11話
アランとの関係は相変わらず最悪なままだった。それでも、たくさんの人に助けてもらって支えられた。彼らの協力のおかげで、同じ屋根の下で生活をしていてもアランと顔を合わす事はなかった。そのおかげで精神的に苦痛を受ける事も無く、心身共に健康で、毎日をとても穏やかに過ごす事が出来た。
日々大きくなっていく自分のお腹を愛でながら、順調に育っている子供達を実感出来る事に幸せを感じていた。
そうして日々は流れ、やがて臨月に突入した。
窓の向こうに見える枝木に木蓮の蕾が芽吹いているのを見つけた。もうすぐ長い冬が終わろうとしている。
この世界にも前世の世界と同じ植物が存在する。春の訪れを感じさせてくれる木蓮はこの世界にもあって、私はその花が好きだった。卵型の大きくて美しい花が天に向かって咲き誇る姿は何度見ても美しい光景だ。はたして数週間後、可憐に咲き誇る木蓮の花を私は見る事ができるのだろうか。不安で仕方がなかった。
この世界で出産は生死にかかわる大仕事なのだ。
前世の世界では高度な医療技術のおかげで安心安全に出産できた。出産前に入念な母体と胎児の検診が行われ、少しでも異常が見つかれば即対処してもらえる。
出産中の急な様態の変化にも様々な手段が用いられ、母子ともに高い生存確率で出産できる。帝王切開などはその最たる手段だ。
しかし、この世界で腹を裂いて生きながらえる確率は低い。子供の命が第一優先なので緊急時、子供の命が危ないと判断されれば即、腹を切られ子供を取り出される。当然麻酔などはない。すぐに治療魔法で傷は修復できるが、外に出た血液は戻せないので大量出血で危険な状態になってしまう。考えるだけでもぞっとするほど恐ろしい。
そんな臆病な意識を取り払おうと、大きく深呼吸をする。何度かそれを繰り返して、次に思う事はアランの事だった。子供が生まれれば変わってくれるだろうか。そんな淡い期待が心の隅にほんの少しだけ残っていた。
ある日の昼下がりの事だった。ベルカと談笑しているとそれは突然やってきた。
ドアのノックと共にアランが部屋に入ってきたのだ。
最後に見たのがいつだったのか思い出せないほど顔を合わせていない。そんな彼の突然の訪問に私は心底驚いてしまったのだ。
「体調はどうだ」
そう私に向かって話しかけてくる様子に、またも驚いてしまう。
酷く面を食らった顔をしていたのだろう。そんな私を見た彼の表情は瞬く間に不機嫌になっていく。
「いや、子供の心配をしているんだ。無事に産んでもらわないと困るからな。もし出産時、危なくなれば容赦なく子供優先にするからその時は恨むなよ」
投げかけられたその言葉に茫然としてしまう。言葉がうまく出てこない。黙ったままの私にアランは構わずに言葉を続ける。
「前にもいったが無事に子を産んだら愛人でも作れ。そいつとここで自由に暮らしてもいいし、出ていっても構わない。好きにしろ」
アランは冷たい視線を私に向けてそう言い放った。
「旦那様!この大事な時になんということをおっしゃるんですか!!」
ベルカが真っ青な顔をして叫んでいた。
「いいのよ、ベルカ。もちろん、私も子供を優先にするわ。この子たちの為なら私は喜んで死ねるもの」
そういって無理にほほ笑む。子供の為に死ぬ事なんていとわない。それでも生まれた子を抱いてみたい。成長を見たい。もっと生きていたい。そんな想いが死の恐怖を煽るのだ。張り付けた笑みの裏で私の心は真っ白になっていた。アランの言葉が頭の中で何度も何度も反芻している。
それと同時に私の中にいるソファがひどく泣いているのが分かった。悲痛な意識と共に徐々に過呼吸になりかけていく。どうしよう、このままでは危険だ…。子供達が危ない…。
「だれか!だれか!ソフィア様が!」
ベルカの絶叫に近い叫び声が聞こえる。
徐々に視界が狭まっていくとやがて目の前は真っ暗になっていった。
目が覚めるとベルカが心配そうな顔でのぞき込んでいた。目を開けている私を見たベルカは、ひどく慌てながら部屋を出て行く。
はっとした私はすぐに起き上がり、お腹を触るとしっかりとした膨らみはそのままで、お腹中で子供達が元気に動いているのを感じる事ができた。その瞬間、二人が無事だった事に心底安心して全身の力が気が抜けていくのが分かった。
その後、慌てて入って来た治療師に念入りに診察を受ける。ベルカはその間ずっと、祈るような仕草で私の様子を見守っていた。
治療師から母子ともに異常なしという言葉を聞いた途端、安堵したのもつかの間、ベルカは私のすぐ横で大泣きを始めてしまったので、その後彼女を宥める事にとても苦労してしまった。
結局、意識がなかった時間はほんの短い間だったようで、それが救われた要員になったようだ。
意識が正常に戻ると、今度は子供達を危険にさらしてしまった事への罪悪感でいっぱいになっていった。
浮かない顔をしている私に気が付いたベルカが私に問いかけてくる。
「どうしたのですか?どこにも問題はなかったのですよ?」
「私…。子供達を危険にさらしてしまったわ…。母親失格ね…」
「子供達は無事でした。もう大丈夫なんですよ。だからご自分を責めないでください。突然向こうからやって来てあんな暴言を吐いた奴のせいです…!それに、誰だってあんな酷い物言いをされたらショックを受けるのは当然ですよ」
私を諭すようにそう言うと、自分の事のように腹を立てているベルカはアランに酷く憤慨している様子だった。
その後、仕事で屋敷を留守にしていたロディさんがすぐに血相を変えてやってきたり、両家両親も駆けつけて大騒動になった。
アランの両親からはすぐに丁重な謝罪を受けた。
その後、急遽両家での話し合いがもたれたようだが、念のため安静を命じられた私はその話合いの場で何が話されたのかはその時はまだ教えてもらう事が出来なかった。
数日安静にしたのち、今日から日常の生活に戻ってもいいと治療師から了解を得られたその日の事だった。身支度を整え終わった頃、突然、ノックの音が聞こえた。
傍にいたベルカは何やらピリピリしている様子だ。彼女の様子からその人物が誰なのか容易に想像がついた。ドアの向こうの人物は謝罪をしたいと言っているようだ。
彼から逃げてばかりいてはいけない。これから先、子供達を守れない。毅然とした態度で立ち向かう覚悟を決めた。
ベルカにやんわりと落ち着くように促してドアの向こうに声をかける。
「どうぞ」
私がそういうと部屋に入ってきた人物はやはりアランだった
彼の姿をみると無意識に身構えてしまう。臨戦態勢に入った私に彼は思いがけない態度で言葉を発した。
「大事ないか……その…すまなかった…」
いつもの彼とは違い、珍しく丁重な物言いだった。その口調におどろいたが、一方であの時のアランの物言いを思い出すと、彼に対してふつふつと怒りが湧き上がっていく。
前世で一度出産という大仕事を体験しているので、どれぼどの痛みが伴うのかよく知っている。
医療技術が万全ではない世界で双子の出産を控えている今、不安で怖くて仕方がない。私は強い人間ではない。無様に、情けなく、子供のように叫び出したい気分を無理やり抑え込んでいる状態なのだ。そんな極限での心境の中アランのあの言葉はさすがに堪えた。
『あなたは死んでも構わない』
そんな事を平然と目の前で言われているようなものなのだ。
そこまで言われるほど私はあなたに一体何をしたのか。激しく問い詰めたくなる衝動に駆られる。容態が悪化してはいけない。そんな感情を必死で抑え込んでいた。
いつもの私は彼に対して俯いているだけだった。でも今は違う。溢れ出しそうになる怒りを抑えながら私はアランをじっと睨みつけていた。
きっともう、私の愛したアランはこの世界の何処にもいないのだろう。あの優しかった彼を私はもうずっと前に失っていたのだ。今のアランに愛情はない。だってあれはまったくの別人なのだから。
いつもと違う私の反応にアランはとても驚いた顔をしながら、ひどく戸惑った様子を見せている。そんな彼の反応が情けなく思う気持ちが勝ると、今度は自分の弱い心が子供達を危険にさらした事への罪悪感でいっぱいになっていった。
色んな感情が入り混じっていく。謝罪の言葉よりも今は、もうそっとしてほしかった。彼を睨む事を止めると、おもむろに窓の方へと顔を向けた。
私は彼になんの返答もしないまま、ただ黙って窓の外を見ていた。そこから見える木蓮の蕾はもうすぐ開こうとしていた。
どれくらいそうしていたのかよく分からない。そのうち静かに遠ざかっていく足音だけが聞こえた。
それから数日後の事だった。私は急な陣痛におそわれた。
出産という孤独な激闘がついに始まった。




