そのページにある絵の葉っぱを指さしている。その手はとても小さかった。映像はそのまま霧のようにゆっくりと消えて行った。


 薬草を暫く見つめていた私はその葉を手のひらで柔らかく揉み始めた。それからその葉を足の傷に張り付けていった。躊躇なくスカートの布を引き裂いて、薬草を張り付けた傷口の上からその布で縛った。

 そんな手順で傷の手当を終えると、敷き詰めた葉っぱの上に横たわる。

 相当疲れていたのか、それからすぐに眠ってしまった。




「ウゥゥ…」


 突然、妙な音で意識が呼び戻された。

 微かに何か聞こえる。

 低いうなり声のようだ。

 すぐに飛び起きて辺りを確認すると外は薄明るくなっている。朝靄がかかっているのか視界は悪い。

 ふと洞窟の奥からわずかに冷たい空気が流れているのを感じた。

 うなり声は洞窟の奥から何か聞こえてくるようだ。

 何かいる……。

 私は息を飲んだ。音を立てないように洞窟の奥に意識を集中させながら後ずさると、奥の暗闇から二つの光る目が此方を見ている事に気が付いた。


 それが何かを理解すると、勢いよく洞穴から飛び出して走りだした。

 しかし次の瞬間、何かに躓いてバランスを崩して倒れ込んでしまった。受け身が取れず、全身を地面に叩きつけた衝撃で激痛が走る。それでも、何とか体制を建て直して立ち上がろうとした瞬間、背後からゆっくりとこちらに近づいてくる気配に気が付く。私は恐怖でその場から動けなくなってしまった。


 身を低くしながら地面をゆっくりと歩いてくるそれは巨大な狼だった。


 あぁもう終わりだ。そう思った瞬間、ものすごい速さでこちらに走ってくる。恐怖で固まったままの私は、一瞬で仰向けで後ろに押し倒されてしまう。気が付くと私は、狼の太い前足で肩から押さえつけられていた。その重さで身動きが取れない。すぐ目の前には鋭い眼光をした狼の顔が見える。


 数秒後には生きたまま腹から内臓を食われているのだろう。

 仰向けの状態の私は死を覚悟した。

 大きく開いた狼の口から鋭い牙が見えた瞬間、突然それは私の視界から消え去った。


 何が起こったのか訳が分からないまま体を起こすと、狼が一体増えていて、なにやら争っているのだ。

 獲物の奪い合いが始まったのだろうか。それとも縄張り争いか。二匹の獣は争う事にすっかり霧中になっているようだ。

 私は咄嗟に立ち上がり無我夢中で走り出した。靴はもう邪魔で脱ぎ捨てながら走った。

 足の痛さも感じないほど夢中で走り続けた。素足になった私は俊敏に動く事が出来た。

 しばらくの間、無茶苦茶に走り続けた。そのお陰で何とか逃げ切る事ができたようだ。


 息を切らしながら辺りを見ると、より鬱蒼とした森が広がっている。これでさらに森の奥まで踏み込んでしまったのだとようやく気が付いた。


 

 気を取り直して先を歩くと水が流れている音が聞こえくる。音が聞こえる方へと歩を進めると幸運な事に小さな沢を見つける事ができた。ここへ来てから何も口にしていなかった私は夢中でその水を飲んだ。

 のどの渇きが収まるとようやく少し安心する事ができた。次は何か食べ物を探そう。


 そう思い立って、歩きやすくするためにドレスのスカートを太もも辺りまで裂く。それから裂いた布を新たにできた傷に巻き付ける。これで歩きやすくなったし、痛みも軽くなった。そういえば昨晩薬草で手当した傷口はすっかり塞がっていて良くなっている。薬草が効いたようだ。再び昨日の薬草をさがして同じように張り付けて行くと痛みは相当軽くなった。


 それから何か食べられそうな物を探して歩いた。

 食べられそうなものを見つけてはよく観察した。これには毒がある、これは食べられない。不思議とそれらが分かった。

 しばらく歩くと一本の枝に木の実らしいものがなっているのが目に入った。あれなら食べられるはずだ。またしても覚えがない知識がある事に気が付く。

 だが、困った事にその実は崖に突き出した枝に実っているようだ。


 あれをどうにか取れないかと必死にその木に登り、実がなっている枝に手を伸ばした。もう少しで手が届きそうだ。そう希望を抱いて懸命に手を伸ばすと、ようやくその実に手が届いた。しかし次の瞬間、無残にも枝が折れて私はそのまま崖から落下したのだった。




 痛くて動けない。


 おまけに頭も打ったようだ。意識が朦朧とする。あぁもう…。今度は本当に死ぬのかもしれない。


 そう思いかけた時、遠くから足音が聞こえた。私は例の男達が追ってきたのかと警戒をしたが、そもそも、死にぞこないの人間を攫ってもボロボロになった体に商品価値はもうないだろう。もうどうにでもなれ。半ば開き直ってその人物が近づいてくるのを待っていた。




 途中から慌てたようにこちらに向かって走って来る足音が聞こえる。そうして近づいてきたその人物は、私に必死に呼び掛けている。




「…ねぇ!君!!しっかりして!」


 心配そうに私をのぞき込む顔はかなり整っている。

 真っ黒なフードから銀髪の美男子が見えて、その瞬間、私は意識を手放してしまった。



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