ロディの話2
それから少しずつ悪夢を見る回数は減っていき,私の体調もしだいに良くなっていった。
以来、私に向けられる彼女の笑顔が日に日に私を悩ませる事になる。
あの日から少しずつ大きくなってしまった恋心に長い間苦しむ日々が続いたのだった。
やがて彼女とアラン様との婚約が正式に決まると、私はその気持ちに蓋をして彼女の幸せだけを祈った。
彼女が嫁いできたら、彼女の幸せを近くで見守っていよう。そう心に決めたのだった。
そうして日々は過ぎ去り、二人の挙式の日を迎えた。純白のドレスに身を包んだ彼女は他の誰よりも美しく、綺麗だった。
式も無事に終わり、彼女がこの屋敷に嫁いできた翌日、私は廊下で彼女に呼び止められた。
あの日の彼女の様子に私はひどく胸が痛んだ。
僅かではあるが、彼女の瞼が腫れている事に気がついたのだ。
おそらく昨晩、アラン様にひどい扱いを受けて泣きはらしたのだろう。昨晩遅くに屋敷へ到着した彼女の傍付きのベルカに様子を見に行ってもらうように言っておいて良かった。
彼の頑なな態度は挙式後も変わる事はなかったのだ。
それらを悟られまいと気丈な振舞いをしている彼女を見守る事しかできなかった。
平然を装う彼女は、逃れられない自分の現実を必死に受け入れようとしているように見えたのだ。
私なら彼女を泣かせる事など絶対にしないのに…。
しかし、身分のない自分は彼女をその悲しみから救い出す事が出来ない。
気丈に振舞って見せる彼女の笑顔を見つめながら、心の奥底にある様々な感情が一気に吹き出しそうになるのを必死に抑える事しか出来なかった。
エントランスに出ると、珍しくアラン様がソフィア様の元に近づいていく。
咄嗟の事に声をかける間もない。そうしてソフィア様の目の前までやって来たアラン様は、驚くべき内容を口にして彼女に言い放ったのだ。そんなにもひどい言葉があるだろうか。そんなものを彼女に向かって吐くなんて…。
「アラン様!!…何てことを…!!」
私は、黙って屋敷を出て行くアラン様の背後からそう叫んでいた。私の説教など聞く気もないというように、彼は平然と歩き続けている。
主人に追いついた私は背後から彼に問いかけた。
「アラン様、なぜソフィア様にあの様な酷い事を言ったのですか!?性根が悪いなどと!」
ここにアラン様がソフィア様を冷遇している原因があるのだと思った。
「あの女は学園にいた頃、裏でマリアを陰湿にいじめていたのだ」
アラン様が平然とそう答える。
「アラン様が直接その現場を見たのですか!?それとも誰かがそのような事を言ったのですか!」
「いや、現場は見てはいない。マリアから直接聞いた」
安直すぎるその返答に私は半ば呆れてしまった。
「証拠はあるのですか!?ご自分で真偽を確認されたのですか!?」
私はさらに問いただす。
「証拠なんてない。あの女がうまく隠したんだろう。マリアが泣きながら訴えてきたのだ」
アラン様は吐き捨てるようにそう言う。
この人はいつからこんなにも盲信的にあの女性を信じるようになったのだろう。
警戒心が強く、中々人を受け入れようとしない性格だ。特に女性に向けてその傾向は強く、家族以外ソフィア様ただ一人を自ら受け入れ、愛情を注いできたはずなのに。
ソフィア様はマリア様をいじめてなどいない。小さい頃からソフィア様を見ているので彼女の人間性は熟知している。
「アラン様、その件はすぐに真偽を確認する必要があります。このままではこの先必ず、彼女を失う事になりますよ」
「その必要はない。マリアを信じている。俺は今でも、これから先もマリアを想い続ける。子供さえ出来れば、後はソフィアなどいなくてもよい」
その言葉に再び唖然とする。彼女は道具じゃないのに…。
「このままではあなたはいつか必ず後悔する日が来ますよ!」
拳を強く握りしめる。怒りでどうにかなりそうだった。アラン様に殴りかかりそうになる衝動をなんとか抑えた。今の彼女の状態をただ見ている事しか出来ない自分にも苛立つ。それと同時に、自分にはなぜソフィア様と釣り合うだけの身分がないのだろうと絶望する。
握りしめた拳から血が滲んでいる事に気が付いたのは、しばらく経ってからの事だった。
「もういい!!お前はもうついてくるな!そのまま屋敷にいろ!」
私の態度に苛立ったのか、アラン様ははき捨てるように私にそう言うと、用意されていた馬車に一人乗り込み、さっさと出て行ってしまった。
その直後だった。突然、扉の向こうで悲鳴が上がった。
私はすぐに引き返して勢いよく扉を開いた。
扉を開けるとソフィア様が床に倒れている。近くにいたメイド達は皆一様にオロオロしているだけだった。
すぐに彼女の元に駆け寄り、抱き抱える。真っ青な顔の彼女は呼びかけても一切反応はない。
そうこうしてると、彼女の傍付きのメイドのベルカが血相を変えて駆け寄ってくる。
「すぐに治療師を呼んでください!私は彼女を運びますので!」
私はベルカにそう指示をだした。そうして急いで彼女をベッドまで運ぶと、すぐに治療師が駆け付けてきた。
診断の結果、大事には至らないという治療師の言葉に深く安堵したものの、倒れた原因が疲労と大きなストレスが原因だと聞き、腹の底からどんよりとした重たいものがこみ上げていくのを感じた。
暫くの間安静にしてゆっくり休ませてあげてほしいと治療師が告げると彼は部屋を後にしていった。
治療師を見送った後すぐ、ベルカは血相を変えて私に詰め寄る。
「あの方は…。アラン様はソフィア様を殺すおつもりですか!?倒れる直後、何があったのか他のメイドから聞きました。なぜソフィア様がこのような扱いを受け続けなくてはいけないのでしょうか。嫁いだその日からずっとですよ!何故ですか!!」
いまにも泣き崩れてしまいそうな彼女の悲痛な問い掛けに、私は言葉を返す事が出来なかった。
「…申し訳ありませんでした…」
絞りだすように私がそう口にすると、暫く間重い沈黙が続いた。
「すいません…。少々取り乱しました…」
彼女はうつむたまま静かにそうつぶやいた。
アラン様から外出の際のお供を外された私は、代わりに体調を崩して近々隠居する予定の屋敷の執事の代行を命じられた。その執務の間を見て、時間が許す限りソフィア様が目を覚ますまで頻繁に様子を見に出向いた。四六時中心配で仕方がなかった。その為、彼女が目を覚ましたと聞いた時は一目散に駆け付けた。
ベッドの上で穏やかに笑っている彼女を見た時、私は心の底から安堵したのだった。
その後無事に回復した彼女は積極的にアラン様に関わる事をやめた。顔を合わす事もない。アラン様が一方的に彼女を遠ざけてしまった、という方が正しいのかもしれない。
しかし、そんな状況の中でも、子を成す事は必須事項で取り決められていたのだ。彼女の心情は計り知れないだろう。ここから彼女を連れ出せたなら…。何度そう思ったか分からない。
そんな心情の中、私は彼女の懐妊の知らせを聞いたのだった。




