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10話


 妊娠報告をした後もアランは相変わらずで、私をいないもののように扱う態度は変わる事はなかった。

 それでも、新しい命が自分の体に宿った事は純粋にとても嬉しかった。私の中で芽生えた、なんとも言えない暖かな感情はこれまでの殺伐とした日々に大きな変化と喜びを与えてくれた。


 救われた事はもうひとつあった。それはアランとの義務的な行為からの解放だった。痛くて悲しいだけのあの行為を強制される事はもうない。私など吐いて捨てられるだけの存在なのだと、あの行為の度に思い知らされる現実は心身共に私に苦痛を与え続けていたのだ。あんな扱いはもうされない。そう思うと、心の底から安堵する事ができた。結んだ婚姻契約書には産まれた子供の性別を問う箇所は無いので、無事に出産できればこれで打ち止めになる。


 まだ見ぬ我が子を想いながら、穏やかな気持ちで自分のお腹に手を当てた。

 そうしてこの先、アランと良好な関係を望む事は諦めようと決意する。心のどこかでまだ、アランに執着をして、惨めにも彼に囚われ続けている自分が嫌で仕方なかったし、彼から受けるストレスが原因で、万が一にもこの子の命を失う危険があるかもしれない。この子を守る為に私自身がもっと強くならなければいけないのだ。


 これから先、我が子が無事に成長する事だけを考えよう。そうして無事に子を産み、やがてその子が成長して、私など必要としなくなった時、私はこの家を出ていこう。それから街に出て仕事を探して、自分らしく生きていこう。

 そんな生活の中で茶飲み友達のような、気を許せる人達に囲まれて、慎ましい人生を静かに終わりたい。そんな人生なら私はとても幸せだ。

 年を取った自分が暖かい午後の縁側でゆっくりとお茶を飲み、まだ見ぬ誰かと穏やかに会話をしている。そんな場面を想像してみる。


「茶飲み友達か…。それもいいな」


 ボソリとそんな独り言が出てしまった。いや、そもそもこの世界に縁側なんてあるのだろうか。取り留めも無くそんな事を考えながら、この先の自分の生き方をひっそりと決めたのだった。




 無事に安定期に入ると、治療師からお腹の子供は双子だと告げられた。

 双子という事実に私はひどく狼狽していた。


 この世界には光魔法というものが当たり前のように存在して、ケガや病気を治す事ができる。

 そんな便利な魔法も皆が当たり前に使える訳ではなく、生まれながらに魔力を持った人間にしか使えない。そんな魔力持ちの彼らはこの世界でとても希少な存在で、国により手厚く守られているのだ。

 魔力持ちが現れれば、すぐに国が丁重に保護をして集める。そうして訓練をして治療師になると、彼らは一生の生活が国から保証されて、様々な優遇を受ける事ができる。

 

 治療師がいる事でこの世界の医療技術は、全面的に魔法だよりになっているが、そんな魔法も万能ではない。怪我で失った部位は戻せないし、臓器の交換を必要とする重度な病は治せない。魔法以外に治療法方はなく、西洋医学のように患部にメスを入れて治療する方法など存在しない。したがって麻酔技術や輸血技術もない。投薬治療など、あるにはあるのだが民間療法の域をでる事はなく、専門的な研究は進んでいない現状だ。


 そこで妊娠出産だ。病気でもケガでもない妊娠出産は魔法では治療ができない。 


 その代わり、産婆さんのような出産の介助をしてくれる人は存在していて、彼女達の長年の知識と経験だけが頼りになるのだ。


 そんな理由でこの世界では出産死亡率がとても高いという現状なのだ。


 もっと悪い事に、例えば、スプーンより重いものを持った事がないという令嬢がたくさんいる。

 身分の高い令嬢は、主に身の回りの事は全てメイドが行い、あまり自分の事は自分自身でしないのだ。長く歩いたり走ったりもしない。要するに体を動かす事など皆無な生活なのだ。


 さらに妊娠をすると、お腹の子供は妊婦よりも遥かに大切に扱われる。妊婦にはお腹の子供に栄養をつけさせようと何でもたくさん食べさせる。確かに普通の状態よりカロリーは必要で栄養は大切なのだが塩分糖分の取りすぎは危険だ。


 更に、万が一にも転んで流産しないようにベッドの上での生活を余儀なくされ、部屋から出してもらえない場合さえある。その結果、難産を引き起こす確率がさらに高くなるのだ。


 私の妊娠は、通常でも高い死亡率がもう一人お腹にいることでさらに2倍になるのだ。

 死亡しなくてもこのままでは難産になってしまう。

 今世こそは子供の成長を見たい。死んでたまるものかと強く心に誓う。


 無事に安定期を過ぎると無理をしない程度の適度な運動ではそうそう流産しない事を、前世の知識と経験で知っていた。


 翌日からなんとか回りの目を誤魔化しながら、ウロウロ屋敷を歩いたり、庭に出て散歩をしたり体を動かす事に専念していた。そんな時だった。


「おい!なにをしている!」


 いつものように庭の散歩をしていると、私の後ろから怒鳴り声が聞こえた。

 驚いて振り返ると、冷たい表情で私を睨みつけているアランが私の少し後方に立っていたのだ。

 急な彼の出現にひどく混乱しながら、何とか平常を装い、にこやかにほほ笑んで口を開いた。



「ごきげんよう アラン。今日は天気がいいので庭の散歩をしているところよ」


「お前は今、自分の腹に子供がいる事を忘れているのか!それとも私の子など産みたくないのか!お前には母親になる自覚はないのだな!とにかくもう部屋から出てくるな!」


 乱暴に腕を掴まれ引っ張られる。その痛さで顔を顰めると、アランはただ不快そうに私を見ているだけだった。

 そんな表情を向けられた私は、再び重く暗い気分になってしまった。

 アランはそんな私を気にもしないで、その場で大声を出してベルカを呼びつけると、慌ててやってきた彼女を睨みながら、すぐに私を引き渡して立ち去っていった。


「お嬢様、大丈夫ですよ」


 暗く沈んだ状態の私にすぐに気が付いたベルカは、私をやさしく抱きしめてくれた。彼女から伝わる体温は私を落ち着かせてくれた。

 

 ベルカに連れられて部屋までの長い廊下を歩きながら、このままでは本気でアランに軟禁されてしまうのではないかと不安がよぎった。出産は苦痛を伴う大仕事のうえ双子の出産なのだ。難産になれば私も、なにより子供が苦しい思いをするだろう。


 部屋に帰された私は悩んだ末、意を決してベルカに相談することにした。

 緊張しながらゆっくりと口を開く。


「ベルカ、今からいう事は信じてもらえないかもしれないけど…。どうか信じて聞いてほしい」


 医療技術が高い世界で生きていた記憶がある事、その世界での経験と知識で、妊婦において適度な運動とバランスの良い食事がいかに大事かを知っていて、このままの状態では今の自分がとても危険な状態にあるという事を熱心に説明をした。乙女ゲーム云々は今は関係がないのでそこは省いた。


 分かってもらおうと必死に説明をしていた。その間、ベルカは口を挟む事はなく、私の話を黙って聞いてくれた。ようやく話し終えた時、ベルカは私を見てやさしく笑っていた。


「大丈夫ですよ、お嬢様が嘘を言っていない事くらい長い付き合いの私は分かります。だいたい、お嬢様は分かりやすいのですよ。嘘をついていたらすぐにわかりますから。そのお話、信じます。お嬢様とお腹の御子の命を守るために、全力で協力します。私にお任せください」


 そう彼女から心強い言葉をもらうと、私は思わずほっとしてその場に泣き崩れてしまった。

 こうして信頼して支えてくれる人がいる事が嬉しくて心強かった。もう大丈夫だ。私も子供も死なない。彼女の言葉で素直にそう思えた。不安で押しつぶされそうな気持が徐々に和らいでいくのを感じていた。


 優秀なベルカは持ち前のコミニュケーション能力を発揮し、屋敷中の使用人と連携をとりながら、アランと鉢合わせをしないように完璧に動いてくれた。アランの私に対する態度は使用人達にも同情され始めていたのだので、皆進んで協力してくれたようだ。

 その働きのおかけで、その日から適度に部屋中を歩き回ったり、アランが居ない時を見計らって庭を散歩したり気分転換をする事が出来た。


 食事も部屋に運んでもらう事にしたのでアランに私が何を食べているのか知られる心配はない。


 塩分や糖分は低めだが、さすがは侯爵家の料理人だと関心した。どれも旨味がしっかりあって、とても美味しいのだ。

 更によく洗った食材に加熱調理をしてもらい、生の食べ物は避けてもらった。

 切った中身にも色がついている野菜を適度な量で積極的に食べた。この世界でよく飲まれている紅茶も一切止めてもらった。


 つわりがひどい時はベルカに何のにおいが嫌か説明をすると、それを完璧に配慮して遠ざけてくれた。とてもありがたい事だった。


 心配症のロディさんは相変わらずで、時間ができるとすぐに私の様子を見にきてくれた。あの大好きな美声で歌を聞かせてくれたり、たわいもない会話で穏やかな気持ちにさせてくれていた。


 そうして私は完璧にアランを避ける事に成功したのだった。アランと全く会わずに済んでいる生活はストレスを受ける事もなく快適そのものだった。



 子供も順調に育っている。このまま無事に出産を迎える事ができるだろう。そう思っていた。




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