第三話 悲運の皇子
「えええ……ちょっと、なんで? 何が起きてるんだよ?」
「実はその若武者は、異世界から転生してきたもと暗殺者でした」
「はあっ?!」
「そして試合の相手は、そうと知りつつ彼を友として受け入れた、その国の王子様でした」
「……
王女様、じゃないの?」
ここで坊ちゃまはにやりと笑いました……ああ、なんと愛くるしく、そしてにくたらしいお顔でしょう!
つねに禁欲を心がけるこの私ですが、この時ばかりはそのぷわぷわのほっぺたを、つまんでむにーっとしてやりたくて、両手の指がむずむずと致しました。
しかし、私は大人です。いやしくも、今年で齢528です。子供の挑発にいちいち、むきになっていてはいけないのです。
それに、こんな状況で坊ちゃまに心のまま触れてしまえば……いけないいけない、私もまだまだ命が惜しい身の上です。
私は坊ちゃまのお側に仕え、その健やかなる成長を、しかとみとどけねばなりません。
それが亡き父の遺影と誓った、男と男の約束なのですから。
私はひとつ、深呼吸します。そして、坊ちゃまをこう諭すのです。
「坊ちゃま。
そんなテンプレートはどうか、忘れておしまいになってくださいませ。
大切なのは、敬意と愛情です。
お互いがお互いを敬い、愛し、しかして心が結びつけば、その他のことは小さなことなのです。
もちろん我らは小さき存在で、その『小さなこと』にすら、翻弄されて生きておりますが。
いいではありませんか。物語の主人公にくらい、そんなくびきを脱し、自由に夢を描いてもらっても。
我らは物語に夢を見ます。そして、夢はいつしか叶うもの。
それを証明するのが、我らの世界、この魔界なのですから」
坊ちゃまはしばしきょとんとしておられました。
しかし、すぐにほっぺたをかきつつ、こうおっしゃいました。
「む……確かに、王子でぜんぜんよかったかも。
うん、ま、そこんとこは、じゃ……つっこまないや。
ゴメン。つづき、聞かせてくれる?」
「もちろんでございます、坊ちゃま」
私はニッコリ笑って、優しく坊ちゃまの頭を撫でました――このくらいはよろしいでしょう。
柔らかくつややかな御髪から手を離し、わたしは深呼吸します。
こう言ってしまった以上、考えてあった筋書きは使えません。
わたしはとりあえず、ひとつエピソードを前倒しして、時間稼ぎをすることといたしました。
「では、どうしてこの若武者が会場に乗り込んできたのか。まずはそこからお話しましょう。
彼は、もともと異世界の住人でした。
その世界最大の国の、帝の息子。それも、第一皇子だったのです。
つややかな黒髪に、黒い瞳、きりりとした、端正なお顔。
帝その人の特徴を、誰よりもよく受け継いだお子でした。
ですが、母上は平民。しかも、早くに病で世を去ってしまわれました。
悪いことに父上も追いかけるように同じ病に倒れ、側室たちに取り入った宰相が政治を取り仕切るようになりました。
後ろ盾をなくしたかれは、皇子の身でありながら、“帝都の掃除屋<インペリアル・スィーパー>”という過酷なしごとを、言葉巧みに押し付けられてしまいます。
しかし真面目で責任感の強い彼は、それを受け入れました。
そうして側室たちや、その子供たちにいじめられ、虐げられつつも、帝都にあだなすモノたちを片付けつづけていたのです……」
「……ひどいはなしだな」
「ええ」
坊ちゃまはまくらのうえ、かたちのよい眉を寄せ、低い声でおっしゃいます。
やはり坊ちゃまは優しいお方です。力なく、虐げられるものたちの話を聞いて、我がことのようにお心をいためてくださいました。
坊ちゃまは眠そうながらも、沈痛な声音でおっしゃいます。
「たべものを、投げちゃいけないって、そいつ教わらなかったのかな?」
さあ、ここからが腕の見せ所……え?
「『しいたけ投げ』で、かえしてたんだろ?
側室と、その子供たちにいじめられたら。
いくらいじめられてたからって……しいたけに罪はないのに……
そりゃ、オレだって……しいたけ、食べれない……けど……」
しいたけ?
はて、いったい私めのお話のどこに、しいたけが発生していたでしょうか。
わたくしが致しましたのはただ、継母たちやその子らに『しいたげられ』つつも……
ここでわたくしはハッと気がつきました。
ああ、なんということでしょうか!
私はまたしても、過ちを繰り返してしまったのです!
『過ちは誰にでもある、大切なのは繰り返さないことだ』と、師父から幾度も聞かされていたというのに!!
いとけなき幼子にむけ、『虐げる』などというむずかしい言葉を、またしても当然のように――このセバスチャン、嘆かわしき失態です!
ですが、猛省と同時に私は、ふたたびほっとしたのでございます。
なぜって、そんな残酷な言葉を、坊ちゃまはまだ知らずにいらした。
それはなにより、よいことと思われたのです。
坊ちゃまはほんとうに、優しいお方です。
できるならばこのまままっすぐ、健やかに、幸せにご成長あそばされてほしい。心からそう願われてなりません。
ですので私は、その愛らしい勘違いを、そのままに話を創ることとしたのです。
……が、肝心の坊ちゃまはすでにおねむのご様子。
つづきはまた、あした。
そうお約束して、お布団を優しくかけなおし、私は坊ちゃまの寝所を辞したのでございました。
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次回は明日、13:00ごろ投稿の予定です!