ロレインの話1
早朝から立て込んでいた執務もようやく目途がついた。疲れた体をイスの背もたれに投げ出すように寄りかける。
正式に側妃として嫁いできたのはつい昨日の事だ。
王宮入りした私と入れ替わるようにアルフォンスとマリアは婚姻休暇に出かけて行った。そんな理由で不在中のアルフォンスの執務もこなさなくてはいけない私の仕事は嫁いで早々倍になっている。
窓ガラスに打ち付ける音が聞こえて雨が降っていた事に気が付く。
まだ昼過ぎだというのにどんよりして薄暗い。無駄に広いこの部屋には雨の音だけが聞こえていて、窓の外には灰色の雲がどこまでも広がっていた。
あの時もこんな天気の日だった。ぼんやりとした思考で幼かった日々の出来事を思い出していた。
私には生まれる前から決められていた婚約者がいた。相手はこの国の王子だった。何故生まれる前から決められていたのか知らないし、知らされることもなかった。
私の立場を代われる令嬢が他にいない事から私の身体は丁重に扱われ、屋敷の敷地から出る事を厳しく禁じられていた。そのため、それ以外の場所には一度も行った事が無かった。
ある時、屋敷の書庫に迷い込んでしまった私は、そこにあった小説を何気なく手に取って読んだ事から本の世界に魅了されていった。特に冒険物語が大好きになった。
自分の知らない世界が本を開けがいつでもそこに広がっていて、退屈な私の日常は沢山の物語で彩られていった。
物語に出てくる、行ったことがない様々な土地や街、魔物がいる洞窟など想像しながら、霧中で読みふけった。私もいつかこんな街に行ってみたい。この花の匂いはどんなだろう、洞窟のゴツゴツとした壁は一体どんな感触だろう。想像する事より実際に触れてみたくて仕方なかった。
しかし、どんなに強く願っても、そんな自由は許されなかった。次第に私は自分を取り巻く現実にひどく絶望して落胆していく。まるで見えない檻にでも入れられているような、そんな感覚がしていた。
そうして私は、どうしたら決められた人生から逃れる事が出来るのかを考えるようになった。
そうして考え出した答えを私は実行し始めた。
まず男の子のような振る舞いをして一人称も私から僕に変えた。
いつも悪戯をしては周りの大人を困らせた。
『こんな粗暴な子供など王子の婚約者として相応しくないでしょ?』
そう大人に見せつけるように振舞った。
それでも、どんなに粗暴な振舞いを繰り返しても、決められた婚約は決して解消する事はなかった。
それどころか、ほどなくして王妃教育を受けるため強制的に王宮に入れらる事が決まってしまった。
王宮に入れられてからはもっと制限が増えて、ますます自由が利かなくなった。それでも私は態度を改めようとはしなかった。
どんなに男の子のような話し方をしても周りの大人に悪戯をしても一向に何も変わらない。
壊そうとしても決して壊れない見えない壁に私は次第に無力を感じ始めていた。
素行の悪い私は王宮内で隠される存在になっていった。変わった事と言えばこれだけだった。
だから私の存在は一部の人間しか知らないし、王宮内で開かれている様々なパーティーやイベント事にも参加する事はなく、婚約者の王子にも会った事がなかった。
ある日、本当に何もかも嫌になった私は全部を投げ出して姿を消そうと思った。ここから逃げ出せる場所、決して誰にも見つからない場所を探し求めて王宮内を一人彷徨っていた。そんな時だった。不思議な雰囲気のする扉を見つけて、私は無意識にその扉を開いてしまった。
扉を開けると、そんなに広くはない空間に机とイスだけが置いてあって、そこには一人の少年が座っている。黙って本を読んでいた彼は突然入って来た私に驚きもしなかったでじっとこちらを見ていた。
当時の私より幾分年上のようだ。雪のように真っ白な髪は肩まで長さがあって、驚くほど綺麗な顔をしている。
その日からその子と私は友達になった。その子は自分の存在は秘密なのだと言った。だから私は誰にも彼の事を言わなかったし聞かなかった。私の秘密の友達だった。
辛い事があると私はすぐに彼に会いに行った。訪れた私をいつも変わらず優しく出迎えてくれて、ただ黙って私の話を聞いてくれた。そんな日々を続けていると、それまでずっと抱えていた苦しい感情は彼に会う度に消えて行った。
ある日の事だった。どんよりした雨の日だった。中庭の木の下で男の子が一人、三角座りをして泣いている姿を見つけた。サラサラとした金色の髪にアイスブルーの瞳の綺麗な顔をした男の子だった。
「ねぇ、どうして泣いているの?」
「……。毎日毎日朝起きてから夜になって寝るまで大人のいう事をやらないといけないんだ。出来ないといつも怒られる…。もう嫌なんだ」
その子は泣きながら私にそう言った。
その子の姿は少し前の私と同じように見えて、私はその子に言葉を続けた。
「僕も毎日怒られてるよ!じゃあさ、これから毎日一緒に怒られようよ。僕ら仲間になろう」
そういうと私は、ポケットから包みに入ったお菓子を一つ取り出した。ここに来る途中、厨房でこっそりくすねてきたものだ。
包みを開いてから半分に割ってその子の前に差し出した。
差し出されたお菓子を目の前にして、その子は不安そうな、それでいてとても困った顔をしていた。
だから私はその子の前で自分の分を口に入れて食べてみせた。
「うん、やっぱりすごくおいしい」
私がそう言うとその子はぱっと明るい表情をして、私の手の中からお菓子を取って自分の口に放り込んだ。
「うん、美味しい…」
まだ涙目の彼はそう言って私に笑顔を向けてくれた。
「これで仲間だ!それね、さっき厨房でくすねてきたやつ。お菓子が大好きな料理長が他の料理で余った最高級材料を使って作った料理長専用のお菓子。いつも美味しそうに食べてるのを見ていたからさっき見つけてくすねてきたの。料理長に見つかったから逃げていたんだ。後で怒られる予定。だからさ、今それを食べた君も共犯。一緒に怒られよう」
そう言って私はニッと笑ってみせた。
「えっ!なんで!そんなの聞いてないよ!」
焦ったようにその子が言う。
私はわざとらしく悲しい顔をしてみせると彼は再び焦った表情をする。
「…分かった、一緒に怒られよう」
少しだけ間があって、その子はそう言って笑った。
それが私とアルフォンスとの出会いだった。
その日から辛い事も楽しい事もいつも二人で分け合って過ごした。そうしたらもっとずっと楽になった。
その子と出会ってしばらしくて私は、秘密の友達に決意したことを告げに行った。
「僕、自分だけが辛いと思っていた。他に頑張っている子がいたのに…。あの子が頑張っているのに、もう自分だけ逃げたりしない。運命を受け入れてあの子とそれを一緒に背負っていく事を決めた」
そう言った私の言葉をいつもと変わらな様子で黙って聞いていた彼は少し寂しそうな顔をした後、静かに口を開いた。
「分かった。じゃあ、もうここに来てはいけないよ?」
そう言った彼はとても穏やかな表情をして私を見ていた。そうして私は秘密の友達にさよならをして別れた。
その日以来彼に会う事はなかった。一度だけあの部屋に続く扉を探した事があったが何故か決して見つける事は出来なかった。
「ねぇ アル、あのダンスのステップできる?僕、すぐ転ぶんだ」
「僕も出来ない」
その子が言う。
「じゃあさ、どっちが先に出来るか競争しようよ。負けたら厨房にあのお菓子を取りに行くんだぞ!」
「分かった!負けないから」
そういって私達はいつも競い合うように勉強して支え合って生きていた。
彼も本が好きだった事からお互い同じ本を読んで二人で感想を言い合う事も楽しかった。そのうち二人の夢が出来た。
「いつか僕たち大きくなって結婚したらいろんな場所に行ってみよう。仕事で国の外に行く事が出来るから世界中を一緒に見て回ろう。そしてあの本に出てきた主人公みたいにこの国を二人で守っていこう」
「うん、わかった。約束だよ。アル」
やがて私達は思春期を迎え、信頼は愛情にかわっていった。
彼に釣り合うよう、淑女になる努力をした。
「愛してるよ。ロレイン。いつまでも傍にいて」
そう言ってやさしく微笑むアルフォンスを私も愛していた。
私は今一人きりだ。いつも一緒にいた彼は隣にいない。静かな執務室で昨日マリアと仲睦まじく出かけていったアルフォンスの後ろ姿を思い出している。
「……ねぇアル…。私達はいつから同じ夢を見なくなったの?」
どんよりとした部屋で一人呟く。
雨は一向に止む気配はなかった。




